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25枚の写真で紹介!ホテル療養ってどんな感じ?

こんにちは。コロナにかかったニートです。

以前コロナ発症〜ホテル療養前までのことを書いたので、今回はその続き、「ホテル療養の際の流れやルール」のことをお話します。

※前回の記事はこちら↓


前回は、迎えの車を待つところまでお話しました。

では、その続きを。

(あくまで私が療養していたホテルでのお話です。地域やホテルによってルールに違いはあると思うので、かならず確認してね。)


ホテルまでの移動方法

自宅からホテルまでの移動は、公共交通機関を使うわけにはいかない。保健所が車を出してくれるという。

前回も書いたけど、送迎についてはこんなことを確認された。

・明日の朝か、昼過ぎに迎えに行くことになる。決まったら連絡する
・相乗りの場合はハイエース、ひとりの場合は普通のタクシーで迎えにいく
・荷物運びは感染防止のため手伝えないから、ひとりで運べる量にして
・待ち合わせ場所は自宅前か、近くの路地になるけどどっちがいい?


あとから再度電話があって、今回は1人のため、普通のタクシーでの送迎になった。


迎えの車が到着

13時半過ぎ。「少し早いんですけど、到着しました。ゆっくりでいいので」と、迎えの方から電話があった。

彼が家に帰ってくることを考えて、掃除と消毒をしているところだった。まだ途中だったけど、掃除機を急いで止めて、全ての荷物を玄関先に出して、キッチンペーパーと次亜塩素酸を手にした。テーブル、リモコン、レンジ、バスルームのドア、電気のスイッチ、玄関のドア。順番に消毒して、最後に手袋をして、家を出る。

「玄関に消毒液とキッチンペーパーを置いたから、拭きながら上がってね」同居中の彼に、そうメッセージをいれた。

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テーマパークの大きなお土産袋2つと、大きなリュック1つ。倦怠感の残る体には重すぎる荷物だった。車までの辛抱だと思い、転ばないように細心の注意を払いながら、1段1段慎重に階段を下りる。

コロナの感染者数が激増していた当時の札幌。部屋着のような厚い服、三重にしたマスク、そして大量の荷物。私がどこに向かっているのかは、一目見ただけでわかるだろう。

「誰にも会いませんように、誰にも会いませんように……」

祈るように心の中で唱えながら、手すりにも触れないようにしながら、アパートを出た。


コロナ仕様のタクシーで

アパート裏の路地へ出ると、迎えの車が停まっていた。写真のような、本当に普通のタクシー。

でも、それが私の迎えだということはすぐにわかった。フロントガラスから覗く防護服姿の2人組は、普通のタクシーと呼ぶには物々しすぎた。「空車」「満車」といつも書いてあるところには「救援」と書いてあった。

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※画像はイメージです。

前の座席と後ろの座席は、透明なビニールシートで隔たれていた。上下左右がしっかりとテープで留められていて、飛沫も空気も通らないようにしてある。

車内の空気は重々しい。誰も口を開かない。「せめてラジオくらいつけてくれたらいいのに」と思ったけど、それすら口にしづらい雰囲気があった。社内に響く声といえば、助手席の方の「乗車しました」「残り5分で到着します」というどこかへの電話だけ。

対策は万全とは言え、「感染したくない」という乗務員の気持ちが伝わってくるようだった。「私は隔離対象の感染者なんだ」と改めて実感した。


ホテルの裏口で見たもの

ホテルに到着すると、先に1台の救急車が停まっていた。乗務員の電話の口ぶりからすると、この救急車が出るまでは、車内で待機しなければならないらしい。

待つこと5分。1台の担架が運ばれてきた。60代くらいのおばあちゃんが横たわっている。点滴と一緒だ。救急隊員の足取りを見るに、緊急性は高くなさそうだった。

私が療養することになったのは、高齢者や疾患持ちなど、多少重症化リスクのある人がいくホテル。ポジティブでいようとしていたけど、「私があの担架に乗る可能性もあるのかな」と不安がよぎってしまった。

