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【音楽×珈琲 鑑賞録】10月13日~セザール・フランク 『ピアノ五重奏曲』

音楽観を鍛える鑑賞録。 
エンディングまであと【80日】
10月13日のテーマは、【謎】

とりあげる作品は、 
セザール・フランク /
『ピアノ五重奏曲』

です。

セザール=オーギュスト=ジャン=ギヨーム=ユベール・フランク
César-Auguste-Jean-Guillaume-Hubert Franck
1822年12月10日 - 1890年11月8日
ベルギー出身、フランスで活躍した作曲家、オルガニスト

今回とりあげるセザール・フランクの「ピアノ五重奏曲 ヘ短調」(Piano Quintet in F minor)は、1878年から1879年にかけて作曲された作品です。

セザール・フランクは現ベルギーのネーデルラント連合王国に生まれ、幼少期からピアノの才能をもち、弟とともに音楽の英才教育を受けました。
教育熱心な父のおかげでパリ音楽院に入学するまで進路を進めますが、その熱心さが仇となり絶縁状態に。
それからはオルガニストとして有名になり、パリ音楽院教授で教諭する傍ら作曲家への道を開いていきます。

フランス国民音楽協会の草創期メンバーの会員でもあり、そこで出会ったカミーユ・サン=サーンスとの曰くがあるのが今回の作品です。

この作品は初演を1880年1月17日に国民音楽協会で行われました。
演奏がマルシック四重奏団とサン=サーンスのピアノです。
フランクはこの作品をサン=サーンスへ献呈しようとしましたが、サン=サーンスは曲の内容にひどく不満を持ったらしく、演奏が終わると献辞の書かれた自筆譜を残してそのまま舞台を後にしてしまったそうです。
その後の二人の仲が気になりますが、「ペール・フランク」(父フランク)の異名をもつ人なので、大人な対応をしたのではないかと想像してしまいます。

なぜサン=サーンスがフランクの自筆譜を置き去りにしたのか。
逸話としては、フランクが指導していたオーギュスタ・オルメスの存在があるといいます。
オルメスはフランクに師事する以上の関係をもっていたのではないかと噂されていました。
サン=サーンスはオルメスに恋愛感情を抱き、結婚を申し込むものの断られてしまっています。
その気持ちのもつれを経ての作品『ピアノ五重奏曲』となれば、サン=サーンスの気持ちもわからなくもありません。
当のオルメスはといえばワーグナー愛好家で、ともにワーグナー好きで妻子持ちの詩人カテュール・マンデスと同棲し、5人の子供をもうけたそうです。
ルノアールの絵画作品のモデルにもなっているといいますし、価値観って多様だな、と改めて思い知らされる世界でした。

情熱が音楽を導いている側面もあるわけで、想いの強さと軋轢があるほど照らされる作品です。この作品が芯に響くような人生を歩むことも道かもしれませんね。

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