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はきだめのチェリー 11

【11】

 空虚に佇む白い塔、同じ顔が並ぶ黒衣の葬列。曇天模様の空の下、鬱屈とした場所の片隅で、私は一人で座り込んでいた。

 何も出来ず、何も考えられず、誰にも話しかけず、誰にも話しかけられず。

 そんな風に自分をヒロイックに客体化している。母を亡くした悲しき娘、哀切の念を向けられることで底の抜けた自尊心が回復するような感覚を得られる。醜く、憐れで、愚かなクソ野郎。

 気色の悪い私のことを、姉だけは冷めた眼で見ていた。

「もうすぐ遺骨集めだよ」

「うん……分かってる」

 マスク越しでも伝わる冷たい口振り。貴方のその視線を浴びたくないから、自然と疎遠になっていた。横にいる五歳の甥さえも、ゴミを見るような目で一瞥する。まるで、お前なんてクズだと言わんばかりに見下してくる。

 でもさ、お姉ちゃん。お母さんが居なくなった今、貴方は私の唯一の肉親なんだよ? 私しか血の繋がった姉妹は居ないんだよ?

 あぁ、でも違うか。あなたには帰る家がある。私には……。


 葬式の後、自宅の焼跡に一人で虚しく佇んでいた。

 朽ちた柱、焼け落ちた壁、溶けた台所のシンク、中身が露わになった液晶テレビ、そこで起きた様々な事象が脳裏に蘇っては、灰のようにさらさらと消えていった。

 出火元はコンロだったらしい。

 私が好きなオムライスをつくってくれていた母が火を消し忘れたか、布巾に飛び火して火災に繋がったか。今となっては分からない。母が私の為に料理をしていなければ、まだ一緒に居られたかもしれない。

 ここ数年は蓄積した心労のせいで精神を患ってしまった母。本人の前では鬱とは言えなかった。それに、私が介護する側に回りたくなかった、というのが本音だ。頭が不安定な母と暮らさなければならない苦痛から逃げることしか考えない自分に、心底イヤ気がさした。

 何だよ、私が死ねば良かったんだよ。

 自分の部屋だった場所に何か残っていないか探していたら、端の部分が焦げてる小さな紙切れを見つけた。

『まよい猫ララバイ』

 ユメキと出会った店の名刺だ。

 好きな漫画、好きな同人誌、好きなアニメや映画のDVDはことごとく焼けてしまったが、この名刺と近くにあった安いボールペンは奇跡的に残っていた。

 名刺とボールペンを拾い上げ、じっと見つめる。

 焼け跡から名刺だけ見つかるということに運命めいた何かを感じてしまう。名前のない感情が沸々と湧き上がる。

 大切な母が亡くなったのに、気持ちの悪いセンチメンタルな感情が働いてる自分を、思い切りぶん殴った。頬骨と歯茎に鈍い痛みが走る。顔が熱を帯びる。これは罰だ、何かの教えでもない、母から入信させられた新興宗教の教義でもない、ただ、母という大切な個人に向けた〝贖罪〟だ。

 瓦礫の山に散らばった残骸を凝視する。

 この家で過ごした三十数年、母に何かを返すことが出来ぬまま家を去ることの悔恨が一気に押し寄せてくる。思わず、その場にしゃがみ込んでしまった。

 

 ――いつまでも不毛な自問自答を繰り返してんなら、何かを変える努力をしろよ 。

 田中ならこんな風に言うかもしれない。イキってるようにも思えたが、田中の言葉には端々に切実さを感じる。

 ――只野さん、私が側にいてあげる。

 でも今は、ユメキに会いたい。ユメキに触れたい。

 

 拳を強く握り、膝を思い切り叩いて身体を起こす。痛みに顔が歪んだが、この痛みがあればこそ生きてる。そんな実感が僅かばかりでも湧いてくる。

 車に乗り込みエンジンをかける。ドライブに入れたところで後ろに振り返る。

 本当にゴメン、お母さん、本当にありがとうお母さん。またね。


 会社に着くと、最低限のお悔やみだけ言って私が休んでる間大変だったとか言ってくる社員に出くわしたが、気の抜けた返事だけして収集車に乗り込む。

 住む家も無くし、事後の手続きも山積みの状態、どん詰まりの心身状態で積まれたゴミの山を仰ぎ見る。口の中で爆竹が破裂したかと思うほど、強烈な舌打ちが出た。

「そういや、この間どっかのバカが捨ててた蕎麦打ち包丁を研いだんだよ。これと拳銃でもあれば政治家一人くらい殺れるんだけどな。」

 気が付くと隣に居た田中がそう言った。

「そっすか」と相槌にもならない声で返す。

「あ? 何が」

「あ、いや何でもないです」

 田中が何か言った気がするが、気のせいだったみたいだ。会話がままならない。疲れてるな、私。

「まぁさ、大変だよな只野ちゃんも。うちも家族みんな死んでるから気持ちは分かるよ。最初は律儀に墓に供え物してたけど、動物やら人間やらに盗まれるようになってから何にも置かなくなっちゃったな」

