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「失われた時を求めて」と「プルーストを読む生活」を読む 91

失われた時を求めて

10巻、91ページまで。主人公はアルベルチーヌと一緒にいると、その一挙一動に四六時中嫉妬するから、一緒に出かけられないという謎理論を展開する。そして自分の嫉妬が狂気じみていることを自覚しているようだ。異常な精神状態、病に近いと。このあたりで主人公が繰り広げる嫉妬理論は、恋人や配偶者に対する嫉妬というよりも、むしろ浮気相手や不倫相手、愛人に対する嫉妬に思える。

たとえアルベルチーヌが私のそばで私から勧められた快楽を味わったとしても、それを余すところなく監視でき嘘をつかれる心配がないのなら、私は嫉妬など感じなかっただろう。またアルベルチーヌが私の知らない遠くの土地へ出かけてしまい、私にはその土地を想像することもできず、その地でのアルベルチーヌの暮らしを知りうる可能性も知りたい気持ちも欠く場合、やはり嫉妬を覚えることはなかったかもしれない。どちらの場合も、前者では知見が、後者では無知が、それぞれ同じく完璧になることによって、疑念が消え失せるからであろう。
10巻 P63-64

ポイントは浮気という「実態」ではなく、浮気にまつわる「疑念」にあるようだ。それはつまり、自分の嫉妬心という気持ちさえかき乱されなければ、相手の実態はどうでもいいことになる。そんなものは果たして健全な関係と呼べるだろうか。この主人公は、終始自分の気持ちが一番大事、自分が安心できれば何もかもよしで、人のことなど何も考えていない。西洋的個人主義とは、突き詰めればそういうことなのだろうか。

アルベルチーヌは、主人公の家の近くに住むゲルマント夫人に憧れている。作中のパリ社交界では、ファッションリーダーのゲルマント夫人。本文にも「パリのベストドレッサー」と書かれている。主人公はアルベルチーヌのために、ゲルマント夫人のような服装はどこであつらえることができるのか、本人に直接訊ねに行く。

ゲルマント夫人の部屋着として紹介されているのが、フォルトゥーニというデザイナーのドレス。注釈として写真が掲載されており、どんなものなのかうかがい知ることができる。実物を見たければ、美術館などに展示されているようだ。

ゲルマント夫人のモデルになった、グレフュール伯爵夫人などが愛用していた。

久しぶりにドレフュス事件の話題が出てきた。いつの間にか終息していたらしい。ドレフュスは釈放されており、後に無罪判決が出る。作中では当時の時事問題として、サロンでは誰がドレフュス派か反ドレフュス派か、何度も話題にあがった。

プルーストを読む生活

462ページまで。著者は7冊の本を同じタイミングで読んでいるそうだ。そのときの気分で読む本を変えるという。おそらくきっと、最初から最後まで読み通す読み方ではないのだろう。昔知り合った人にも、てきとうに開いたところを読むとか、最初から最後まで読まないという人がいた。

一度読み終えた本なら、僕もそういう読み方をすることがある。でも基本は最初から最後まで通して読む。先日ようやく柴田元幸訳の「ナイン・ストーリーズ」を手に入れて、「コネチカットのアンクル・ウィギリー」まで読んだ。柴田元幸訳「ナイン・ストーリーズ」は数が少ないのか、中古市場で値上がりしている。メルカリなどで安く出るとだいたい瞬殺。

著者はちくま版「失われた時を求めて」の8巻に入ったようだ。8巻が分厚くて、途中でやめてしまった場合の言い訳をしている。僕は家庭の事情で忙しくなり、9巻一冊を読み終えるのに二ヶ月かかった。今もペースは落ちているから、全部読み終えるには、当初予想していたよりも長い時間がかかることだろう。

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