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【音楽×珈琲 鑑賞録】6月17日~ヤン・ラディスラフ・ドゥシーク 「ソナチネ」作品20-1

音楽観を鍛える鑑賞録。
エンディングまであと【198日】
6月17日のテーマは、【音楽史】

とりあげる作品は、
ヤン・ラディスラフ・ドゥシーク /
「ソナチネ」作品20-1

です。

ヤン・ラディスラフ・ドゥシーク
Johann Ladislaus Dussek
チェコ語: Jan Ladislav Dusík
イギリス・ピアノ楽派の基礎を築いたボヘミア人作曲家・ピアニスト

ドゥシークは、今回この「ソナチネ」作品20-1 (6 Sonatina Op.20-1 in G major)のみ掲載されています。
ドゥシークの生き様や経歴は興味深いところがあるので、
抜粋しながら考えたことを綴ります。

ドゥシークは、1760年神聖ローマ帝国オーストリア大公国、現在のチェコ生まれ。
歴史の長い音楽一族の人間として「大ドゥシーク」との異名があります。
ボヘミアで音楽教育を受け、オランダ・ドイツ、そしてサンクトペテルブルクへと旅する音楽家、まさしくボヘミアンの人でした。
ロシアではエカチェリーナ2世、フランスではマリー・アントワネットの寵臣。
ロンドンに行ってハープ奏者で作曲家のジャン=バティスト・クルムフォルツの妻と駆け落ち。
演奏ではハイドンに大絶賛され、楽譜出版社のコッリと会社を興す。
そのコッリの娘と交際をはじめ結婚。クルムフォルツ夫人は見捨てる。
その後、会社が破産したため家族を捨てドイツに逃れる。
ドイツではピアニストとして成功し、プロイセン王子とも親交をもち乱痴気騒ぎ。
ナポレオン戦争が起こった後は、フランスへ。
演奏・教育・作曲活動などをフランスとプロイセンで行い、年齢を重ねるほど自制できなくなり酒浸り。52歳で亡くなる。

クズの本懐をみるような人生ですが、
手放しにどうしようもない人間だと思考を放棄することはできないところがあります。

この「人たらし」たらしめる容姿と才覚をもっていたドゥシーク。
ナルシストという概念があったのかどうかは定かではありませんが、
この人がピアノを舞台の真ん中に鎮座させ、
ピアニストの表情をよく見せられる横向きにしたという事実があります。
ピアノの進化を推し進め、表現の幅を広げただけでなく、ピアニストという存在をより高いレイヤーに押し上げた人物です。

そんな偉人の音楽。
今回とりあげた「ソナチネ」作品20-1は、とても軽快でバリエーションも豊か。
現在でも発表会などで演奏される課題曲にもなる楽曲です。
演奏者のなかには幼い子どももいて、さまざまな映像を見ていると、その演奏技術もさることながら表情の真剣さに目を見張ります。

なぜピアノが情操教育になるのかが窺い知れるところです。
「ゾーン」に入って物事に打ち込む体験があることは財産です。
現代の病は、過剰なマルチタスクが呪縛となる「スマホ脳」です。
それに冒されてしまったら、
いまここでやりたいやるべきことに集中などできません。

ピアノなんてやってられっかー!
とスマホに感心を奪われる前に、
振り返って財産になったと思える集中体験はしておいた方がいい。

ドゥシークの人間性云々はさておいて、
この楽曲に心血を注いだかどうかが分水嶺。
評価や優劣ではなく、
集中して取り組んだこと、困難に苦しんだこと、
その先にある楽しんだ経験を記憶に残せるように。

さもなくば、私のように、いつまで経っても他者が作ったコンテンツを貪るばかりの依存症に陥ってしまいかねませんよ。

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