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東ティモールとインドネシア(フローレス島とコモド島)

(37番)  2013年   7月
東ティモールとインドネシア(フローレス島とコモド島)へ行ってきました。
今回の参加者は男性4名、女性6名の計10名でした。その中で一人知っている人がいました。
空港へ着いて受付をするため、カウンターへ行くと、添乗員さんがバタバタと準備をしていました。見ていると要領を得なくて、先行き不安になったし、受付の時間になってもその様にアタフタとしているなんて無様すぎますね。

ツアーの添乗員さんですが海外旅行の場合、どの会社でも事前に電話をしてくれます。
何か注意事項などがあれば、教えてくれるし、逆にこちらから質問があれば答えてくれます。この電話の段階で大体どういう人か、仕事ができる人か否かが分かります。
今回もやっぱり、予感は当たりましたね。後で、前代未聞のハプニングが起きます。

今回のルート

7月10日
11:00 発 成田 ガルーダ・インドネシア航空 (A330-300)
                          この航空会社は機内で入国手続きをしてくれるので助かる。
       以前は赤道通過証明書を配ってくれたが、今回はなかった。
       ビザ代 $25
17:25 着 デンパサール ヌグライ空港(オランダから独立した時の                                                                                  英雄の名前)

空港傍のホテルへ

7月11日
09:50 発 デンパサール メルパチ航空 (737-400)
12:40 着 ディリ(東ティモールの首都)

東ティモールはティモール島の東半分にある島国でキリスト教徒が99%を占めています。
元々はポルトガルの植民地でした。ポルトガルが撤退した後、東ティモールの領有権を主張していたインドネシアから1975年に東ティモール民主共和国として独立宣言を行いました。しかし、翌年、インドネシアが27番目の州として併合宣言を行いました。引き続き、インドネシアに対して抵抗運動を続け、国連の暫定統治を経て2002年5月20日にインドネシアから独立をしました。

昼食後、市内観光へ。
1.サンタクルス墓地
1991年11月12日に起きたサンタクルス事件の現場。
モタエル協会で行われたセバスチャン・ゴメス(後で説明)の追悼ミサに参加した数千人が、ここでデモ行進をし、解放を求める横断幕を掲げ独立をアピールしたところ、インドネシア軍が墓地を取り囲み、武器を持たない人々に向けて無差別発砲を約2分間行った。
約400人以上の人々が殺され、更に怪我人をトラックで病院へ運び毒殺した。口封じのためと言われている。
取材に来ていた二人のジャーナリストも頭蓋骨陥没などの暴力を受けた。
それらの様子を収めたビデオがジャーナリストと人権活動家の協力により国外へ持ち出され、世界に衝撃を与えた。
2.ハリララン市場(国内最大のマーケットで野菜などは大体1ドル以下で    買える)
ディリ大聖堂(東南アジア最大級の大聖堂。1989年、ローマ教皇ヨ   ハネ パウロ2世が訪問した)
4.タイスマーケット(タイスとは伝統的な綿織物。来客を歓迎する際に首     からかける習慣がある。他には衣服やバッグ、小物類などもある)
5.モタエル協会とゴメス像(1991年10月28日、インドネシアの不法占領下の恐怖生活を訴えようとしていた若者の一人、セバスチャン・ゴメスがインドネシアの秘密警察により射殺された協会。海側には倒れているゴメスの像がある)
6.クリスト・レイ(世界で2番目の大きさを誇るキリスト像。ファツカマ岬の丘の上に建っており、27mの高さがある。インドネシアのスハルト大統領が東ティモール国民の機嫌を取るためにプレゼントをしたのだとか)

クリスト・レイ

レストランにて夕食(野菜とキャッサバ炒め、ポークグリル、フライドポテト、ココナッツのデザート)

ホテルへ
チェックイン時にロビーで待っているとたばこの煙がモクモクと周辺に漂っていて思わず外へ避難。すると今度は蚊の軍団が押し寄せてきた。この国には「禁煙」という言葉はないのだろうか。

7月12日
朝食後、4台の四駆に乗り換えて内陸部の観光へ。
1.ヨハネパウロ2世の礼拝所(タシトロという町にある。1989年10月12日に礼拝をおこなった場所で周辺ではインドネシアへの抗議デモも発生した。銅像も建っている。礼拝所の裏にはペリカンのいる湖がある)
2.コーヒー工場(グレノという町にあるティムール・グローバル・コーヒーという工場。東ティモールで生産されるコーヒーの三分の二がここエルメラ県のもの)
3.小学校訪問(ライラコという町にある。トウモロコシの歌を歌ってくれた。歌詞はお父さん、お母さんが畑でトウモロコシを作ってくれるから僕たちは学校へ行けるというもの)
4.ガイドのジュリオさんの叔父さん宅訪問(セロイという町にある。眼下に広がる畑は全てが親戚のものだとか)

昼食(サラダ、野菜炒め、煮魚、焼きそば、フライドチキン、フライトポテト、コーヒー)