救急車が去ると、乗務員から「あそこに、あなたの名前が書かれたビニールがあります。中にルームキーがあるので、それを持ってまっすぐ部屋に向かってください」と声がかかった。


ホテルへ

入るとすぐに、こんな貼り紙があった。なるほど、内線で案内があるのか。

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見上げると、天井は自宅の2倍ほどの高さがあった。ビジネスホテルだけど、立派なホテルだった。

左手には、自分の身長よりも高いパーテーションが並んでいた。PCや電話を片手に、忙しそうにする看護師さんたちの様子が少しだけ見える。

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1週間過ごしてみてわかったけど、彼らは基本的にパーテーションからこちら側には来ない。唯一来るのは、1階の「診察室」が担当の医師・看護師か、よっぽど体調の悪い人への往診時だけだろう。

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パーテーションを通りすぎると、エレベーターが4台あった。私の部屋は5階のだった。エレベーターのボタンは一部押せないようになっていたので、おそらくそこが関係者の待機場所や物資置き場になっているのだろう。

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ホテル療養時の体調

部屋に到着してすぐ荷物を置き、ベッドに身を投げた。疲れた。とても疲れた。

ここ数日ずっと家ですごしていたので、久しぶりの外出は体力を大きく消耗した。さらに、呼吸の調子も万全ではなかったので、部屋に到着するころにはすっかり息があがってしまっていた。酸欠なのか、頭痛も少しした。

ホテル療養時の症状は以下の通り。療養終了までずっとこのような状態が続いた。

・36.5~37.3℃くらいの熱
・嗅覚異常(匂いが分からなくなるタイプ。異臭がするタイプの人もいるらしい)
・つーんとした鼻の痛み(嗅覚異常の症状の1つらしい)
・薄い煙の中で呼吸をしているような、呼吸のしづらさ
・鼻水
・疲れやすさ

ちなみに発症初日の症状は以下の通り。

・38℃の熱
・全身の倦怠感
・ひどい悪寒
・下半身の痛み
・頭痛
・咳
・鼻水

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発症初日よりはずっと体調が良くなっていた。倦怠感や下半身の痛みが消えてくれたので、動いたり作業をしたりするのも以前ほど苦痛ではなくなっていた。

しかしそれが治るのと同時に、嗅覚異常や若干の呼吸障害が出てきた。ずっと薄い煙の中で呼吸しているような息苦しさが発生し始めたのだ。常にストレスはあったし、「いつ急変するんだろう」という不安もあった。

更に「疲れやすさ」も厄介だった。コロナの後遺症として「疲労症」というものがあるそうだが、その手前のような状態が、ホテルに移った頃から療養終了後まで続いた。療養が終わって帰宅しても、30分立って料理することすら辛いような状態が続いていた。

それでも初日のような辛い症状が長引かなかったことや、急変のないまま療養を終えることができたのは、本当に幸運だったと思う。


ホテル療養についての案内

部屋について3分後、内線が鳴った。電話は看護師さんではなく、事務局の人から。ホテルは医療従事者だけではなく、「事務局」という市の職員さんたちも協力して運営してくれているのだ。

「最初にお渡ししたビニール袋の中を確認してください」

そういわれて袋をあけると、体温計・パルスオキシメーター(酸素飽和度をはかるもの)・ボールペン・マスク・ルームキー・お水と、それから「宿泊療養のしおり」が入っていた。

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療養のしおりには、ここでのタイムスケジュールや体調不良時にどうしたら良いか、差し入れ時のルールなどが書いてあった。

