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「失われた時を求めて」と「プルーストを読む生活」を読む 92

失われた時を求めて

10巻、127ページまで。「百年の孤独」を読んでいたり「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を読んでいたりしていて、他にもばたばたしていたため「失われた時を求めて」が一ヶ月空いてしまった。続きから読んでも内容を全然覚えていない。

確か、ゲルマント公爵が選挙に落ちたところからだった。政治の選挙ではなく、ジョッキークラブの会長の選挙。ジョッキークラブとは、貴族の社交界の一種だったはず。ブレオール氏とか、名前が出てくるけれど誰だっけ。巻頭の人物紹介によると、サロンのメンバーらしい。

それから、ゲルマント公爵の弟であるシャルリュス氏の話。シャルリュス氏と、軍楽隊のバイオリニストのモレルと、仕立て屋のジュピアンが出てきた。三つ巴である。そこからジュピアンの姪と、モレルの結婚話が持ち上がる。ジュピアンの姪とモレルの結婚話は、なぜかシャルリュス氏を中心に展開している。二人が結婚すると、シャルリュス氏は二人を支配、所有しやすくなると目論んでいる。

モレルはモレルで、結婚することによりシャルリュス氏に縛られなくなるんじゃないかと思っている。どちらもけっこうひどい。こういう支配権を巡り奪い合う時代なのだろうか。ジュピアンの姪の心情については言及されていない。

主人公は今、アルベルチーヌと同棲している。常日頃から一緒にいる時間が増え、余計に嫉妬心が掻き立てられ、ひどいノイローゼ状態になっている。アルベルチーヌについては、主人公視点からのほのめかししかなく、実際何を考えているのか、どう思っているのかが全く読めない。結局アルベルチーヌは主人公を裏切っているのか、それとも主人公の誇大妄想なのか。時代背景、文化的側面からいまいちピンとこず、文体からも読み取りづらい。

このまま薄ぼんやりとした印象のまま読み進んでいると、いつの間にか事実が決定づけられ、置いてけぼりか追い抜かされているのか、わけのわからないまま「失われた時を求めて」の読書体験は続くのだろう。

プルーストを読む生活

469ページまで。著者は体調を崩して寝込んでいる。そんなときに映画「オールド・ボーイ」を見たそうだ。Netflixで。オールドボーイは確か日本のマンガ原作の韓国映画。僕は大学生のときに、バイトの人に教えてもらって見た。パク・チャクヌク監督。「渇き」などが有名だけどオールド・ボーイ以外は見たことない。いつかどこかで、何かのタイミングで見たい。

韓国映画は去年「バーニング」を見た。他のイ・チャンドン作品も見たいと思った。「パラサイト」はまだ見てない。いつか見たいと思ったまま2年が過ぎた。あ、新感染は見たけど特にそんなだった。ゾンビ映画が好きというわけじゃない。

著者は読みたい本のタイトルを片っ端から挙げている。そのうちどれくらいを、どれくらいのペースで読むんだろう。本をたくさん読む人は本当にたくさん読むからなー。また雑誌スペクテイターが出てきた。雑誌はたまに買うんだけど、ほとんど読まないことが多い。パラパラめくるだけだったり、いくつかのページは読むけれど、通読はまずしない。もったいないと思う。

よく買う雑誌は、TRANSITしか思い浮かばない。毎号買うなんてことはない。気になった回だけ。それも全部読まない。トランジットは1,800円ぐらいするからもったいない。一時期はバックナンバーが中古市場で値上がりしていたけれど、今は再販されているようだ。

家にまつわる本の話題が出てきた。「未来のコミューン」という本を読んでいるそうだ。家かー。家については、自分は本当にどうでもいいと思っているところがあるから、家にまつわる話題は食指が動かない。前にも書いたかもしれないけれど、ここでは惜しみなく「前に書いたかもしれない」ことを繰り返し書いていこう。

僕は引っ越しが多く、3年ぐらい移動しながら海外で過ごしたこともあり、家への興味が全然ない。雨風暑さ寒さ虫が凌げればいい、安ければいい、嫌だったら出ていけばいいと思っているから、家についてどっしり腰を据えてあれこれ考えたことがない。

じゃあ自分が興味あることはなんだ。好きなものはいろいろある。でも詳しくはない。スニーカーとか調べだしたらずっと見てしまう。レコードも、レコード屋よりはウェブ上であれこれ視聴して時間が過ぎる。映画はたくさん見る時期があって、今はそれほどでもない。昨日はアピチャッポン・ウィーラセタクン監督の「光りの墓」を見てきた。新作映画「メモリア」の公開と合わせて、各地で過去作が上映されている。アピチャッポン映画は配信にも全然なく、ソフトはバカ高かった。こういう機会でときどき上映されており、逃さず見れてよかった。

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