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【音楽×珈琲 鑑賞録】3月4日~オットリーノ・レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」 × 亀山珈琲焙煎所 メキシコ エル・トリウンフォ カフェインレス

音楽観を鍛える鑑賞録。
それにあう珈琲をそえて。
3月4日のテーマは【音楽史】

とりあげる作品は、
オットリーノ・レスピーギ /
交響詩「ローマの噴水」
×
亀山珈琲焙煎所 /
メキシコ エル・トリウンフォ カフェインレス

です。

オットリーノ・レスピーギ
Ottorino Respighi
1879年7月9日 – 1936年4月18日
イタリアの作曲家・音楽学者・指揮者。

正直、最初「だれー?」となってしまいました。
無知を知るのも鑑賞録の意義。
しっかり学んでいきます。

『ローマの噴水』(伊: Fontane di Roma)は、1916年に作曲した交響詩。
後に作曲された『ローマの松』(1924年)、『ローマの祭り』(1928年)と共に「ローマ三部作」と呼ばれています。

『ローマの噴水』は4楽章構成。
第1部 夜明けのジュリアの谷の噴水
(伊: La fontana di Valle Giulia all'alba)
第2部 朝のトリトンの噴水
(伊: La fontana del Tritone alla mattina)
第3部 真昼のトレヴィの泉
(伊: La fontana di Trevi al pomeriggio)
第4部 黄昏のメディチ荘の噴水
(伊: La fontana di Villa Medici al tramonto)
というぐあいに、時間帯に応じたローマの名所である噴水の風景をモチーフにしています。

作曲したオットリーノ・レスピーギは、「新古典主義」の作曲家。
「簡潔な音楽」、「古典への回帰」をスローガンに、バッハやモーツァルトを模範にしていたそうです。

ここからは個人の感想ですが、
交響曲のダイナミズムを感じる、クラリネットのメロディがいい、メリハリがある、テーマがわかる、ホーンセクションが重厚でかっこいい、チューブラーベルの音が啓示的な雰囲気を醸し出していて厳粛な気持ちになる。
っていうか、現実世界でも近隣で定期的に半鐘が鳴っているので、ちょっと混乱しました。
ともかく、聴いていて素直に「いい曲だな」と思いました。
この流れで『ローマの松』、『ローマの祭り』と立て続けに聴いてみたいと思わせる誘引力があります。

レスピーギの音楽性を定義すると、「新古典主義」とありました。
そのことについて引用すると、

"過去の作曲家や古い様式への傾倒から、レスピーギを新古典主義音楽の作曲家と位置付けすることもできるが、実のところ古楽に基づくレスピーギの作品群は、「新ルネサンス様式」「新バロック様式」と呼ぶのが正確だろう。レスピーギは、古典派音楽以前の旋律様式や(舞踊組曲などの)音楽形式を、近代的な和声法やテクスチュアと好んで融合させている。"

ーオットリーノ・レスピーギ Wikipediaより抜粋

なぜひとは定義したがるのだろう、と思わされる記述ですが、
カテゴライズしてそのスキームから学びを掬いとろうとするのが、良かれ悪かれ人類を成長に導いてきました。
あえてレスピーギの音楽から学びをあげるとしたら、
"イタリア古楽の復興、そして古楽の再創造・構成のために古い音楽を利用した"というところ。
当時の音楽性は、もっと軽やかさを求めるトレンドだったところを、レスピーギは回帰の方向性に逆張りをした。
周りがどういう情勢であっても、在りたい自分と課題意識、その使命感があったからこの音楽性に舵を切った。
そのうえで成功を収めた要因は、多くのひとが古典を心根では愛し、示された楽曲そのものの良さがあったからこそでしょう。

音楽にあう珈琲を考えてみる

このレスピーギの音楽を受けて、淹れる珈琲も思考してみましょう。
昨日、カフェインレスのコーヒーを夜に愉しみ、今夜も同じように淹れてみました。

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カフェインレス(デカフェ)コーヒーはよく見かけますが、どのようにしてカフェインを除去するかご存知でしょうか?
ざっくり解説すると、
有機溶媒法: 化学薬品(ジクロロメタン)を使用して除去する。
二酸化炭素法: 液体二酸化炭素に浸け加圧して除去する。
水法(ウォータープロセス): 山の水を使用し、カフェインだけを除去した飽和水に生豆を浸けて除去する。

ちょっとなにを言っているのかわからない説明になってしまいました。
具体的に説明すると長くなりますので割愛しますが、日本で流通しているカフェインレスのほとんどは、二酸化炭素法か水法です。
今回いただいたのは、Descamex社が行うマウンテンウォーター・デカフェ製法によりカフェインが除去された深煎りのコーヒー。

飲んだ最初の印象は、「苦っ!」でした。
しかし苦味が後をひかない。コクがあり、コーヒーそのものの味わいはしっかり残っています。ただやっぱりなにか失われているかんじがある。それがカフェインの味なのかわかりませんが、コーヒーであることは間違いないけど違和感は拭えない。
夜やカフェインを入れたくないときには利用する価値はあります。
個人的には、コーヒーの代用品として愉しむというより、カフェインレスコーヒーそれぞれの違いを愉しむほうが面白いと感じました。

あえて紐づけるなら、バッハやモーツァルトと、レスピーギの音楽性を対比しても仕方がありません。なにが優れいている劣っているでもない。それぞれの個性を、おかれた環境に応じて愉しむ。
「いまここ」に対峙する意味で、レスピーギもカフェインレスコーヒーも探りがいのあるものですね。

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