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ツバメの質量

小満|蚕起食桑
令和6年5月25日

ツバメは驚くほどに軽い。いつものように古民家の手直しのために現場に向かうと,家の片隅で仰向けになり,その体温を失っていた。横たわったままの彼,または彼女をそっと持ち上げたのでその質量をよく知っている。

玄鳥至(ツバメキタル)という七十二候が4月4日頃,玄鳥去(ツバメサル)が9月17日頃。その間を日本で過ごす。南の国からはるばる海を超えてやってくるツバメたち。そのうちの一羽が,日本の里山のまさに目の前で息を引き取った。何千キロと旅する身体は驚くほど軽い。魂が抜けたせいか,いっそう軽く感じられる。その絶妙な質量が手にいつまでもまとわりついていたので,家に帰ってからよく調べてみたところ,なんと体重は20gくらいらしい。そおっと両手で包み込み,畑に運んでやる途中に,偶然にも草刈機の充電が完了し,ツバメを見送るように「エリーゼのために」を奏でた。音楽にも見送られながら畑の片隅に穴を掘って埋葬した。手を合わせたものの,何のために祈ったのだろうか。

普段畑仕事をしているとたくさんの生物に向き合う必要がある。この頃はウリハムシといって,ウリ科の野菜,特にはカボチャやスイカといった苗に群がり新苗を残滅させてしまう虫たちがいる。私たちは美味しいスイカを食べたいのでそれらを捕殺する。生物と対峙するとき,この違いはどこからくるのだろう。動物と昆虫の違い?あるいは質量?私たちは地球上のちっぽけな一生物である。人間としてのエゴを抱えながらあまりに複雑な相互関係の中を生きている。気候変動が,戦争が,ツバメとウリハムシの命が,などと言うけれど,どんな質量で人生を歩もうとそれらにはどんな言い訳も通用せず,ただただ人間らしく人間としてのエゴを突き通して生きていくしかないのだろう。

-S.F.

蚕起食桑

カイコオキテクワヲハム
小満・初候

いつだったか,図書館へ向かうと入口のところで鳥が亡くなっていたことに気づいた。そこにはいつも警備員さんがいて,少し挨拶をしたあとに目線を鳥のほうに移すと「触ると感染症なんかがあるからね..」と言われて気まずい雰囲気が流れた。結局帰るときにもそこに鳥は横たわっていた。死が晒されている感覚はあまりに居心地が悪かったが,本を抱えて帰る足は家の方を向いていた。

参考文献

なし

カバー写真:
2021年4月4日 旋律。

コヨムは、暦で読むニュースレターです。
七十二候に合わせて、時候のレターを配信します。

ツバメの質量
https://coyomu-style.studio.site/letter/kaiko-okite-kuwawo-hamu-2024


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