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「失われた時を求めて」と「プルーストを読む生活」を読む 106

失われた時を求めて

11巻、449ページまで。前回読んだ部分でアルベルチーヌに別れを切り出した主人公だったが、もともとそんな気はなく主人公の思い通りその話は流れる。これ以降、お互いの意思疎通がややスムーズになってきた感がある。隠し事があるにせよ、以前よりも戸惑いがなくなった。なんとなく暗黙の了解と言うか、お互いがちょっとわかってきている。少なくとも関係としては順調に見える。

ヴァントゥイユのソナタをアルベルチーヌが弾く。ピアノではなくピアノラという楽器が出てくる。当時の自動演奏ピアノだけど、完全に自動演奏というわけでもなく、ペダルを踏むリズムで個性が出るとか。

主人公とアルベルチーヌとの間で芸術談義、特に「失われた時を求めて」ではこれまであまり見られなかった文学談義が行われる。会話に出てくる本の中で、僕が唯一読んだことあるのがドストエフスキーだった。でも白痴は読んでおらず、カラマーゾフの話だけはなんとなくついていける。

これまでに何度も出てきたセヴィニエ夫人や、今回はトマス・ハーディ、ボードレール、ゴーゴリなんかに触れられている。どれも全く読んだことないです。「失われた時を求めて」を読んでいると、教養があれば理解が深まる箇所が膨大にある。今回は文学だけど、普段は絵画や演劇についての意見や感想が各所に散りばめられている。それらも一応は注釈で紹介されていたりするけれど、もともと知っているのと知らないのとでは大きく変わる。

芸術の同一性について、話が出てきた。

「文学でもそうだよ。」そう言った私は、ヴァントゥイユのさまざまな作品に認められる同一性を想い返しながら、偉大な文学者たちはただひとつの作品しかつくらなかった、というか、自分がこの世にもたらすただひとつの同じ美を多様な環境を通じて屈折させただけだ、とアルベルチーヌに説明した。
11巻 P421

こういう話するんだなー。僕は音楽評論とか芸術評論をかじったことがないから疎いんだけど、同じテーマであったり、もっと言えば同じ作品を作り続けている、みたいなことはよく聞く。アーティストなんかでも、毎回同じ歌に聞こえるとかもそれなのかな。追求というか、突き詰め型というか、ここで言われているのもそういう話なのかなと思った。一般的というか、典型的な話題というか、そう遠くない話で飲み込みやすい。

それはそうと、「失われた時を求めて」でマドレーヌの話しか出てこないとにわかだと思われるから、「失われた時を求めて」を本当に読んだ人は、マドレーヌの話以外も何か言えたほうがいい。似たようなシーンでも3つぐらい言えたほうがいい。そんなあなたに便利な、都合のいいうってつけの、ダイジェストな一文があった。

ヴァントゥイユのすばらしいフレーズ以上に、私がこれまでの人生でときどき味わった特殊な歓び、たとえばマルタンヴィルの鐘塔を前にしたときや、バルベックの街道で何本かの立木を前にしたとき、あるいはもっと話を簡単にしてこの書物の冒頭、一杯の紅茶を飲んだときに味わった特殊な歓びに似通ったものはなにもなかった。
11巻 P419

ほとんど序盤のシーン。一杯の紅茶の部分がマドレーヌのくだりにあたる。

プルーストを読む生活

560ページまで。著者はときどき行く薬局の店員さんについて書いている。名前や傾向を覚えてくれていて、とても手際がいいそうだ。僕は店員に覚えられたり把握されることがあまり好きじゃなくて、客としてはなるべく無個性でありたいと思っている。名物店員とか、愛想がよかったり個性が強い人も苦手だ。そういうの、店員にはまったく求めていない。

著者は先鋭化すると生きづらいと書いているけれど、僕は先鋭化大歓迎。全部オンライン通販でも構わないし、店員なしのオールセルフレジでいい。そういう商売とかビジネスの場に、人間性みたいなものは一切求めていない。どちらかと言えば、テクノロジー万歳。人間の場合、個体差の振れ幅をノイズに感じる。そういう余計なことに煩わされず、購買の対象だけに集中したい。

著者は9月時点で、雑誌や漫画も含めて150冊読んでいるそうだ。数字に意味がないといいながら出してくるあたり、きっと言いたかったのだろう。僕はカウントしていないからわからない。読んだ本の記録はとっているから、おそらく数えたらわかるんだと思う。

僕はたくさん読むと、読んでいない時間も含めた一冊に割いている時間が相対的に短くなり、あまりよくないと思って増やさないようにしている。一冊ずつに集中して、思い入れを持って読みたい。たくさん読むと、それだけ一冊あたりの印象が薄れてしまう。内容の好き嫌いにかかわらず。

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