「へぇ。何お供えしてたんですか?」

「親父が川魚好きだったからドジョウ」

「あぁ、それは魚もさぞ嬉しかったでしょうね」

 気の利いた返事が出来なかった。田中は意に介さず、話を続ける。

「それより只野ちゃん、書いてる話どうなった? 意外とこういう辛い瞬間に書いてこそ、味のある表現できるんじゃない?」

「そうですね。今は事後手続きとか山積みで何も出来てないですね」

 田中は不快な溜め息をついた。

「あのさ、しんどさにかまけて何も動かないのはダサいし、勿体ないよ。俺だったら逆にバリバリ動くよ。何だったら、この俺を題材にするとか面白くない?」

 少しムカついた、いや、かなり腹立つ言い方だった。

「あの……ダサいって言い方、スゲー引っかかりますよ。ていうか、田中さんのやろうとしてることって本気で実行出来るんすか? 口だけじゃないですか?」

 思わず口元を塞いだ。感情的に返事をしてしまった。コイツの不安定な精神を踏まえたらマズいこと言ったかもしれない。

「ま、そうかもね……」

 思っていた反応と違いすぎて拍子抜けした。逆上されるかと身構えていたが、まさか反省してるのか? だが、田中が悪いと思ってるかまでは分からなかった。

 

 次の集積所に着いた。道路脇に路駐して車から降りる。

 車の通りが激しいので自分一人で素早く回収するが、数が多いので時間がかかる。通り過ぎる車から邪魔だという意思のこめられたクラクションを食らう。機械の駆動音にまみれて舌打ちを繰り返す。

 うるせえんだよ、こっちはエッセンシャルワーカーだぞ。私がやらなきゃ街がゴミだらけになるんだ、少しは敬意を払えよ。

 しんどい。本当にしんどい。重い、腰痛い、脳が腐るほどゴミが臭い。

 こぼれ落ちる汗を拭おうと、汚れた軍手で目を擦ってしまった。片目が開けられない。擦れば擦るほど眼が開くことを拒絶する。

 外壁をグーで殴った、怒りをぶつける。さっさと終わらせようとする度に行動が詰まる。

 ふと、ゴミ袋の中に母が好きだったカップ焼きそばの箱が見えた。

 自分も食べたかったはずなのに私に食べさせてばかりで、最後の一個を私が食べちゃっても不満そうな顔ひとつしないでいたっけ……。

 

 淡い感情に想いを馳せた刹那、右手に鈍痛が走った。

 手首から先が回転板に飲み込まれていた。投げ入れられたゴミを圧縮し、噛み潰し、粉砕するダクト。私の右手が、この無慈悲な裂け目に飲み込まれてしまった。

 この仕事をやってる中で一番マズい事態だった。焦りを通り越して吐き気が押し寄せる。車の下部にある緊急中止ボタンを押そうと足を揺動させるが、上手く行かない。残るは左手だけだが、反対側に設置されてるせいで手が届かない。

 田中に助けを求めようと声をあげるが、けたたましい駆動音に一気にかき消される。

 その間にも、プレス機は止まらずに私の身体を引きずりこむ。必死に緊急中止ボタンに手を伸ばすことが出来たが、反応がしない。何度も押すが気が狂いそうな機械音は鳴り止まない。ヤバい、マジでヤバい。冷や汗が瀑布のように流れ落ちる。

「ちょっと、じっとしてて」

 田中が間に合った。助かった、涙と脂汗にまみれた顔で田中を見る。

 だが、とくに焦るでもなく私の前腕へ頭に巻いていたタオルをきゅっと巻きつけた。

「こんだけキツく縛れば大丈夫か……」

 ズボンの腹から、蕎麦包丁をおもむろに取り出した。私は茫然とした。本気か、コイツ? 脈拍を測るように、腕を軽くトントンと叩いて目測を測っている。

 他に方法考えろって!

 そう言い放つ間もなく、一閃が放たれた。

 冷たい鉄が私の手を通り抜けていった。肉と骨が、私の身体から離れていく。

 

 マジだったのかよ……。私の聞き間違いじゃなかったのかよ、捨ててあったそば包丁なんか研ぐなよ、バカ。

 轟音が耳から離れると同時に、身体の内から聞いたことのない絶叫が吐き出された。

 

 消えゆく意識のなか、誰かの温もりを感じながら、冷たいコンクリートの底へと落ちていった。





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