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【音楽×珈琲 鑑賞録】4月7日~ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 『交響曲』第5番「運命」

音楽観を鍛える鑑賞録。
4月7日のテーマは、【謎】

とりあげる作品は、
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン /
『交響曲』第5番「運命」

です。

"Thus Fate knocks at the door!"
「このように運命は扉をたたく!」

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
Ludwig van Beethoven
1770年12月16日頃 - 1827年3月26日
ドイツの作曲家、ピアニスト。

人類の音楽的宝具が今日きましたかー。
どんな言葉を綴っても語り尽くせぬ名曲なだけになにを掬いあげたものか。
そう思いながら、上記の言葉に目がとまる。

かの有名な動機である「ダダダダーン」部分が「運命」という通称を表しているわけですが、ベートーヴェンの弟子アントン・シンドラーの「冒頭の4つの音は何を示すのか」という質問に対して、ベートーヴェンは「このように運命は扉をたたく」と答えたのが由来になっています。
ただ、シンドラーはベートーヴェンの「会話帳」の内容を改竄していたことが明らかになっており、信憑性は疑わしいといいます。

いずれにしても、この「運命」という通称にふさわしい動機であり、世界各国でも通じるものになったということは、それだけ的を射た表現だということでしょう。
ドイツ語ではSchicksalssinfonie(運命交響曲)。英語は "Fate" または "Destiny Symphony"フランス語: "Symphonie du Destin"、イタリア語:  "Del Destino"、中国語: "命運交響曲"、朝鮮語: "운명(運命)"と呼ばれているそうです。

ここで、「中国は"命運"なんだー」ということを今回初めて知ったのですが、この「運」と「命」がテレコになっているだけで、だいぶ印象が違うことに気づきました。
「命運」を辞書で引くと「身の定め」がまっさきに出てきます。
「運命」も同様の意味合いですが、ニュアンスとして「命運」の方が人間の意思を感じます。「命運が尽きる」という言葉がそのイメージを引っ張っているのかもしれません。
かたや、「運命」はまさしくベートーヴェンの音楽がイメージを引っ張っている気がします。人間の意思とか関係なく、「運命が扉をたたく」という表現から感じるように、「委ねている」。
一緒くたにはできませんが、アミニズム信仰が深い日本と、中華思想の歴史をもつ中国との違いみたいなものを思わされました。

「運」が先か「命」が先か。
鶏と卵の関係のように、どちらが正解とかはありませんが、
捉え方によって、”Destination"(目的地)は変わってきます。
名曲、"Symphony No.5"を聴いて、自分はどんな運びで目的地に辿り着くだろうと夢想する。
いずれにしても人生を楽しみ抜きたいものですね。

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