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【音楽×珈琲 鑑賞録】12月6日~セルゲイ・プロコフィエフ 古典交響曲

音楽観を鍛える鑑賞録。
エンディングまであと【26日】
12月6日のテーマは、【作曲・演奏】

とりあげる作品は、
セルゲイ・プロコフィエフ /
古典交響曲

です。

セルゲイ・セルゲーエヴィチ・プロコフィエフ
Сергей Сергеевич Прокофьев
Sergei Sergeevich Prokofiev
1891年4月27日 - 1953年3月5日
ロシアの作曲家、ピアニスト、指揮者

交響曲第1番 ニ長調 作品25『古典』(Symphony No. 1 in D Major Op. 25, "Classical")は、1917年に完成した交響曲で、プロコフィエフが初めてピアノを用いずに書いた交響曲でもあります。

「もしもハイドンが今でも生きていたら書いたであろう作品」として作曲したもので、プロコフィエフ自身によって『古典交響曲』(Classical)と名付けています。
プロコフィエフはサンクトペテルブルク音楽院時代に作ったホ短調の交響曲を『第1番』にするつもりだったものの、未熟な作品だったと判断して、この『古典交響曲』を『交響曲第1番』と呼ぶことにしました。
初演は1918年4月21日にペトログラード(現サンクトペテルブルク)でプロコフィエフ自身の指揮によって行われています。

どこが「古典」かというと、ハイドン時代のオーケストラの多くが「2管編成・4楽章構成」で、この作品もその構成を踏襲しています。
ところどころにハイドンらしい軽快で優雅な旋律を用いていて、目指したハイドンの音響を垣間みせながらも思いがけないところで転調したりと、ひとところには収まらないプロコフィエフならではの旋律があり、やることの違いを見せつけるスタイルは流石の音楽家です。

この「古典交響曲」を作曲したのは、1917年のロシア革命真っ只中の時分で、ピアノも使わずに作曲しています。
作曲家としての力量とセンスを示していますが、国家がどんどん不安定になっていくことを危惧しロシアを離れることを決意。日本を経由してアメリカに亡命します。
その後はロシアから亡命した有名音楽家として、いばらの道を歩むことになりながらも野心的な作品を数多く手がけ、祖国に錦を飾るようにして帰国しています。

この「古典交響曲」は軽やかで颯爽としていて、作曲者の境遇にみるような心情は窺えない作品ですが、音楽の知見を知り倒したプロコフィエフの、「どこででも強かに生きてやるぞ!」という気概が窺えるようでもあります。
この作品からの変遷を鑑みれば、紆余曲折はありながらも、たしかに軽やかでしなやかな強さで生き抜いた音楽家の序曲を聴くようでもありました。

こうした時代や環境に人生を左右されながらも、しなやかで強かに生きていくように、学びを深めていきたいものですね。

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