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覚悟って…なんだろう?

こんにちは。横田です。

今日は僕の脳の排泄的な、
思いついたことを垂れ流す記事です。

分かりやすく書くつもりもないので、
ご了承ください。

ただね、読んでるあなたに感じてもらいたいのは、心のままを言葉にするってこういうことなんだってことを感じて貰えたらと思います。


覚悟って…こういうことか。っていう体感があったんです。

振り返ればこの3年、自分を観ること、向き合うこと、とことん自分というものを扱ってきました。

特にこの半年は自分を観察し続けています。

そうやっていく中で僕の中の「覚識」ってやつが育まれているんですね。

この覚識って、僕の感覚で言うと五感全部で知る、っていうか、考えや思想のフィルターを外した状態で、識る、っていう感覚です。

識るってのも、ここで言うのは無意識を有意識に上げるって言う感覚の識る。

頭で知るとは全然違って、体感を伴う感覚なんですよね。

僕の覚識って。


で、そうして覚識を育んで、練習してるからこそ、自分を観れば観るほど、ハッとさせられます。

自分が自分にですけど。

で、観えちゃったのが、自分の命の遣い道的なところがステージ上がってるんだなって言う感覚なんですよね。

これまでの感覚では、横並びで周りと人といた感じだったんですが、いよいよ前に出て自分が周りを教育していく時がきたなって、感じたわけです。

所謂、先生業としての自己が観えてきたっていうことができます。

学び舎を創ると思い描いていたのが、自分の中の実感として、湧いてきた。

あ、、これやる時が来たか、っていう感覚。

この覚識が産まれた時、自分の中にある色んな差が取れていったんですよね。

あー、俺はああいう感じの人にはなりたくないなーとか
ああいうことやりたくはないなーとか、
ああいう結果はつくりたくないなとか

周囲との差を観て、自分の中にある源と照らし合わせたら、
あー、やっぱり俺はここなんだなって言う感覚になった。

これが覚悟ってことか、ってのがここです。

覚識によって差を取る(悟り)ことで覚悟になる。

ってことですね。

あー、、これだー、コレだ、コレっていう風にしか言葉になんないんですが、
自分の中では腹落ちしてるし、まーまー深いです。

で、この感覚って、これやりたい!これ好き!みたいな浮ついた感覚とは違って、ドスンと重くでも、ぶわっとエネルギーが出てくる感じ。

これが覚悟かぁって、なったわけですね。

覚識と悟りが同時に起きて初めて、本当の意味で覚悟が生まれるんだなという僕の体験です。

だから、アレです。
覚悟はするもんじゃないんだなってこと。
辿り着いてしまうのが覚悟なんでしょうね。

ちなみに、仏教用語的に、覚悟とは、、覚る悟るとどちらもさとることからきてるのだそうです。

ただ言葉の意味を知るのではなく、自分の感覚を通して識るのは、全然違う。

こういう体験が出来るかどうかで人生は変わると僕は感じています。

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