「失われた時を求めて」と「プルーストを読む生活」を読む 96
失われた時を求めて
10巻、327ページまで。辻馬車という言葉が出てきた。これまでに何度も出ていたと思う。辻斬りという言葉があるからなんとなく意味はわかる。馬車のタクシー、流しの馬車みたいなもんだろう。辻馬車は一生使うことのない言葉だと思った。馬車そのものに乗る機会は、ヨーロッパの観光地とか行けば意外とある。僕は乗ったことあったっけ、覚えていない。ロバの背中ならヨルダンで乗った。揺れすぎてカメラを落としそうになった。
ジルベルトの話題が出てきた。コンブレーのご近所だったスワンの娘、主人公の幼馴染であり、初恋の相手であるジルベルト。子供だった3巻の当時に初恋のように書かれていたが、その当時ジルベルトには好きな人がいたことが、10巻の今になってジルベルトの当時の召使いから明かされた。当時のことは、主人公の一方的な片思いだったことがよくわかる。ジルベルトも決して主人公を嫌っていたわけではなく、気を持たすようなところがあった。
牛乳屋の娘を部屋に迎え入れるシーンで、主人公はまたもや自分の恋愛観を語っている。主人公が女性に対して抱く感情というのは、相手を征服したいという感情のようだ。ときどきそういう人がいる。「俺色に染めたい」などと言う人も近いかもしれない。自分には全くない欲望で、わからない。人を変えることができるという自分の万能感だったり、有能感を得たいのだろうか。
何年か前にマンガで読んだ、恋愛工学の話がそんなだった気がする。女性をランク付けして、ランクの高い女性を落とすことに満足感を覚えるといったやつ。「失われた時を求めて」の主人公はランクを上げるゲーム性を楽しんでいるわけではなく、単純に、自分と全然接点のない人に欲情して迫っていく人のようだ。
このあたりは不倫や浮気をくり返す人の心理なのかな。僕自身はむしろ全く逆で、手の届く範囲で手軽に済ますことしかしなかった。挑戦したことがない。遊びではなく真剣なときは、欲望で相手に接していなかった。
アルベルチーヌへの疑いについて、主人公は再び語っている。今回はアルベルチーヌの発言を順番に並べたて、間違いなく嘘をついていることを示唆している。このあたりの発言も全て主人公の視点でしかなく、実際に作中でどうだったか客観的には判断できない。けれどアルベルチーヌの人となりについて、だんだん主人公の妄言とも言い切れなくなってきた。実際のところどうなんだ。わからない。
プルーストを読む生活
509ページまで。「人間を人間扱いできないバカの横柄さ」という言葉が出てきた。そういう人が嫌いらしい。これはおそらく「店員に偉そうな人問題」に通じる話なのだろう。ネットやSNSでも、と言っている。
この手の人には2種類いて、相手の気持ちを想像しない人と、想像する人の2種類だと思う。前者は我が我がで、相手がどう思おうがお構いなしな人。後者は、相手が嫌がるからわざとやる人。全く同じ状況で全く異なるこの2者が登場するのに、だいたい雑にまとめられている。
例えば、人間を人間扱いできないバカとは、この2者のうちどちらにあたるか。両方だと思うかもしれないが、正解は前者。後者は人間扱いしているからこそ、このような態度をとる。
著者は、存命の作家の本を(図書館で)借りて読むことに後ろめたさがあるそうだ。これまでさんざん図書館を活用しながら、同時に何冊も読んでいることを吹聴していたのに、今更そんなことを言い出した。本当に思っているのかな。「プルーストを読む生活」は残り三分の一ぐらいしかないのに。
僕は図書館で読むことに後ろめたさはないけれど、作者に「図書館で読みました」と直接言ったりすることにはさすがに後ろめたさを感じる。さいわい、そんな機会はない。
著者は、接客してくれる相手のことをまったく信頼していないそうだ。マッサージだとか服を買いに行くとか、そういう場の接客を指している。信頼なんているのだろうか。服は自分で選ぶものだし、店を選ぶのも自分で、あまり信頼とか考えたことなかった。マッサージにしても、重要なのは腕であって接客はどうでもいいかな。物を買ったりサービスを受けるにあたり、自分にとって接客の比重は著しく低い。全部オンラインで済ませて平気。
510ページを開いてネタバレに遭遇した。また知らず知らずのうちに追い越されてしまった。
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