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スコット兄弟がともに仕事を始めたきっかけ

ルッソ、コーエン、ファレリー、ダルテンヌ、ウォシャウスキーなど、世の中には数多くの「きょうだい監督」が存在する。そして、ともに作品を監督することはないけれど、リドリーとトニーのスコット兄弟の名前は絶大だ。

リドリーといえばしっかりもののお兄さんタイプに思えるが、実は三人兄弟の次男にあたる。(兄フランクは1980年に亡くなり、トニーも10年前に他界し、今ではリドリーだけとなった)。

生まれはイングランド北東部のサウスシールズ(ニューカッスルを流れるタイン川の河口付近にあたる)。スコット兄弟は中流イギリス人家庭で育ち、親はしつけや教育に熱心な一面を持ちつつも、子供たちが自分の好きなことに打ち込むことに決してNOと言わず、のびのびと育ったとか。父はもともと運輸業を営んでいたが、第二次大戦の影響で存続が難しくなり、そこで一念発起して軍の仕事に就いて家族で各地を転々とし、戦争が終わるとまた運輸業を再開させた。また父は写生画を趣味としていて、それに影響を受けたのか、子供たち(リドリー&トニー)はやがてそれぞれ美術の道へ。

リドリーは4年間を美術大学(写真技術やグラフィックデザインを学ぶ)で過ごし、さらに奨学金を受けてロンドン王立美術大学へ。そこで偶然出会った16mmカメラを用いて撮ったのが初の短編作「少年と自転車」。主演は16歳の弟トニーで、父と母も出演するという家族総出の映画だった。

卒業後、広告やセットデザインに興味を持ちつつ、さらに映画づくりへの興味を抱いていたリドリー。広告業界をかじった後にBBCで仕事を始め、1965年にCMなどを手がける会社RSA(リドリー・スコット・アソシエイツ)を興して、大きな気流に乗る。次第に受注件数は膨れ上がり、リドリーだけでは対処しきれないこともあって、才能あるスタッフを増やすことに。そこで最初に声をかけたのがロンドン王立美術学校を卒業したばかりの弟トニーだった。

絵を描くことに興味を持ち、なおかつ大学在学中にはいくつかの映像作品を手掛けたこともあるトニー。兄はその才能を見抜き、これまで自分が培ってきたデザイン、コマーシャルなどの幅広い映像制作の手法を全て惜しみなく伝授し、トニーも期待に応えて大きな活躍を見せ始める。7歳年下の弟を導く兄。その姿をイメージするだけでなんだか微笑ましい。

そんな二人は、CMよりも長い「映像作品」を手掛けてみたいという思いを胸に秘めていたようで、スコット作品に欠かせない冒頭ロゴでお馴染みの「スコットフリー」を設立したのもこの頃。やがてフランスのテレビ局から映像制作の発注があった際には、リドリーとトニーはどちらが監督するか、コイントスに全てを委ねることとする。結果、リドリーは負け、弟トニーがこのチャンスを手にすることに。いくら運任せとはいえ、弟の思いを尊重するところに兄弟愛があふれているのを感じる。

ちなみに、トニー作品、リドリー作品、どちらにも出演したことのあるスーザン・サランドンは『ザ・ハンガー』(1983)の音声解説の中で、二人の印象について「二人は太陽と月のようにまるで性格が違う。どちらも才能豊かな人だけれど、トニーの方がエネルギッシュで陽気な人」と語っている。

参考資料「リドリー・スコットの世界」(ポール・M・サイモン著、尾之上浩司訳/2001年/扶桑社)

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