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「失われた時を求めて」と「プルーストを読む生活」を読む 123

失われた時を求めて

14巻、104ページまで。さて、この「失われた時を求めて」も最終巻に入りました。残りわずか、ゆっくり読み進めることにしよう。前巻の終わり、主人公はアートの本質について確信を深め、物思いにふけっていたが、舞台はゲルマント大公邸の社交界に戻る。

主人公は療養から復帰して以来の久しぶりの社交界で、過去に見知った人々と挨拶を交わすが、最初誰だかわからなかった。出会う人出会う人、その老けっぷりに驚く。

すべての招待客たちに生じた変貌を目の当たりにしてはじめて、その人たちにとって時間がすぎ去ったことに気がつき、それは私にとっても時間がすぎ去ったことを露わにするものであることを悟って動転した。

14巻 P39

主人公は同級生のブロックを老人扱いしておきながらも、周囲から自分の老いを突きつけられてショックを受ける。いつもながらこの主人公は、棚上げが甚だしい。その様子はいつもながら滑稽としか言えない。

たしかにブロックの顔に、むしろ老人の特徴と言うべき兆候をいくつか認めて愕然とした。ブロックが紛れもなく歳をとっていたからで、人生はかなり長い歳月を経過した青年から老人をつくるのだと私は悟ったのである。

14巻 P43

ジルベルト・ド・サン=ルーが私に言った、「わたしたちふたりだけでレストランへ夕食に行きません?」それに答えて私が「若い男とふたりきりで夕食へ行ったりすれば評判を落とすとお考えでないのでしたら」と言うと、まわりの人たちがみな笑うのが聞こえた。それで私はあわててつけ加えた、「いや、むしろ年老いた男と、と言うべきでしたね。」

14巻 P49

いや君たちいったい何歳なんだ?ブロックとジルベルトと主人公はだいたい同年代のはずで、僕の見積もりでは30代ぐらいのはずだったんだけど、もっと遥かに時間が経っていたのだろうか。それとも100年以上前の30代は初老と呼ばれてもおかしくないのか。この「今何歳?」問題は、「失われた時を求めて」を読むにあたり最初からずっと付きまとってきた。

主人公はこの社交界で、これまで作中に登場したありとあらゆる旧知の人と、挨拶を交わす。その面々は総じて年老いており、さながら同窓会のようだ。ゲルマント夫人ことオリヤーヌ、サン=ルーと結婚した幼馴染のジルベルト、旧友ブロックのように何度も登場した人だけでなく、シャテルロー公爵、アルジャンクール氏、カンブルメール氏、ルグランダンといった、もう誰だったかあやふやな人たちまで勢揃いしている。

主人公はひたすら老化について言及している。あまりにひどい言い草もあった。

醜すぎる婦人たちは、顔に何らかの歪みを備えていたとはいえ、美しい婦人たちに勝るいくつかの利点を持っていた。第一に、この婦人たちだけはすぐにそれと見分けがついた。そんな形の口がパリにふたつとないのは周知のことで、もはやだれがだれか判然としないこの午後のパーティーでも、その口を見れば私にもだれと判別できたのである。第二に、この婦人たちは歳をとったように見えなかった。老いというのは人間的なものであるが、この婦人たちは怪物だったから、 クジラと同じで「変わった」ようには見えなかったのである。

14巻 P72

これはわざわざ言わないといけないことなのか。その後も元スワン夫人オデットや、モレルが登場したり、ヴェルデュラン夫人まで出てきたり、オールスターさながらの賑わい。亡くなった人以外はほぼ登場人物が集まっている。そしてそれぞれの人物について説明があり、この小説を象徴するような社交界小説の内容になってきた。

さらに社交界にふさわしくないと思われていたような人や、主人公が知らない人も多く参加している。かつて貴族や社交人士たちの交流の場だった社交界とは、意味合いが変わってきているようだ。時代が変わり、階級の区別も緩くなり、社交界はただのパーティーになった。余計に老人たちの同窓会らしく見えてくる。

プルーストを読む生活

665ページまで。著者はストラグル、ストラグル連呼している。この言葉ってそんなに常用日本語カタカナだっけ。「読書の日記」でも見かけたような気がするから、保坂和志あたりがよく言っているのだろうか、それともなんかそういう哲学界隈の人がよく言うのだろうか。著者が好きな言葉なんだろうけど、毎回ピンとこないから葛藤とか言ってほしい。IT業界の人や若手社会人のカタカナ用語連発みたいだ。若い頃はよくやってた。

僕がよく使っていた用語はなんだろう、エビデンスとかは僕が会社員の頃からあった。NOIとかレンダーとかは業界用語だったなー。もう全然覚えていない。普段使うカタカナ用語あまりない。リスケとMTGとかもあまり使わない。東京の人がよく言いたがるのかもしれない。

著者は自分の奥さんを「奥さん」と呼んでいるそうだ。由来は「小さなお茶会」のぷりん奥さんだって、なにそれ。調べてみると少女漫画らしい。つまり奥さんを「奥さん」と呼ぶのはあだ名のようなものなんだとか。へえ、そうなんですか、めんどくさいですね。

著者は「男性」であり「先進国」に住む「既婚の正社員」であるという特権的ポジションにいることに、加害者の引け目を感じているらしい。しかもその立場から異議を唱えるべきだと思っているそうだ。

僕も似たような立場だけど、加害者の引け目なんて感じない。男性であることも先進国に生まれたのも、僕のせいではない。正社員ではないが、結婚したのだってたまたまだ。恵まれていようが加害者と言われようが、僕に責任はない。僕の生活が多くの人の犠牲の元に成り立っていようと、「知らんがな」と思う。自分は自分の生活に精一杯で、毎日頭を抱えている。見ず知らずの他人の人生に責任を感じるほどの余裕はない。「異議を唱えるべきだ」と思う人が、思って自己満足にふけっているだけじゃなくて、どうぞ行動してください。加害者の引け目を感じているなら、人生をかけてそれと向き合えばいいんじゃないかな。僕にはそんな余裕ない。

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