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【音楽×珈琲 鑑賞録】4月25日~ヨハン・クリスティアン・バッハ シンフォニア

音楽観を鍛える鑑賞録。
4月25日のテーマは、【逸話】

とりあげる作品は、
ヨハン・クリスティアン・バッハ /
シンフォニア

です。

ヨハン・クリスティアン・バッハ
Johann Christian Bach
1735年9月5日 - 1782年1月1日
 ドイツ出身の作曲家、クラヴィーア奏者。

J.S.バッハの末の息子で、バッハ一族で唯一のオペラ作曲家にして、生前に国際的名声を得た音楽家です。
イタリアでデビューした後、主にロンドンに住んでいたため、「ロンドンのバッハ」との愛称もあるそうです。

J.S.バッハは生前は教会音楽の作曲に勤しんでいたため、死後から79年後のメンデルスゾーンによるマタイ受難曲のベルリン公演で一般に認知度がつきましたが、それまでは、このクリスティアンを含む息子たちの父という知名度程度だったそうです。

ヨハン・クリスティアン・バッハは、J.S.バッハの第11男として生まれ、父からはもちろん、音楽一族でもあったバッハ一族、親族からも手解きを受けました。
J.S.バッハの死後は、ベルリンの異母兄カール・フィリップ・エマヌエルの家庭に引き取られ、音楽を中心に教育を受けたそうです。
それから、イギリス王妃シャーロット専属の音楽師範となり、王妃ならびに王子・王女たちに音楽の稽古をしたり、国王ジョージ3世がフルートを吹くときに伴奏することが任務にしていました。
その後、カール・フリードリヒ・アーベルと定期公演を催し、ロンドンで人気を博します。これがヨーロッパの公開演奏会の発達を促しました。
モーツァルトに影響を与えたのも、このクリスティアンの音楽です。

こうしてクリスティアンの歴史を紐解いてみて、窺い知れるのは、
「影響の環を広げておくこと」の効果です。
J.S.バッハの凄いところの一部ですが、結果をもっとも大きくもたらしたのは、遺伝子をたくさん残したことです。
生命としてもアートワークとしても両方精力的に取り組んだことで、思いもかけない未来を呼びこみました。
歴史上の人物を学ぶと、ややもすると、永遠の悪名を残してしまうこともあるところですが、バッハ一族は永遠に磐石な功績を築いているような気がします。

その要因は、J.S.バッハの活動も、クリスティアンの活動も、真摯に事にあたった結果として、作品を大量に残している部分にあります。
生命体としての正義は、「なんとしても生き残ること」です。
その本質を体現しているバッハ一族は、今なおどこかで遺伝子を継いで、影響の環を広げています。

音楽家として学ぶ点は当然ですが、
生命体としての在り方という点においても、大いに見習いたいものがありました。

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