「失われた時を求めて」と「プルーストを読む生活」を読む 99
失われた時を求めて
11巻、53ページまで。10巻の終盤では老作家ベルゴットの死に触れられていたが、今回はスワンの死の予感について語られている。予感。この時点ではまだ亡くなっていないのに、後に来る死について早くも触れられているのだ。どういう伏線なんだ。スワンという人物の、主人公にとっての重要性みたいなことを言っている。今後の前置きとしか思えない。
主人公はアルベルチーヌを自宅に残して、ヴェルデュラン夫人宅(バルベックの別荘ではない)のサロンに向かっている。そこでまたシャルリュス氏の話。シャルリュス氏は同性愛者ということで、いろんな人から避けられている。プルーストはこの人物をどういう立ち位置に置いているのだろう。かわいそうな人としてだろうか。
同性愛そのものは、真面目なものというより悪徳とされている。真の性的指向というよりは、物足りない人の遊びの一種、好き者のような扱いだろうか。この時代のフランスでの、同性愛の捉え方がそうだったと伺える。キリスト教的道徳観の影響も強い。
シャルリュス氏はファッションセンスや絵画の見極め、ピアノを弾いたり音楽の才能など、センスの塊の人物として描かれている。貴族の名門で、ゲイであることによる世間との葛藤があり、気性の荒い人物としても描かれている。かつては結婚もしており、奥さんが先に亡くなっている。物語の主人公であってもおかしくない。「失われた時を求めて」でも主人公よりも主人公らしい。
アルベルチーヌにも、主人公からは同性愛者の疑いがかけられている。海外文学で、これだけゲイにまつわる話が登場する作品を読むのは初めてだ。「車輪の下」はちょっとそんな感じだったか。日本のは三島由紀夫ぐらい。
プルーストを読む生活
523ページまで。森博嗣の引用。引用だけ。本についての著者のコメントなし。引用だけ読まされても「はあ?」という感じ。しかしここからまだ20ページほどいろんな本の引用だけが続くようだ。
著者は「夏休みの間の日記をサボりたい」と書いている。それで読んだ本の中でときめいた一文を抜粋しているようだ。本当に無駄なページだった。ありえない手抜き。さすがに飛ばしていいだろうか。
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