「そのしおりに沿って説明しますので」と、電話口の男性が慣れた口調でホテルでのルールをし始めた。


ホテル内のルールとタイムスケジュール

ホテルでは基本的に自由な生活ができるが、2つだけ大事なルールがある。

1つ目は、お弁当配布時以外は部屋の外へ出ないこと。感染拡大防止のためには、当然必要なルールだ。友人と同じタイミングで療養している場合でも、部屋の行き来はしちゃだめ。井戸端会議ももちろんだめ。でも家族連れは大体同じ部屋で療養しているようだったので、安心してね。

2つ目は、症状報告、体温測定、お弁当配布などのタイムスケジュールを守ること。ホテルで決まっているタイムスケジュールはこんな感じだ。

07:30|朝の検温・オンライン症状報告
08:00~09:00|朝食のお弁当配布
12:00~13:00|昼食のお弁当配布
17:30|夕方の検温
18:00~19:00|夕食のお弁当配布

基本的にはこのタイムスケジュールに沿って行動することになる。ただしお弁当は、食べないことがあっても問題ない。私も朝はあまり食べない方なので、取りに行かなかったこともあった。

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ホテルで決まっているルールはそのくらい。それ以外の時間は部屋で何をしいても良いし、消灯時間なども決まっていない。シャワー・お風呂はいつでも自由に利用できるし、テレビも自由に観られる。あ、騒音に配慮するなどの一般的な宿泊時のマナーは守ろうね。

ホテルに行くまでは「囚人のような息苦しい生活をするのかな」と少し不安に思っていたけど、全然そんなことはなかった。


ホテルの備品について

部屋にあるベッド、シャワー、ケトル、ドライヤーなどは自由に使える。コップなどの食器は撤去されているけど、食事ごとに使い捨ての箸やスプーンが配布されるし、紙コップも用意されている。

歯ブラシなどは持参するよう事前に保健所から言われており、部屋からもアメニティは撤去されていた。ただ実際に行ってみると共用スペースに少し用意されていたので、もし持参した物資が尽きてしまったら相談してみると良いかもしれない。

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トイレットペーパーは持参不要だけど、ティッシュペーパーは持参せねばならなかったりとルールはまちまち。ホテルや自治体によっても大きくルールが異なるところなので、事前によく確認してほしい。

持ち物については、こちらの記事↓をご覧いただければと思います。(必要順にしるしをつけたりして結構がんばって書いたので、よかったらのぞいてあげてください。笑)

ちなみに、外部から支援物資が届くこともあるみたいです。私がいた時はからっぽだったけど、野菜ジュース(意外と野菜・フルーツ不足感が慢性的にあったので)やふりかけが届いていたら、多分小躍りしただろうなあ。

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お弁当や薬の受け渡し方法

お弁当は所定の時間に、1階の宴会場へ取りに行くことになっている。感染防止のため事務局が部屋に運んであげることはできないため、体調の悪そうな方が頑張って取りに来ているのは見ていて辛かった。仕方ないけど。

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私のいたホテルでは、長机に袋がずらーっと並んでいて、1人1つ持っていくシステムになっていた。写真は大分みんな回収し終わった頃の様子です。

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ちなみに奥のパーテーション横にずらーっと並ぶ灰色のやつがゴミ箱。部屋で出たゴミやお弁当の空き容器は、袋でしっかり縛った上でこの共用ゴミ箱に捨てに来ることになる。


お弁当袋の中には飲み物も入っている。お弁当1つにつき1本、水かお茶か野菜ジュースがついていた。水は基本的に部屋の蛇口のもの(飲料用)を使って欲しいとのことだったが、経口補水液やゼリー飲料などを用意してくれていることもあるので、体調が辛いときは相談してみるといいかも。

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そういった体調不良者用の補食は内線で依頼でき、次のお弁当配布の時に一緒に袋に入れておいてくれる。袋にはあらかじめ内線で伝えられた整理番号が書いてあって、会場の隅に別で置いてくれるようになっている。このようにして、事務局の方と接触せずに物資を受け取ることができるのだ。

