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音楽制作note 完全自己中音楽史 1999年〜2003年

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note連載Day:32です。
睡眠時間 22:28〜5:16 5h50min. 睡眠スコア79
『ドラえも〜ん!どんな場所でも快適に眠れる道具を出してよ〜』
と、のび太なら絶対に言わない言葉を言いそう。

さて、完全自己中音楽史も中盤といきましょう。
大学生時代のお話です。
この時期は大学内サークルでバンドを経験し、
ギタリストとしてたくさんの音楽に触れることができました。
音楽の好き嫌いもなく、様々なコピーバンドを通して、
自らの雑多な音楽性が培われたのだと思います。
"雑多"と括ってしまうと自らの指向性がよく分からなくなるので、
その複雑さを見つめてみます。
バンドとしてカバーしたアーティストは、
"THEE MICHELLE GUN ELEPHANT"
"BLANKEY JET CITY"
"Cocco"
"THE YELLOW MONKEY"
"JUDY AND MARY"
"LUNA SEA"
"GLAY"
影響度合いではこの順番になります。
1曲だけカバーしたというアーティストもたくさんいますが、
少なくともこの時期に音楽の指向性をかたちづくったのは上記のバンドでしょう。

共通項は"日本での根強いファンが多くいるバンド"でしょうか。
なかでも、大学生でも手が届きそうな感じのする難易度、
認知度とポピュラー感、そしてダサさがないバンドサウンド
というのが当時の選曲には重要でした。
いま思うとおこがましい限りです。

これらの音楽性を経て、オリジナルに向かっていきます。
当然、大味のする音楽が出来上がっていきました。
学生バンドが陥るジレンマとは、
認知度の高いバンドをコピーした劣化版になってしまうため、
多くの衆目に評論されてしまうこと。
そして自らが最も辛辣な批評家になってしまって自己嫌悪になってしまう。

それを打開する方法は、ディスラプトすることでしょう。
古い要素を切り捨て、新しい要素を加味することで音楽を増強する。
当時の自分も音楽の幅を拡げたいと、様々なジャンルの楽曲に触れるべく、
CDショップでアルバイトをしました。

神奈川県の地域に根ざしたCDショップで、
大手と比べれば流通量の少ないところでしたが、
店内に流せる音楽や販促のレイアウトなど、
自分にも裁量を持たせてくれて、かなり自由度の高い場所でした。
おかげでジャンルをまたいだ音楽性の幅は異様に拡がったと思います。

そのCDショップで体験したことで思い出すことがあります。
それは年ごとにCDの売り上げがどんどん下がっていったこと。
時期的にも、コピーコントロールCD(CCCD)や、
レーベルゲートCDなどが現れ、違法ダウンロードが滅法増えていたころです。
当時の音楽を売る最前線だった身としては、
出てくる音楽に以前ほどの感動やワクワクが薄れたように思えた。
起承転結のあるポップスでも、期待するメロディラインをあえて外したり、
展開の盛り上がりがいまひとつ欠けていたり。
『音楽がつまらなくなってきたなぁ〜』と思ってしまったころでした。

今となれば、あれは王道の衰退、多様性の萌芽だった。
と思ったりします。
売り上げ低下は結果的にそうなってしまっただけで、
音楽の優劣とは関係がないことに気づかされました。
あの当時のつまらないと思っていた音楽も、
聴く人が聴けば史上最高の楽曲だと思えるものがいくつもあるでしょう。
音楽の用途はもっと多様で、あらゆるシーンや感情に反映され、
ほんとうに個人的な音楽があって良いのだと思います。

今ではカバーしきれるわけがないほどの音楽が存在し、
世界中、どこからでも聴いたり、繋がることができる。
あとは、作った音楽は届けたい人に届くように、
リスナーはほんとうに聴きたい音楽が聴ける環境をつくることが重要でしょう。

大いなる四騎士のリコメンド機能に左右されるのではなく、
自らの内在外在と向き合い、そこに沁みる音楽はきっといまもある。

そんな音楽が聴きたいし、作りたい。
そんなことを思った中盤の音楽史でした。

明日は、2004年〜2005年です。

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