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【3日目】わたしという檻に囚われ乾涸びた心よ お前など誰もみてない

わたしはいろんなことから逃げてきた。

今も現在進行形で逃げ続けているし、
逃げてることも本当は認めれていない。

結局、賞にもほとんど挑戦してこなかった。
小学生、中学生の頃から、小説の大賞を調べては
「最年少で取るんだ」なんて思っていたけれど、
一度たりとも投稿をしたことはない。

短歌についても、
大学3年生の時に短歌を教えてくれた先生に投稿の背中を押されて
投稿をしたことがたった一度あるだけ。
それもかすりもしなかったし、
カクヨムでやっていた短歌の賞があったけど、当日に勢いだけで投稿した。
それはただ創作のきっかけ、勢いが欲しかっただけで、
大賞と向き合って、努力はできていない。

今やっているnote創作大賞も「書きたい」と思いながら、
全く努力できずにいる。
今日中に勢いで書いて、投稿だけするか、なんて思ってたり。
でもそれもめっちゃ努力をして、対策をして命をかけて書いてる人がいるのに、
失礼だなと思う。

大学一年生になる頃に同期の男子が
「俺は天才だから、小説書いて賞出す。絶対通るわ」
と言ってきた。
「今なら野性時代フロンティア? 電撃とか?」
そう返すと
「聞いたことない、知らない」
と答えた。

わたしは内心
「調べもしてねぇのに、よくいうわ。うざい」
なんて思った。
わたしは、一つマウントを取ったんだと思う。
「調べもしてない人」と「賞のことは知っているわたし」
わたしの方が一歩進んでいて、偉い。努力をしている。

わざわざここでマウントを取っているのは、
挑戦をしてない自分を肯定できるから。
自分は結局は受賞のための努力をしていないけど、
調べてるし頑張ろうとしてるだけで、こいつよりはって。
多分、本当に努力している人はこんなところでマウントを取ったりしない。

なぜ、わたしは賞に応募しないのか。

それは、「才能がないことを提示されたくないから」

応募して、落ちたら「才能がない」ってことになってしまう。
今の自分の実力がないとされてしまう。
そんな怖いことはできない。
だから、適当にやる。
参加しただけってことにする。

ギフテッドのテレビを見るとモヤモヤするのも同じだ。
才能があって努力できてる人を見ると、
今の自分が才能もないくせに努力も上手くできていないと苦しくなる。
そして、妬ましくなる。

この感情は、
「才能がある」と信じているからだ。

現状の自分は、才能がある、だから認められたい。
そう思っているから、その状態にNOを突きつけられるのが怖くて、
逃げている。

ああ、なんて哀れなのだろう。
馬鹿げているし、意味もないただのプライド。
無駄なプライド。

そのプライドはどこで身につけてしまったのだろう。

兄はひどく優秀だった。
中学生の時は、5教科499点を取って伝説になっていた。
わたしが中学に入った時、上級生に「お前のお兄ちゃん、499点取ったってまじ?」みたいに聞かれたこともあった。
彼は小学生の時から「この子はすごい、中学受験した方がいい。どうやって育てたんですか?」と教師に言われるほどだった。
クラスでもリーダー的な存在だったし、一瞬でクラスメイトの誕生日を覚えてたらしい。

それに引き換えわたしは、
掛け算もまともに言えなかった。
識字能力が低いから、国語の音読は苦手で苦手で仕方がなかった。
それだけにあきたらず、
4年生は不登校になるし、中学も2年間いかなかった。
案の定、公立高校は落ちて、レベルの低い私立高校に行った。
わたしは、「ま、兄は男だし」と逃げた。
兄は男だから、女であるわたしとはまた違うしな、人間関係とかも違うし仕方ない。
そう思うことで、比較しないようにしていた。
もし、「同性だったら」と考える。
きっと、もっと追い詰められていただろう。
周りも優秀なお兄ちゃんを持つ妹、として見てはいたが、同じものを求められるほど同一視はされなかった。それは、男女の違いがあったからだ。
わたしが小学生の頃はまだ全然、「女の子は算数が苦手」などの思い込みがあったし、出席番号も男子が先で、女子は後だった。
「差別的だよね」って思い始めてた頃ではあったけど、卒業までは変わらなかった。

兄はその後も高校もレベルの高い公立高校に滑り止めも使わずに合格したし、
大学もストレートで京大に合格して、院まで行った。
そして、今は素晴らしい会社に入社して、わたしが関わりたいと思っていたような人たちと仕事をしている。さらさらと一瞬で夢を叶えている。

しかし、兄は明確に夢を描いてたわけでもない。
「これが絶対にしたい」とかがあったわけでもない。
いい意味でゆるゆると努力をして、簡単に手に入れたように
わたしには見える。

兄の仕事がうまく行ってることはとても嬉しいし、
いい繋がりを作っていることも素晴らしいと思う。
いつかそのツテをわたしも縋れる気もしてるし。

でも、無性にモヤモヤする。

わたしはどうして、それになれなかったのだろう。
わたしはどうして、兄になれないんだろう。
わたしはどうして、

これはモヤモヤではなく、劣等感だ。
プライドが脅かされているからだ。
自己肯定感が消し去られそうだからだ。

本来、他者がうまくいってても、自己肯定感は損ねられるものではない。

なのに、わたしの心は窮地に追いやられている。
それは、今までのわたしの努力や挑戦が足りてなかった、
今までのわたしが何もできてなかったから、
ここまでの差が開いているように思うからだろう。
そして、その失敗を直視しないように「モヤモヤ」ということにして、
兄に劣等感を抱いている気にしている。

ずっと逃げてきた。

評価されたいと思いながら、
批判されることが怖い。

才能のなさと直面したくないから、
賞には挑戦できない。

計画的に挑戦はせず、
「時間なかったから」と逃げ道を用意している。

なんて弱い人間なんだ。

そして、強いふりをしている。
哀れなるかな。

わたしは兄にはなれない。
兄は優しくしてくれている。

ただ、わたしが全てから逃げているだけだ。

競合となる新たな才能の作品もちゃんと読まないままでいる。
読んだら、負けたと思うから。

世の中に評価されているものを読んで
「何がいいかわからない」なんて、上に立とうとしている。

自分の弱さと対面せずにいる。

これは逆に言えば、
「わたしは何事にも負けている」と思っているのかもしれない。
「誰にも勝てない」「わたしは何もできない」
と思っていて、怖くて仕方がないから、守るために防御しているのかも。

いや、そうでもなさそうだ。

保育園の頃、怒られたら
あくびをして泣いてないふりをしていた。
あれは、弱い自分を見せたくなくて、あくびで涙が出ただけだとしたんだろう。
興味ないみたいに心をずらしていたのだろう。

ただのプライドの高い人間なんだろう。

何から逃げているのか、
まだわからない。根本がまだ見えない。

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