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前述した通りお弁当は取りに行かないことがあっても問題ないが、補食をお願いしている時は、配布時間終了間際になると「大丈夫ですか?取りにこられますか?」という内線がくる。そういったところでも療養者の安否をしっかりチェックしているようで、ありがたいシステムだと思った。


体調不良時のこと

私が滞在していたのは、中等症患者用のホテル。「真琴さんはお若いですが喘息をお持ちとのことで、重症化リスクもありますから」と案内してくれた。

このホテルでの医療体制は下記の通り。

【医師】月~土の9~17時は常駐。左記以外の日時は、看護師さんに相談の上、電話診察などを行ってくれる。
【看護師】24時間ホテル内に常駐。昼は内線、夜は携帯ですぐに連絡が取れるように待機してくれている。
【薬】医師の判断により、咳止めや解熱剤など程度であれば処方可能。
【医療機器】レントゲンなどの機械はないため、検査をするときには病院に行かねばならない。

療養中は朝7時半と夕方17時半に検温・酸素飽和度の測定を行い、悪かった方の数値を翌朝の症状報告時に記載するよう決められている。症状報告は、スマホでQRコードを読み込み、オンラインで行う。操作は難しくない。

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体温・酸素飽和度・症状を記載して送信すると、待機している看護師さんが確認してくれる。症状があるときや不安なことを記載した時は、30分以内には内線で折り返しをくれた。

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また定期報告の時間に関係なく、体温が39℃以上ある時や酸素飽和度が95%以下の時、体調が悪い時、不安な時はすぐに連絡するよう、いろんな看護師さんから口を酸っぱくして言われた。

体調が辛い時は、簡単な風邪薬程度も処方してもらえた。胃薬や咳止め、頓服薬などを用意してくれているそうだ。(持病の薬などは処方できないので、忘れず持参してね。)

他にも経口補水液やゼリー飲料などを支給してもらえることもある。在庫次第にはなるけど、体調不良時には相談してみるといいかも。

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身体的な症状だけでなく、精神面への配慮もある。「心の健康づくり電話相談」という部門が用意されている他、療養のしおりには「友人と連絡を取るように」「テレビなどのコロナ情報は極力見ないように」というアドバイスも記載されていたので、参考にしてみてほしい。


看護師さんとのやりとり

看護師さんとは、1日に2回くらいは話していたと思う。症状報告で気になることを書いた時にはすぐに内線をくれたし、胃の調子を悪くしていた時は「今日はお弁当食べられそう?おかゆ出しとく?」という内線もくれた。

それから、「携帯に私たちの番号を登録して、枕元に置いて寝るといいよ。いつでも駆けつけるから、安心して過ごしてね」という声かけもよくしてくれていた。そんな看護師さんたちの声は、いつも本当に優しくてほっとするものだった。

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看護師さんとのやりとりで1番印象的だったのは、私が胃を悪くしておかゆと薬を出してもらった翌日のこと。「おかげさまで、今朝はおいしくご飯が食べられそうです」と症状報告時に書いたところ、すぐに折り返しの内線がきた。

「よかったねえ、治ったの!メッセージをくれる人は多くないからねえ、私たちも嬉しいし、すごく頑張ろうって思えるんだよ。教えてくれてありがとうね!」

嘘じゃなくて、慰めじゃなくて、本当に喜んでくれているのが声色から伝わってきた。私がぽちぽちっと送った簡単なメッセージだったけど、送ってよかった。少しかもしれないけど、私も力になれてよかった。

ときには穏やかに優しく。ときには元気に明るく。忙しいにもかかわらず私を思いやってくれるその声は、すごくすごく頼もしかった。

本当にありがとうございました。


洗濯・掃除のこと

洗濯や掃除の準備はきちんとしていった方が良い。

ホテルには洗濯機はないし(稀に使えるホテルもあるようだけど、感染拡大防止のことを考えれば使わない方が良いかと)、ベッドメイクや清掃なども入らない。(ごみはお弁当配布場所で回収してくれる)

