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「期待しない」というあたたかい選択肢

こんにちは。紀藤です。昨日は久しぶりに10kmのランニング。
汗をかけども体から熱が逃げず、心拍数が高まり、冬の涼しい時に比べて1.5倍くらいキツいランニングでした。とはいえ、とてもスッキリしました。
やっぱり、ランニングはよいですね。

さて、本日のお話です。
最近、よく言われることですが「子育て」からは学ぶことが多いと感じております。そんな中、「期待しないという教訓」について、妻と話しながら盛り上がっておりました。

当たり前といえばその通りですが、意外と大事なことのように思いましたので、今日はそのお話について、皆さまにご共有させていただければと思います。


「期待通りにはいかない」という教訓

「子どもはいうことを聞いてくれない」。よく言われますし、その程度は比べようもないですが、大なり小なりそのような感覚を持つ人は少なくないように思われます。

私事で恐縮ですが、息子3歳も、まさにそう。
先日の土曜日、初めての習い事的なものに通い始めました。(一応本人は「行きたい」といったが、そもそも言葉が伝わっていたかが不明)。

爽やかな先生達と、子どもたちが皆が走ったり、ボールを投げたり走り回る中、1人完全に走ることを放棄し、「だっこ」とひたすら寝転んでおりました。

おそらくアウェイ感をまだ感じていたのでしょう。まあ、まだ慣れないし、抱っこされたいんだなあ、とゆるやかに思いつつ、やっぱり小さなこととはいえ「期待通りにはいかないものだな」と教訓めいたことを思ったのでした。

「期待しない」という教訓

そんな話を妻とすると、妻も同じように思っていたようです。
妻の教訓は、私と若干違っており「そもそも期待をしてはいけないと思った」とのこと。

3歳なので、お昼寝をします。そして先日の習い事の土曜日の昼間はなかなか寝てくれませんでした。

妻が「黙って横になって寝たふりをしていれば、寝てくれるかも」と”期待”をしていましたが、一向に寝ない。「ブルーベリーが食べたい」といい、冷蔵庫に入っているマニアックな果実を求め始めます。
 あまりにも言うので、「ブルーベリー食べさせたら寝るかな」と”期待”して食べさせました。が、寝ない。
 布団に行くと「絵本よんで」となり、一向に寝ない。読んだら寝るかな、と”期待”するけど、やっぱり寝ない。
 そのような幾度か繰り返す中で、なんなんだよ!と思ってきたそうです。そのときにふと、こう思ったそう。

「そもそもこうしてほしいという期待を持っているから腹立つと思った。
なので自分都合で”寝てほしい”と期待しないようにしたら、楽になった」

とのこと。

なるほど、、、そもそも「期待をしない」こと。
そうしたほうが、そのままを受け入れられるのは、わかる気もします。

まとめ「期待しない」はあたたかい選択肢

「期待する」というと、プラスの言葉のように思いますが、反対側からみると「誰かに何かを期待する」ことは、期待が叶わなかったときの失望や怒りに変わる可能性がある言葉です。

「自分自身に期待する」もそうですが、期待が大きいほど、反作用も大きく、喜びが悲しみに、愛情が怒りに変わることもあるのが、期待なのかもしれません。

・・・とすると、「そもそも他者に期待しない」というスタンスをデフォルトで持っていたほうが、実は生きやすく、ごきげんでいられて、他者に対してあたたかく接することができる選択なのかもしれない、そんなことを、妻との話から感じたのでした。

勝手に期待して、勝手に失望しないこと
むしろ、期待しないことで、あたかかく接することができる。

実はそんなスタンスでいられたら、仕事も家庭も、より穏やかでいられるのかもしれないな、そんなことを思った次第です。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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