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インド(アムリトサル)

(23番)   2019年  7月
8回目のインドへ行ってきました。
今回の目的はアムリトサルというシーク教徒の聖地へ行く事とヒマラヤ鉄道に乗る事でした。

今回のルート

インド人と言えば、頭にターバンを巻いている姿の印象が強いですが、彼らがシーク教徒達です。人口13億人のうちわずか2%(2千6百万人)しかいないのは意外です。
以前、アジャンタ・エローラへ行った時の現地ガイドさんが、シーク教徒でした。
それまでは、ターバンを巻いたガイドさんには出会った事がなかったので、いつもの如く興味津々。
髪の毛と髭は切ってはいけないので、頭髪は伸ばすと膝の後ろ辺りまであるが、それ以上伸びない。この頭に6から8メートルのターバンを巻いてセットするのに毎朝20分はかかる。その日の洋服の色に合わせてコーディネートをする。女性はターバンは巻かない。
但し、子供たちは髪の毛をお団子のようにして纏めている。
そもそもシーク教はヒンズー教とイスラム教を融合させた1469年発祥の世界で一番新しい宗教。人類皆平等という信仰心を持っている。

インドの人口13億人のうち10%は富裕層で、日本人全員がそれにあたるから考えたらすごい事。
30%が中流で60%が下流で一番比率が高い為インドは貧しいというイメージがある。
人口の80%がヒンドゥー教。

しかし、最近は仏教徒も徐々に増えてきており、10%を占めるまでになった来ているとか。
生まれながらに身分が決まってしまうヒンドゥー教のカースト制度はおかしいと気づいてきているのかも。人間は皆平等ですから。
そのインド仏教の頂点に立つのは日本人の佐々井秀嶺氏です。TVの取材番組を見たことがあるが、最後に「何か欲しい物がありますか」とインタビュアーが尋ねると「アンパンが食べたい」と答えていました。チャーミングな人です。

現在インドで日本の会社は5年前は800社だったのが、今は3,500社もある。車はマルチ・スズキが合弁会社としてあり75%のシェアがある。

ガイドさんによると「日本人にとってインド料理は口には合うがお腹には合わない場合がある」との事。名言だけど、私は好きで、毎日カレーでも場所によって微妙に味が違うので楽しめます。

7月10日 (水)
エア・インディアの直行便にて8時間でデリーへ。
夕方到着し、そのままホテルへ。

7月11日 (木)
空港に近いだけが取り柄のおんぼろホテルで、何度利用したことか。
朝から敷地内では孔雀が「にゃ~にゃ~」と鳴いていたけど、お姿は拝見できず。孔雀はインドの国鳥です。

国内便でアムリトサルへ。
その後、車にてパキスタンとの国境であるワガ(アジアのベルリンの壁)へ。
国境が閉門されるためだけの「クロージング セレモニー」というど派手な儀式を見学。
ちゃんと座席(約八千席でパキスタン側はその四分の一くらい)まで用意されていて、衛兵たちが行進をしたり、国旗を降ろしたりするのを見るだけ。
インド国境警備隊(BSF)とパキスタン・レンジャーズ所属の兵士との間で同時に行われ、さしずめ、我々観客は応援団のような位置づけとなる。
相手を挑発したりするポーズをお互いに取るが、あくまでもエンターテインメントである。これが、結構面白くて、全く期待していなかった分余計に楽しめた。

1954年にこの儀式は始まり、一時中断されたが1962年から再開された。
ラッキーなことに我々はVIP席に案内された。インドは観光地に行くと外国人は優先的に案内してくれる。もちろん、外国人料金で高く設定してある。何故わかるのかと言うと大抵の場合入口のチケット売り場に表示してあるから。

その後、黄金寺院のライトアップの見学へ。まあ、キンキラキンで絢爛豪華!日中は38度くらいで大理石の床が温められていて気持ちよかった。

7月12日 (金)
黄金寺院の中へ入って見学。
入り口で足を洗い、髪の毛をスカーフで隠して入る。たばこや 革製品は持ち込み禁止。中は裸足で歩く。
聖なる池に囲まれていて、一日平均10万人もの人々に食事を無料で提供している。
もちろん、我々も頂くことができるが、丁重にお断りを・・・
聖水も飲めるようになっていて、ある人が飲んだけど何ともなかったようだ。

ジャリアーン・ワーラー庭園
1919年4月に起きた「アムリトサル大虐殺」の現場。
統治をしていたイギリスの発布した集会禁止令に反対して独立運動の集会をしていた千名ほどの民衆に向かってネパールのグルカ兵が機銃を発砲した。多くの死者、負傷者を出し、インド独立運動の最大の悲劇と言われている。
ガイドさんによるとインド人は過去の事件(イギリス人がした事)に対してはこだわらない民族なんだそう。どこかの国とは大違い・・・

7月13日 (土)
ル・コルビジェの都市計画によって作られた町チャンディーガルへ。
バスで5時間かかり、あたりは田園地帯が広がっていた。
地主は海外に住んでいて農作業は他の州からの出稼ぎに任せている。
孔雀がところどころにいて大きい為すぐに分かる。
飛んでいる姿も迫力がある。

世界遺産である政府関連施設 (合同庁舎、州議事堂、高等裁判所)の外観の見学。
コルビジェは1955年当時No.1の売れっ子建築家だった。
最初はデザインだけを渡すと言われたが、1年に一か月だけでも滞在してもらいたいと頼み込んだらOKしてもらった。
敷地内には光と影だけを実験する建物も残されており、いかに涼しく仕事ができるかを考えたのだとか。現在ではパソコンで計算できるが、当時はそれがなかった。