ので、洗濯や掃除は自分でしなければならない。とはいえ、体調の悪い中での洗濯・掃除は大変。なるべくせずに済むように、荷物の準備をしていった方が良い。

私はヒートテックや下着を多めに持っていくことで、洗濯をほとんどしなくて良いようにしたけど、それでも1〜2度は洗濯をした。

粉の洗濯洗剤は配布してくれるので、洗面やお風呂にお湯をためて、じゃぶじゃぶ洗ってなるべく絞った。手で絞るのには限界があるので、

①バスタオルに脱水したい服を広げる

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②巻く

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③踏む

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という脱水方法を使ってみてほしい。まじで結構乾きます。

掃除については、
・コロコロ
・浴槽掃除用のスポンジ
・ウェットティッシュやアルコールスプレー
・ファブリーズなどの除菌消臭剤
があれば、良さそうかなと思いました。


差し入れのこと

しおりを見ると、どうやらこのホテルでは差し入れもできるようだった。差し入れ不可のところもあるとツイッターで見ていたので、ありがたいなと思った。

差し入れのルールをまとめると、こんなかんじ。

◆スーパーなどで購入したものはレシートを確認の上3日目から差し入れOK(初日から差し入れが殺到すると処理しきれなくなるためだと思われる)

◆自宅の洋服等やレシートの無いものは5日目から差し入れOK(自宅のものにウイルスが残っている可能性があるため)

前日の午前中までにホテル事務局へ申告が必要(差し入れする人の名前や車種など)

◆差し入れ可能時間は基本的に午前中のみ(それ以外の時間も応相談)

◆受け取りから本人への受け渡しまで時間がかかることもあるため、冷蔵庫保管の必要な生ものなどはNG(果物は微妙だけど、みかんはOKだった)

◆レジ袋に大きく療養者のフルネームを書いてもってくること

受け取った荷物は、お弁当配布時に隅の机に置いておいてくれる。共用スペースに置きっぱなしになるため、貴重品などの差し入れも控えるように言われた。


私の場合は、母が5日目に差し入れをしてくれた。「もう私帰るからいいのに。スタッフの人も忙しいんだよ」と言ったけど、母は「もう行くって決めたから!」と譲らなかった。

「お母さんは心配するのが仕事」というメッセージを送ってきたくらいだ。よっぽど心配で、とにかく何かしてあげたい気持ちだったんだろうな。

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母が差し入れてくれたのは、以下のもの。

・カップのコーンスープ
・梅干し
・ふりかけ状の韓国のり
・みかん
・ビタミンタブレット
・鼻うがいキット
・次亜塩素酸水

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次亜塩素酸水は私のリクエスト。ホテルには消毒液が用意されていなかったので、共用レンジやエレベーターのボタンなどから再感染しないか不安だったので頼んだ。


差し入れの後、母から電話が来た。

「部屋5階だっけ?窓見て窓」というので外を見ると、母が遠くの車から顔をのぞかせていた。(後にエクストリーム面会と名付けた)ただの母だけど、ちょっとでも顔を見られてなんだか嬉しかった。


不安な気持ち

先に書いた通り、ホテルにうつってからの私の症状は安定していた。最後まで急変もなかった。ただ、不安な気持ちはどうしても後をついて回った。

私はもともと肋間神経痛という胸のあたりが時々ちくりと痛む疾患を持っている。そのため普段なら胸が痛んでも「またか」くらいに思っていたのだけど、療養中に胸が痛むと「急変」という言葉が頭をよぎった。「遺書とか書いとく?」とも思った。書かなかったけど。


ただこんなふうに、不安になっても何もいいものを生まないんだよね。未知のウイルスに感染して、体調が悪くて、1人ホテルに隔離されてたら、そりゃあ気持ちも落ち込んじゃう。

