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違和感を無視したくない


しゅーです。

言葉にできない違和感

ここ数週、言葉にできない違和感がある。

身体的な違和感もそうだし、内在的なザラッとした違和感を無視できなくなっている。

左肩から首にかけての嫌な重みや胃の痛さ、睡眠不足。

日々のワクワクの無さ、モノへの関心の薄れ、ザラッとした違和感。

ドーナツのように言葉で囲う

違和感を言葉にできないなりに、言葉でその違和感の周りを囲んでみる。

芯にはたどり着けないけども、ドーナツのように言葉で周りを囲えばきっと違和感の芯が朧気に見えるように思う。

だから書いてみよう。


会社の人間関係や空気感、関心の有無、住空間、時間の過ごし方、仕事。

何となくしっくりと来ていない感覚があり、それが今無視できない。

直感と違和感を信じた過去

思えば。

生きてきた中で「これだ!」と思う瞬間や、逆に「何となくこれではない」と思う時期があった。

それらは思い返すと無視してはいけないものだったように思う。

直感について。

入試で高校に足を踏み入れた時に来た「ここ受かった!」と気づきがあり自然に入学できたこと。

今の会社に入るまでの自然さ。

このブログを初めて伸びるまでの日々。

それらは元々用意されていたかのようにスーッと選ばれてきた。

違和感について。

前の彼女との付き合いで好きでもないのに続けてお互いにボロボロになったとき。

前のチームで違和感を無視し続けて鬱になってしまったとき。

振り返ってみれば。

違和感のある靴を履き続けて血が出てしまうように、豆になってしまうように。

違和感の無視が長く続けば続くほど傷が深くなった。

今はそんな言語化できない違和感がある。

過去を振り返るとそういった感覚的な流れを信じて良かったと思うことが多い。

何かを変えるべきなのか

では、何かを変える必要があるんだろうか。

とりあえず今、契約しているシェアハウスは解約しようと思う。

空気が悪く置くものすべてカビてしまう。

また、好きな空気感の人間もいないのであそこにいるべきではない。

代わりに日当たりの良い作業場のような空間が欲しい。


それと人間関係。

今、人付き合いは悪くて良いと思う。

話したい話題もなく、話したい人も特にいない。

お酒を飲みながら人と話すことなんて、今は1つも思いつかない。

もう無理に付き合わず好きなように時間を過ごしてみよう。

あとはゆっくりと風呂に入りながら考えてみよう。

手放してみる

2ヶ月ほど捨てるを確実にやり続けてきた。

手放してみると執着していたことが馬鹿らしくなる。

こうでなければ、こうしなければ。

それらは人が与えた価値観、自分が受け取った言葉に囲われた価値観だと気づける。

ありがたいものは受け取ればいいし、要らないものは吟味してしっかりと感謝して捨てる。

持てるものは有限で時間は有限だからひとつひとつに対してしっかりと向き合うにはモノを減らす必要がある。

捨てれば捨てるほど身軽になるし、必要なのはちょっとのお金と日々繋がれる人と暇つぶしぐらいだろう。

捨てていった結果、無視できない違和感も見つかったのだからそれはそれで得たものだろう。

ナポレオンヒルの「思考は現実化する」を読み始めた

「思考は現実化する」は20年に渡り数千人の潜在意識に関する研究調査をまとめた1冊である。

たしかに、思い返してみれば今実現化していることは「自分ができる」と思い行動したことである。

このnoteもそのように実現化した。

痛いセックスを減らす
働かずに16万円以上の収益を出す

この2つをテーマに思い描き書いてきた。

記事はかなり読まれたし、両方とも今は叶っている。

つまり、「思考は現実化する」のである。

何かこの違和感や直感を言語化し解きほぐしてくれるのではないか、と思い読み始めた。

抽象的な表現ばかりだが、生きていて感じるものは言語化されず感覚的なものとして伝わることが多い。

こうやって拙いながら言葉にしてみることで、客観性を帯びて考えられる。

この違和感が何か分かるまでは学び行動してみよう。

散文的だけどここまで。



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