【音楽×珈琲 鑑賞録】3月21日~ヨハン・シュトラウス2世 美しく青きドナウ
音楽観を鍛える鑑賞録。
珈琲録はお休みです。
3月21日のテーマは、【逸話】
とりあげる作品は、
ヨハン・シュトラウス2世 /
美しく青きドナウ
です。
ヨハン・シュトラウス2世
ドイツ語: Johann Strauss II.
1825年10月25日 - 1899年6月3日
オーストリアのウィーンを中心に活躍した作曲家・指揮者。
『美しく青きドナウ』(ドイツ語: An der schönen, blauen Donau)作品314は、1867年に作曲した合唱用の「ウィンナ・ワルツ」。
『ウィーンの森の物語』と『皇帝円舞曲』とともにシュトラウス2世の「三大ワルツ」に数えられ、その中でも最も人気が高いものです。
オーストリアにおいては、正式なものではないですが帝政時代から現在に至るまで「第二の国歌」と呼ばれているとのこと。
150年以上も前の楽曲が名曲として遺った場合、その複雑な背景と深遠さがわかる代表的な楽曲ですね。
正確に原題を訳せば、『美しく青きドナウのほとりに』というものになるそうで、ドナウ川の描写というより、人々の描写にフォーカスがあることを初めて知りました。
しかも初期は、陽気な(というよりやけっぱちな)歌詞があり、現在に聴くような荘厳で優美なものとは印象がまったく違うものでした。
第二の国歌となった所以は、1867年のパリ万博での演奏と、ナポレオン3世が臨席するイベント演奏で賞賛を受け、ロンドン公演でも大絶賛。この評判を経てウィーンでも知名度が爆上がり、バズったわけですね。
この年はシュトラウス2世にとって忘れられない年であったことでしょう。
この大ヒットを飛ばした7年後に、音楽評論家のエドゥアルト・ハンスリックが論評で、
「 皇帝と王室を祝ったパパ・ハイドンの国歌と並んで、わが国土と国民を歌ったもう一つの国歌、シュトラウスの『美しき青きドナウ(ママ)』ができたわけだ。」
と評したことを機にして、国家にふさわしい歌詞が1890年、フランツ・フォン・ゲルネルトによって改訂されました。
もはや作家の思惑を大きく離れ、現在に至るまでオーストリアのニューイヤーコンサートでは必ず演奏されるほど、国民的な作品に成り上がっていったわけです。
この、「国歌」にしたくてつくったわけではないのに、担ぎ上げられるほど高みへ昇華したメカニズムは一体なんなのか。その理由には思い当たる節があります。
わたしが住まう日本において、まさか「国歌」と形容されるとは思いもしなかった楽曲に、2000年Keyから発売されたゲーム『AIR』の主題歌「鳥の詩」があります。
この2つの楽曲に共通する点を考えると、不特定多数の「わしが育てた」というエネルギーの押し上げがある気がします。
ニッチなところに在籍しながら、メジャーを凌駕する圧倒的クオリティの作品を打ち出すことによって、爆発的に拡がる。
特別な存在、知る人ぞ知るところからの発露だったからこそ、強い思い入れの熱量が人々に伝播していったのではないかと想像します。
つまり、セグメントは極めて小さくていいから、そこにめがけて最高品位のモノを届けることが大切だということですね。
それにしても、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤーコンサートを観てしみじみ思う、美意識、世界観、文化の違い。
すべてのものごとに歴史があり、いまに至ることに深い感慨を覚えました。
改めて、異文化を知る面白さに心打たれましたね。
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