でも黙ってそのまま引っ張られるのは絶対にいけない。自分の好きなことをして、好きな人と喋って、「休みだぞ~!」とポジティブに有意義に過ごす方法を考えてほしい。


安心して楽しむために大事なのは「知って備えること」。

看護師さんの電話番号を登録して枕元にかならず置いておく。

不安な疾患は先に伝えておく。

体調の変化をスマホやツイッターにこまめにメモしておく。


そんなふうにできる準備を全部したら、あとはなるべく楽しく、リラックスして過ごす方にシフト。むずかしいかもしれないけど、病は気から。気持ちを明るく保つのは大事。(でも体調とはよく相談してね!)

療養中に得た1番の知恵は、これかもしれない。


療養中の過ごし方

療養中は「ぼっち感」に悩まされると思う。

でも病は気から…ということで、私はなるべく楽しく過ごすように頑張っていた。

療養中どんなことをして過ごしていたか、下記の記事で少し紹介していますので、よかったらこちらも覗いてみてください。


療養終了の条件

体調とも格闘しながら、楽しくすごそうと試行錯誤した7日間。長かったけど、過ぎてみるとあっという間だったような気もした。

自宅に帰れる条件は2つ。

①発症から10日が経過
②最後の72時間で、高熱や呼吸障害などの重篤な症状がないこと

完治したとみなし、翌日から社会復帰してOK

これだけクリアすれば、感染力はないと国から認められる。


ちなみに後遺症の有無は、感染力の有無とは関係ない。味覚・嗅覚異常や倦怠感は、半年以上続くこともザラ。後遺症に悩まされている人が近くにいても、間違っても変な差別をしないでね。

かくいう私も、まだ嗅覚異常がなおってない。それどころか、今まではただ匂いがわからないだけだったのに、今度は「異臭症」も発生し始めた。後遺症については、下記の記事をみてほしい。


①発症から10日が経過
②最後の72時間で、高熱や呼吸障害などの重篤な症状がないこと

完治したとみなし、翌日から社会復帰してOK

これは医学的根拠のある基準であり、これ以降は待機や観察期間なしに社会復帰して良い。インフルも解熱して数日経過したら治った認定されるし、それと同じです。

したがって、退所時にPCR検査は行われない。だから、陰性証明なんてものはない。絶対に復帰してきた方に「陰性証明をだせ」なんて言わないでください。

一応、いつからいつまで療養していたかという「療養証明書」というものはあります。もし会社や学校の特別欠席の認定に書類が必要な場合は、療養証明書の提出をお願いしてください。


①発症から10日が経過
②最後の72時間で、高熱や呼吸障害などの重篤な症状がないこと

完治したとみなし、翌日から社会復帰してOK

大事なことなので、3回書きました。
これは国が認める、正式なコロナ完治の条件です。これを満たせば社会復帰してOKで、その際PCR検査はしないため陰性証明もありません。

心配な方は下記の和歌山県の研究結果をご覧ください。

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「今日から72時間、問題がなければ予定通り帰れますよ」

「もう問題ないですね。回復おめでとうございます。明日の10時にホテルを出られることになります。お迎えの方にご連絡を」

そんな内線が入ったら、療養終了の合図。脱出ゲームのクリア時のような、そんな気持ちになった。



療養終了当日の朝

朝の症状報告のあと、「今朝の体調も問題ありませんね。本日10時に退所になります。ご準備を」と内線が入った。

最初に部屋に用意されていた大きなゴミ袋に、全てのゴミ、アメニティ、シーツ類、バスマットなどを入れる。袋を二重にしたら、口をぎゅっと縛って、部屋の隅へ。

ぱんぱんに膨らんだリュックと荷物を持って、証明用に挿していたルームキーを抜いた。「じゃあね、ありがとうね」なんて心の中で呟いて、7日間を過ごした部屋を後にした。


久々の外は、雪が降っていた。久しぶりの外の空気。鼻がつんとするくらい冷たい。積もった雪が白くて眩しい。来るときは積もっていなかったので、脱ぎ履きがしやすいサンダルで来てしまった。靴下が少し濡れて冷たい。

