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「失われた時を求めて」と「プルーストを読む生活」を読む 90

失われた時を求めて

10巻、51ページまで。主人公は、バルベックからパリの自宅へアルベルチーヌを連れてきた。それから父の書斎をあてがい、同居することになる。そうなった理由は、アルベルチーヌがヴァントゥイユ嬢と幼い頃から親しいと知り、近々クルージングの予定が入っていたのを行かせないようにするため。

ヴァントゥイユ嬢は同性愛者で、主人公はアルベルチーヌがその手ほどきを受けているんじゃないかと疑っている。ほぼ確信していると言ってもいい。それで嫉妬に狂い、会わせないように匿うことにした。第五篇のタイトル「囚われの女」とは、アルベルチーヌのことを指す。

もともと主人公は、そろそろアルベルチーヌと別れたいと思っていたのに、誰かの影が見えると強烈な嫉妬心をあらわにしている。アルベルチーヌへの恋心はないと、何度も出てくる。わけがわからない。母親には、アルベルチーヌと結婚する旨を伝えている。何がしたいのか理解できない。

自分の方を向いている間は安心して、ないがしろにしていた対象が、自分以外の人の方を向いた瞬間に嫉妬に狂うという現象は、たしかに世の中にはあるかもしれない。それにしても主人公の感情の振れ方や、行動は極端だと言える。アルベルチーヌのことなど何も考えておらず、あまりにも身勝手でひどい。

そういう時代なのだろうか。それとも現代においても、恋愛の形としてはありきたりなのか。相手の気持ちとか、不利益などをないがしろにして、自分の感情を満足させるためだけの人間関係なんて、あまりにも不健全だと思うんだけど。アルベルチーヌはよくこの主人公に付き合ってられるな。

プルーストを読む生活

455ページまで。著者は過去に自分が書いたブログを4年分ほど読んだ。過去の自分はキレッキレで、今の自分とは別人のようらしい。なるほど、僕は過去の文を読んでもキレッキレだとは思わないけれど、今の自分と地続きでない感じはよくある。昔はもっと真面目だったなーとか。

何年分とか、まとめて読み返すことはない。過去に書いたものを読むときは、そのとき自分がなんて書いたか思い出せないから読むことが多い。または、同じことを以前にも書いていたことを確認するため。だいたい何度も同じことを考え、同じことを思い、同じ感想を書く。何も変わらない。人間は、情報量が増えることはあっても、そんなに成長しない。

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