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音楽制作note 完全自己中音楽史 2004年〜2005年

note連載Day:33です。
睡眠時間 22:14〜7:01 7h30min. 睡眠スコア81
パワーナップもままならず、お疲れモードだったとはいえ、
寒いなかのお布団大好きおじさんからは卒業したいところです。

さて、本日は2004年〜2005年の話を。
この期間にあったできごとといえば、
オリジナルバンドの終幕と、
独りっきりの音楽制作に努めた時期でした。

都内のライヴハウスで1ヶ月に2・3回という頻度の活動をしていましたが、
音楽でビジネスをするという難しさと、
5人組という多様な思想の齟齬により解散しました。
こちらの記事でも記したのですが、
思い入れが深いバンドだったため、”臍を噬む”という感慨をここで覚えました。
当時の思考法で活動を続けていても、どのみち長くは続かなかっただろうし、
貴重な経験であったことは確かなのですが、
もっとやりようがあったんじゃないか、
と思い返してしまうことがあることも事実です。

少なくとも断絶してしまうことはなかったんじゃないか、と回想してしまう。

この件を考えると、
ブロニー・ウェアの『死ぬ瞬間の5つの後悔』を想起します。

・自分に正直な人生を生きればよかった
・働きすぎなければよかった
・思い切って自分の気持ちを伝えればよかった
・友人と連絡をとりつづければよかった
・もっと幸せを求めればよかった

このままだと、5つの後悔をたっぷり抱えて死ぬのかな。
と暗澹たる思いですが、せめて忸怩たる思いにまでは昇格したいところ。
失ってしまった時間は取り戻せませんが、
今この瞬間は常に自分の手に委ねられているわけで。

2005年、独りでイチから曲づくりをしてライヴで演奏したときも、
そんな気概がありました。
ただ、当時は気負いが上回ってしまって、
納得のいくステージを果たすことができず、
挫折という慙愧に堪えないものを味わいました。

いまこうして記事にしてみると、
あの当時の挫折ポイントから、
結果的に人生をどこか斜に構えて見てしまっている気がする。
もちろん、その時々で自分なりの最善を尽くしていると思うけれど、
ずっとBUMP OF CHICKENの"ロストマン"の心情を抱えてしまう。

あの歌詞、最後の3行がいまでも追いつけない。
追いつこうとしていただろうか?
結果的にはそうじゃない。
停滞したまま、"終わった人"として、
世間に石を投げているだけじゃないか?
そんな問いが沸いてしまった。
けれど、
これから、大いに"応えて"いこうじゃないか。
あれからもう15年も経ち、ロストマンも成長したと胸を張ろう。
未だ世界を愛せたとはいえないけれど、死ぬまで歩くことはやめない。
この音楽史を経て観る自画像は相変わらず不細工でも、
再会を祈り、踏み出せる足はまだある。

明日、2006年〜2019年という停滞した音楽史の感慨を綴って、
いましかできない音楽制作に邁進しよう。

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