「10時に退所の真琴さんですね。ルームキーなどは、そこのテーブルに置いてください」と事務局の女性から声がかかる。きちんと人の顔を見て話したのは、7日ぶりだ。

ルームキー、体温計、パルスオキシーメーターが入っていることを確認して、7日間お世話になったセットをテーブルに置いた。

もう、毎日自分の体温や酸素飽和度を測る必要はない。自由にどこへでも行っていいし、誰といつ会っても良い。これで私は晴れて感染者の肩書きを脱したのだ。


療養は終わった。

しかし「お疲れさまでした、帰って大丈夫ですよ」と言う事務局の女性は、3mも向こうから私に声をかけるのだった。

問題はまだまだありそうだなと思った。


久しぶりのぬくもり

「おかえり」

玄関脇に停めた車の横で、待っていてくれた彼。グレーのコートの肩に少し積もった雪と、手の冷たさが愛おしい。荷物を受け取って「重いね、よくこんなに持ってきたね」と彼が笑いかける。

頬をかすめる雪は冷たいけど、それでもその日はとてもあたたかかった。


さいごに

以上が私の療養生活でした。

帰り道にローソンに寄ったのだけど、久々に好きな食べ物を好きなように買える、そんなことがとても嬉しかったです。

その気持ちをそのままツイートしたら、たくさんの方が「よかったね」とメッセージをくれたり、いいねを押してくれたりして、もっと嬉しかったです。

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それから、帰ってから彼が作ってくれたなべ焼きうどんが、とてもおいしかった。療養中に出たお弁当もおいしかったけど、誰かが私のために作ってくれた、ほかほかなごはんのおいしさってほんとーに格別!です。

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途中でも伝えたけど、コロナにかかった時に大事なのは「ポジティブに考える」ということ。

いつ重症化するかわからなくて怖いし、会社や周りの人にかけた迷惑が気になるし、責任も感じてしまう。でも、それよりまず自分が元気になることが大事。

病は気から。落ち込んでもなにも生みません。

だから、そんなことは一旦おいておいて、しっかり治すことに専念してください。体調がそれほど悪くないのであれば、思い切って「休みだ~~~!何をしようかな!」という気持ちでいるようにしてみてください。


もちろん、感染対策は日頃から怠らないでね。

ポジティブになろうとは言ったけど、罹患して改めてコロナって最悪だなと思いました。みんなに心配や迷惑をかけるし、症状は辛いし、後遺症も最悪。罹患して4か月以上たった今も、嗅覚異常が完治しません。

※後遺症については、こちらの記事へ↓


でもいくら対策していても、かかる時はかかってしまいます。

今すべきなのは、最低限の感染対策。

手洗い・うがい・消毒・マスク・換気、それから人との接触の制限。


そして、かかった時のために、かかったらどうなるのか・どうしたらいいのかを「知って備えておく」「視野も心も広く持つ」ということ。

「罹患した人が悪い」と責めるのではなくて、「次は自分がその立場になるかもしれない」「自分だったら、どんな言葉をかけてほしいだろう」と考えて、相手の立場に立ってサポートしてあげてください。


もし友達がコロナになったら「できることあったら言ってね!元気になったらまた遊ぼうね」と言ってあげてください。

部下や同僚がコロナになったら「報告してくれてありがとう。仕事のことは大丈夫だから、まずはゆっくり治して」と言ってあげてください。


「明日は我が身」です。


こんな考えが、たくさんの人に浸透したらいいなと思います。


それでは、またよかったら。


※この記事は以前書いた記事を再編・加筆したものです。


私に、コーヒーを一杯ごちそうしてくれませんか。