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音楽制作note 完全自己中音楽史 1996年〜1998年

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note連載Day:31です。
睡眠時間 22:41〜6:22 6h39min. 睡眠スコア80
夜中の2:30ころ、猫のあーちゃんがこたつのコードを見つけたらしく、
『ぎしり・・・ぎしり・・・』といわせながら食んでいた。
この寒いなか勘弁してください。

さて、昨日から引き続き完全自己中音楽史を記していきます。
誰が望むか価値になるのか。
まぁ、ゆるゆるやっていきます。

中学3年生のときに、ギターを買ってもらったのです。
FERNANDESの紫色のギターでした。
それが高校1年生ではみごとに埃をかぶることになりました。
このときは、練習などしなくても良い曲を聴いていればセンスが磨かれてプロになれると思っていたのです。
そんな妄信的な状態ながら、なぜか歌詞は毎夜書いていました。

『いつかB'zみたいなスーパースターになるんだ!』
(Fコードも弾けんけど)

と、漫然と思っていたのでしょう。
思い浮かんだ言葉をメロディラインもない状態で、
それらしい歌詞を書き綴っていました。
そのノートが今でも残っています。

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ぱらぱらと捲ると、249という番号がふられている。
(しかも"SINGLE"と、ご丁寧な指示付き!)
十代半ばのバイタリティに脱帽してしまいますが、
インスパイアされた言葉の出どころがすぐ分かってしまうような、
なかなか香ばしい歌詞がこれでもかと載っていて、
がむしゃらだったな、と微笑ましく過去の自分を思う。

そんななか、1997年12月26日に衝撃的な音楽と出会います。
NHKのプロフェッショナルなら、ここでDsus4の効果音を鳴らすような場面。
それは、”ミュージックステーションスペシャル スーパーライブ97”
でのB'zです。
(またB'zかよ・・・)
と自分でも思うけど、完全自己中音楽史でのファクトなので仕方がない。
このときのテレビ越しにみたものが、人生の転換点になります。

1997年の初頭に発売された"マグマ"から、
アルバム"SURVIVE"と、期待を何度も上回る圧巻の活動遍歴。
個人的にもエポックメイキングなことが多すぎたなか、
"Calling"での、あの衝撃的なアウトロで、なんと表現していいのか・・・
一回死んだんじゃないか?と思います。
それ以前とそれ以降では、音楽に対するアプローチが変わりました。

Fコードもままならなかったけど、まずは"波"を弾けるようになりたい。
と、簡易コードを覚え、少しずつ少しずつコードを覚えていった。
"Calling"の掛け合いのギターソロ部分を弾けるようになりたい。
と、ビデオのリモコンとピックを持ち替えながら、
少しずつ少しずつそれらしいかたちにして、1曲弾き切ることをしていった。

そうして、憧れの気持ちが尽きることなく、
がむしゃらにギターを練習していきました。
もちろん、けっして上手ではなかったけれど、
没頭する感じは今でも凄かったなぁ、と覚えていて。

いま、何かしらの事に当ろうというとき、
この時の気持ちを思い出して発奮するようにしてみるものの、
逆に、この当時の残滓が音楽を縛りつけてしまっているような気もします。
この特異点以降、音楽は楽しむものというよりは、
感動を届けるものとか、人々の憧れとなれるようなものとか、
自分にとっては高尚なものになってしまったかもしれません。
音楽は、良し悪しがある。と無意識に判別しようとしたり。
演奏は、承認欲求を満たしたいための行動になったと言えなくもない。

こうして俯瞰的に観てみると、
現在の歳でも音楽をやるぞ!と青筋立ててしまうよりは、
ラクにやってみてもいいかもなと思ったりします。
ただ、何も考えずふわふわと音楽に向き合っても、
楽しくはなさそうなので、そのときどきのバランス感覚を大切にしながら、
"今を鳴らす"ということを大事にしていきたいですね。

明日は、完全自己中音楽史1999年〜2003年を綴ってみます。

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