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「失われた時を求めて」と「プルーストを読む生活」を読む 110

失われた時を求めて

12巻、207ページまで。前回読んだ部分で、主人公とアルベルチーヌの別れについて触れたが、そこから50ページ進んでもずっとアルベルチーヌとの別離を嘆いている。全ての場所、風景からアルベルチーヌとの思い出が連想され、主人公はただひたすら悲しみに暮れている。

主人公は自分とスワンが似た者同士だと思っていたようだ。あまり意識していなかったが、確かにどちらも金持ちのブルジョワで、芸術に造詣が深く、恥ずかしい恋愛をしている。2巻がまるまる「スワンの恋」に割かれていたのも、主人公とスワン、主人公とアルベルチーヌの恋愛、スワンとオデットの恋愛を対比させる意味合いがあったようだ。

3巻ではスワンの娘ジルベルトと、主人公の初恋が描かれていた。それは終わったあとあっさりと引き下がったというか、当初予想していたのとは違ってきっぱりと薄れていった。しかし今回のアルベルチーヌへの未練は、なかなかそうはいかない様子。いや、このあとどうなるのかはわからないけれど。とにかく終わったあともずっと、ながながとアルベルチーヌの話は尽きない。

この主人公の性格からすると、ここまでアルベルチーヌのことを引きずるのは自然であり、しっくりくる。「失われた時を求めて」がこの展開で三流メロドラマに陥らない理由の一つとして、この執拗さがある。おかげで巻もページ数も長くなる。12巻はこのままずっとこの話が続いてもおかしくない。

プルーストを読む生活

588ページまで。著者は「あるノルウェーの大工の日記」という本を読んで、労働について考えている。周囲が「名古屋」化するという言葉が出てきた。「夢見る名古屋」という本を読んで、名古屋について考えていたことが思い出されたらしい。

出身地である名古屋があまり好きじゃないようだ。僕は好きでも嫌いでもないけど、名古屋に住んでいた頃に名古屋についてあれこれ考えた。よく名古屋人は見栄っ張りだとかプライドが高いとか言われるそうだ。でも僕はこの、「見栄っ張り」と「プライドが高い」というのは、まったく別物だと思っていた。プライドには積み重ねてきた根拠があり、見栄には薄っぺらな表層しかない。

例えば、京都人もプライドが高いと言われることがあるようだ。それは主に文化面のことで、千年の都である京都で築き、継承してきた文化は表層のものとは言えない。それを誇るのは決して見栄ではなく、プライドと言えるだろう。「名古屋人はプライドが高い」と聞いたとき、名古屋人のプライドは何を根拠としているのだろう?と思ったことを覚えている。

今回読んだ部分にゼルダの話は出てこなかったが、僕もゼルダを買って今やっている。ゲームアワードを獲り、国内だけでなく海外でも評価され、続編も発表されてずっと気になっていた。しかしなかなか買うタイミングがなかったところ、この「プルーストを読む生活」でゼルダのプレイ日記が開始された弾みで買ってしまった。

ゼルダの伝説過去作は、僕にとっては難しすぎて全然手を出してこなかった。多分今作が一番簡単になっている。ぬるいというより、下手な人でも進められるようになっている。ゲーム上手い人には上手い人向けの要素がしっかり備わっている。僕はこういう手を動かす系のゲームが苦手だから、毎日死にまくっている。

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