【第55回 ミーム演劇教室 稽古日誌 2022.6.28開催】演技が作為的にならないために。

最近は、内省的な演技から脱するためのアドバイスを多く先生から受けています。
そのときに言われるのが、「前頭葉を開け」「観客にどう見えるかで勝負しろ」。また、今週の教室では、『The Holy Man』の中の台詞の稽古を主にしていたのですが、「母国語である日本語を遣うと、その意味性が心情的なものに陥りやすくなるので、言語を音声として分解(品詞分解、母音と子音の分解を指していると思われます)して、「音」が、偶然にも「言葉」として聞こえてくるように作れ」ということを言われたり、またもう一名の受講者には、「(自分の発する言葉が届く人数が)100人、1000人、10000人とどんどん増えていくように、音声を発しなさい」「口蓋を上げて音声を支えなさい」ということを言われていました。

「演技」は、台本として架構されたフィクショナルなものではありますが、舞台上で行われている表現が観客とのリアルなコミュニケーションにならなければ、「演劇」として劇場空間を観客と共有する意味がない。また表現は、観客に何事か記号的な意味をもって伝わることは避けられません。さらに言えば、会場で行われている作品が観客に「演劇」と見做された瞬間、舞台上にいる俳優は「寺原」が見えているにもかかわらず、「〇〇役」として判断される。
「人間が生きている」を表出しようとするとき、観客に「〇〇役」がまぎれもなく生きていると伝わるためには、〇〇役が「演じられている」、逆に言えば「演じている寺原の作意」が見えることは、そういうシーンをあえて作るのでなければ余計なのです。したがって、演技の理想は「「人間がそこで生きている」だけがたしかに観客に届くこと」となります

そうするためには、演者としては、実際的な行為を粛々と遂行することが必要になる(当然作意が見透かない限りでの見え方の工夫も必要ですが)。さらに会場が劇設定と同じ実寸の建物や空間でできればいいですが、そうではなく劇場だったり、また上演されるものが無対象演技やミームであった場合、「実際的な行為を粛々と遂行」しているように見えるためには「技術」が不可欠です。

冒頭の先生のアドバイスに話を戻せば、「観客にどう見えるかで勝負しろ」はわかりやすい。「前頭葉を開け」は、内省的な演技を避けるため前頭葉で外界を捉えようとしろという主旨ですが、やってみるとわかるのは、内省的な状態に陥っているときには観客が見えなかったり音が聞こえていなかったりするものが、半ば強制的に外へ意識をもっていくので観客が見えるようになったり音がちゃんと聞こえるようになります。つまり「演じる」という思い込みで切り落とされてしまった生理感覚を呼び戻すことができます。そのような自分が行う行為は、観客を含む外界を裏切らないため、作為なく「対象と関係し、行為する人間」が見えやすくなる

また、「(自分の発する言葉が届く人数が)100人、1000人、10000人とどんどん増えていくように、音声を発しなさい」は観客とリアルにコミュニケーションしなさいということで分かりやすく、「口蓋を上げて音声を支えなさい」は、聞こえやすい音声を発しなさいということでもあるのですが、自分の身体も外にあるものとして捉えて、自分の身体を「口蓋を上げる」と具体的に操作することで内省に陥ることを避け、自身の生理感覚を活かすことができます。

そうした開けた意識で、より技術を高め、さらに技術を技術と見せないように技術を駆使していくことで、整わない、常に中途半端な、不完全な人間をそのまま舞台と客席とのあいだで共有することができる

自己研鑽あるのみです。

2022.6.30
寺原航苹

[ミーム演劇教室]
毎週火曜日15:00〜17:00
新宿ダン⭐︎スタ3
東京都新宿区西新宿7丁目13-7 タカラビル3F
*場所を変更する可能性があります。事前に必ずご連絡ください。
受講──1,500円/回
見学──2回目まで無料・3回目から1,000円/回
(学生はいずれも無料)
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