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「失われた時を求めて」と「プルーストを読む生活」を読む 89

失われた時を求めて

9巻、614ページまで。モレルとシャルリュス男爵のおかげで、カンブルメール家とヴェルデュラン夫妻は決定的に仲違いした。もともと反りが合わず対立していたから、二人のことはきっかけに過ぎない。ヴェルデュラン夫妻はカンブルメール家の家を別荘として借りている賃借人なのに、特に立場が弱い様子はない。

主人公は、級友ブロックと決定的に仲違いする。それは主人公が汽車を離れてブロックの父親に挨拶に行くのを、断ったからだった。理由はアルベルチーヌとサン=ルーを汽車の客室に残して二人きりにしたくなかったため。しかしそんな理由をブロックに説明するのがどうしても嫌だった主人公は、ブロックに最低なやつだと判断されて縁切りとなった。なんとも馬鹿らしい。

主人公は、バルベック地方で長く過ごし、各駅に友人ができ、親しんだことによって、かつてそれぞれの駅名から抱いていた神秘的なイメージを失った。期待していたことの現実を知り、慣れることで失望するのは、主人公の心の移り変わりの毎回のパターンだ。地域だけでなく人に対しても同じ。それにしても前回バルベックを訪れた4巻のときとは違い、主人公はあらゆる交友関係を広げた。いっちょ前の社交人士となってしまった。

さて、9巻の最後はアルベルチーヌの話で終わる。つくづくアルベルチーヌに対する主人公の態度は最低で、人でなしと言える。めちゃくちゃひどい扱い。今回は、ものすごく前の、印象的だったフリが効いてくる。アルベルチーヌの新たな交友関係が明らかになり、主人公は一人で勝手に大きなショックを受ける。

とにかくわがままで自分勝手な主人公。何がどうひどいかは、また次回あたりに書くことになりそう。いくつかサロンに招待されていたにも関わらず、急にバルベックを去り、パリに帰ることになった。9巻で「ソドムとゴモラ」は終わり。最後の方になって、「ソドムとゴモラ」のように主人公が焼き払いたくなる街として、「シェルブールとトリエステ」という地名が出てきた。次回より第五篇「囚われの女」が始まる。

プルーストを読む生活

447ページまで。著者は炎上について何やら言っている。いつものように、あまり興味がわかない語り口調だ。下品という言葉を連発しており、その態度を差別的に感じる。ネットでよく取り上げられていた「主語がでかい」という話について触れている。やはり、自分にとってはどうでもいい話題。

ここ最近見かける「失われた時を求めて」の引用文が、いったいどこの文章なのか全く見覚えがない。だからてっきり追い越されたと思っていたのに、いつの間にか自分が追い抜かしていた。「プルーストを読む生活」ではまだ「ソドムとゴモラ」が終わっていない。でも引用文には見覚えがない。読み飛ばしているのだろうか。

著者は若い頃、よく奇声を発していたようで、最近それがまた出ているようだ。自分もそういうことあっただろうかと思い返してみたが、あまり思い当たるところがない。著者の若い頃の奇声は、承認欲求や性欲が出どころだったそうだ。まあ、それだったら僕にはないか。

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