オープン・ハンド モニュメント
手を広げた形のものが風で動くようになっている。
平和の意味を込めてすべて物を与え、すべての物も受け取るという気持ちが込められている。

チャンディーガル美術館 (世界に3つあるうちの一つで、日本にあるのは国立西洋美術館、残りの一つもインドにある)
展示物はガンダーラ時代の彫刻や絵など、古い物と新しい物がごっちゃに展示してあって不思議だった。

ネック・チャンドロック・ガーデン
インドの芸術家ネック・チャンドロック・サイニ氏が都市建設によって生じた廃材を用いて様々なオブジェを制作したものが展示されている。
勝手に作成したので、一時は政府が壊そうとしたが、民衆の反対にあってそのまま残した場所。そうは言っても私にはその良さが分からなかったが。

7月14日 (日)
ヒマラヤ鉄道の拠点となるカルカへ。
世界遺産に登録されていて、全長約100キロ、高低差約1,500mの路線。
103カ所のトンネルと864カ所の橋がある。一日5本あるうち、2本がツーリスト用の特別列車。アジアでは最初の1903年に開通した。
ここから5時間かけて標高2000mのシムラーまで走る。
トイ・トレインなので、座席は狭いと聞いていたが豪華な椅子だし、列車のボディーも現代的で驚いた。とても汚れていたのは残念。
線路の幅は76cmで狭い。
ダージリンでもトイ・トレインには乗ったが、あれは時間が短かったので乗った気がしなかった。これは景色も堪能したし、乗った~という気がする。

線路の両側には最初は松の木がたくさん見られたが、標高が高くなるにつれてヒマラヤ杉に変わっていった。途中、2,3回駅に停車をした際、顔の黒い猿が近づいてきて人々から餌を貰っていた。尾長猿の種類だとか。上の方に行くと、今度は違う種類の顔の赤い猿がいて、ニホンザルによく似ている。シムラーの町中にも我が物顔で生活をする猿達がいた。

シムラーはイギリスの統治時代は夏の首都だったところで、ヨーロッパ風の建物が多い。当時の首都はコルカタ。

バザール
メインストリートでいろんなお店が出ている。
斜面に出来た街なのでここまで上がって来るのに、エレベーターで2回乗り継いで来る。

ヴァイス・リーガル・ロッジ (旧総提督邸)
ここで、当時インドであったパキスタンとの国境線をどのようにするかなど話し合われた。当時ラホールはインドのパンジャブ州にあった。ガイドさんのお祖父さんはここの出身で鍛冶屋さんをしていたとか。

ヒマーチャル博物館
ここは細密画が多く展示されていて、一千四百万年前の木の根っこの化石が無造作に置いてあった。

7月15日 (月)
クライストチャーチの外観を見てカルカへ。
ここからは約3時間半で特別列車にてデリーへ戻ります。線路の両側には田園地帯が広がっていた。途中には夕食や軽食などが出てサービスが良かった。

7月16日 (火)
デリー市内観光へ。
階段井戸(アグルセーン・キ・バオリ)
雨季と乾季で気候が大きく異なるインドでは雨水を確保するのが重要なため、井戸施設を作る必要があった。各地に作られているのを見ているが、彫刻など施されているし、実用的な施設なのに、美術的にも素晴らしい。

ガンジー記念博物館
暗殺された場所と建物の中には人形によるガンジーの業績(南アフリカでの人種差別に対して身分証明書を燃やした件や塩の行進など)の説明がしてあった。

インド映画鑑賞
巨大なモールの中にある映画館でとても綺麗でこれまでの人生であんな贅沢な椅子に座って映画を見たことがない。上映前には全員が立ち上がってインドの国家?を聞いた。内心、仰々しいな・・・と。
映画は[Super 30]という6月に封切られたばかりの実在の天才数学者が主人公。言葉は分からないが、画面を見ているだけでストーリーが分かった。
時間の関係で全部は見られないと聞いていたので、残りは日本で見るチャンスがあればいいなと思っている。
→2022年に日本でも封切られて見ました。「王の子供が王になるのではない。能力のあるものが王になるのだ」というアーナンダ先生は何度も命を狙われたことがあります。その教育方針は世界中から絶賛を浴びています。
何たって、タダで子供たちに教えてインド最高峰のIIT(インド工科大学)に何名も合格をさせ、その合格率も100%に近いのです。因みにアメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)はIITに落ちた人が行くらしい。ほ~・・

2022年からの「RRR]のロングラン ヒットは言うまでもないでしょう。

機内では[Pad Man]という女性の生理用ナプキンを作り上げた人の話を見た。かなりヒットして評判も良かった映画。
妻が不衛生な布を生理時に使っていることを知り、薬局でナプキンを買ってみる。その値段の高さにビックリして「これは金でできているのか?」と店主に聞くシーンがあった。それから、その夫は手軽な値段で買えるナプキンを一から作り上げていく。
当時のインドの閉鎖的な社会も描写されていて、この男性がそういうものと戦っていく姿が力強くて素晴らしかった。
ユニ・チャーム等の日本の会社は進出を考えなかったのだろうか。

ショッピングモールの中にあるスーパーへ
この旅で一番楽しみにしていたのが実はここ。
愛用の日用品(アーユル・ベーダ製品)をしこたま買い込みました。日本でも手に入れることは可能だけどゼロが一つ多いのです。
その後、空港へ向かい帰国の途へ。

7月17日 (水)
帰国

今回はまた違う印象のインドが見られて良かったです。
ただ、ガイドさんがインディラ・ガンジーがマハトマ・ガンジーの娘だと勘違いしている日本人が多い事を嘆いていました。
ネルー初代首相の娘さんです。

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