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「失われた時を求めて」と「プルーストを読む生活」を読む 97

失われた時を求めて

10巻、421ページまで。前回「プルーストを読む生活」でついうっかりネタバレを食らってしまい、今回とりあえずその部分まで100ページ弱いっきに読んだ。

といってもその内容の大半は、相変わらず主人公のアルベルチーヌに対する監視なので、その部分については特に変化なし。主人公は嫉妬感情について雄弁に語っている。嫉妬という感情には、どうやら怒りが付随しているらしい。僕は彼女や奥さんが他の人と恋愛関係になっていたりすると、怒りの感情はなくただひたすら落ち込む。うちの奥さんは、怒りというより幻滅→見限りという感情が働くらしい。僕たちのこれも嫉妬のうちに入るのだろうか。

僕らには「怒り→束縛」という流れがないため、嫉妬の感情をいだいたまま関係が長続きするということがない。だから主人公とアルベルチーヌがなぜ関係を保っているのか、よくわからない。そういう人がいることは知っている。でも感情に寄り添うことはできない。主人公に至っては、嫉妬心こそが恋心だと思いこんでいるフシが有る。その証拠に、平常時にはアルベルチーヌに対しての関心を失っている。それは単に執着というのではないのだろうか。物を捨てられない的な。

この時代のフランス人がみんなそうだったのか、世相がどうだったのかは知らないけれど、どうもやはり19世紀末から20世紀にかけてのフランス、ブルジョワ階級では、女性は男性の所有物であるという認識が当たり前のようだ。日本もこの時代はそうだったかもしれない。だから主人公とアルベルチーヌについても、互いの存在を対等に考えるという意識が最初から抜けている。現代人の感覚で読んでしまうと、当時のことはいろいろ見落としてしまう。

マルセルマルセル連呼している。作者と主人公が同一人物ではないという設定はどうなったんだ。

憧れの老作家、ベルゴットが死に至るまで、丁寧につづられていた。作中で亡くなった人は、他に主人公の祖母も病死に至るまでを長くしっかり描かれていた。レオニ叔母は亡くなっているけれど、コンブレー在住なので立ち会っていなかったか、子供の頃だったかで詳しくは触れられていない。

医者とのやりとりも、この小説にはよく出てくる。プルーストは医者が嫌いだったのか、信用していないのか、だいたい悪く書かれているような気がする。これも現代人の、現代医学を知った目で読むと全てインチキに見える。昔の医療は大変だなーというぐらいの感想しか出てこない。そしてこの感想は、医療技術の進歩が続く限り、未来永劫引き継がれることだろう。そうあってほしい。

そしてまた戻ってきたアルベルチーヌは、虚言癖なのかなと思えてきた。しかし、虚言癖とそうでない境界はどこにあるだろう。誰でも嘘はつく。無意識であれ意図的であれ、結果として嘘をついてしまうことがある。じゃあどこからがいったい虚言癖なのか。基準は?明確な基準なんてないはずで、虚言癖という言葉があるだけ。主人公も全く信頼できない語り手であり、アルベルチーヌとどっちがまともなのか。どちらもおかしい。小説はそういうもんか。

プルーストを読む生活

513ページまで。前回「プルーストを読む生活」内で「失われた時を求めて」を追い越されてしまい、ネタバレになってしまったため今回「プルーストを読む生活」はほとんど読み進めなかった。

著者はベルゴットの死の場面が美しいと書いている。「収容所のプルースト」という本でこの部分を読んだことがきっかけで「失われた時を求めて」を読むことにしたそうだ。なんだ、著者は最初からネタバレしていたのか。ベルゴットの死ぬシーンについては、意味のないことを頑張るのが大事、みたいな話かな。

著者は小説を読むのが速い。4日で4冊読んでいる。僕はハマらないと遅くて、「失われた時を求めて」なんかは全然進まない。あと小説を読むのは体力を使う。想像する。読み終えてもしばらくは考え続ける。だから4日で4作とか絶対無理で、小説以外の方が読むのは早い。考えがまとまりやすい内容だと、すぐ次に進むことができる。

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