アイレウの市内観光。
ワニの池 →ポルトガル植民地時代の教会 →市場 →内戦の碑(独立派と反独立派との間で内戦がおこった場所)

ディリ市内のホテルへ

7月13日
午前中は自由行動で、コーヒーショップへ。
有機栽培のコーヒーは主に欧米へ輸出されています。500gで3ドル。

ホテルにてお寿司のランチ。
後で添乗員さんが「ネタが違っていて済みませんでした」と謝罪された。

その後、空港へ。

13:20 発 メルパチ航空
14:10 着 デンパサール
        ビザ代$25

16時半ごろ、ホテル着。

ビーチにあるレストランにて夕食。
砂浜にテーブルを設置して雰囲気は良かったのだが。
(空心菜炒め、コーンスープ、シーフード バーベキュー、スイカ)

日程表には「ロブスターをご用意しました」とあった。確かに小さなものはあった。
しかし、あれはどう見ても殻は本物だけど、中身は別の白身魚だった。何故ならば、中身と殻がくっついていなくて、どう見ても違う白身魚を後から入れたとしか見えなかった。
味もぷりぷりしておらずにベチョッとして柔らかすぎで、繊維質も細かすぎたのだ。
魚をよく食べる日本人を騙そうなんてよくそんな小癪なことができるものだ。🤬
レストランの名前も記録しているので、個人的には絶対に行かない。

この食事を誤魔化されるという事はよくある話です。
中国では「全部で何皿出ます」と先に言ってくれて、優秀な現地ガイドさんは必ず全部出てきたか、確認してくれます。
昨今何かと話題になる中国ですが、中国の日本語ガイドさんはとても優秀な人が多く、知識も豊富でいつも勉強になります。

また、ベトナムへ行った際、きちんとメニュー(英語)があったので、「次はこれだな」と期待していたら、それが出なかったことがあります。現地ガイドさんに言うと「今日はないのです」だと。ガイドさんが誤魔化しているに違いないですね。
その分の料金を払わなくていいし、それが全部自分のポケットに入るのですから。

ガイドさんだけではなく、添乗員さんの誤魔化しなどもいろいろと耳に入ってきているし、自分でも経験したことがあります。ま、これは言わない方がいいでしょう。

7月14日
午前中は自由行動だった。大雨だったが、相部屋の人が買い物に付き合ってくれとの事でしぶしぶ出かけた。これが大間違いだった。靴がずぶ濡れになったのだ。

空港に正午過ぎに到着し、13時半のライオン航空にてフローレス島に向かう予定だった。
搭乗時間まで待合室でずぶ濡れになった靴を脱いで待っていたのだが、時間になっても案内がない。同じころの出発でウイング航空の便の案内は確かにあったが、まさか、これが我々の乗る便だなんて誰が思っただろうか。
いつの間にか添乗員さんの姿も見えなくなっており、どうしたのだろうと思って濡れた靴を渋々履いてカウンターへ聞きに行った。「その便は既に出発しております」だと。
ガーン!何てことでしょうか!
15時ごろのことです。そもそも、我々の便が掲示板に出ていなかったのでおかしいとは思いつつ、早く靴を乾かさなきゃとそればかりが気になっていたので、動けなかったのだ。

消えた添乗員さんからは一度の報告もなしで、どうなるのやら・・・
それから、しばらくしてやっと添乗員さんが戻ってきて、「飛行機に乗り遅れました。
次の便は3日後になるのです。スーツケースだけが先に現地に行っております。
私一人が言っても埒が明かないので皆さん一緒に言ってもらえませんか
「はあ?」皆唖然とした。「自分一人では何もできないとは何ぞや?」と思ったが、仕方がないので、全員でスタッフに詰め寄りました。我々の剣幕に現地の乗客達も「そんな話聞いたことがない」と一緒になって喧々諤々と非難をしてくれた。
それでも埒が明かず、やっと明日の便には何とか乗れることになり、ホテルに向かったのは20時を過ぎていた。ホテルもよく空いていたものだ。
添乗員さんは事の次第を理解していなくて、何が原因でこんな事が起きたのかを知ったのは帰国後、旅行会社からの詫び状で知った。
搭乗予定だったライオン航空の便は当日、子会社の便に振り替えられていた事が空港スタッフに伝わっていなかったという信じられないケアレスミス。
それにしても持ち主が不明のスーツケースは危険物とみなされるはずで、ライオン航空って素人の航空会社なのであろう。こんな航空会社は安心して乗れないですね。🤬🤬🤬

いつもであれば、日用品などはスーツケースに入れないで、手荷物にするのだが、この日に限ってスーツケースに入れてしまっており、困った。距離が近いからと軽く考えていたのがそもそも間違い。

教訓その1:おかしいと思ったらすぐ行動せよ。
教訓その2:日用品は必ず手荷物にせよ。

7月15日
11時半ごろ、デンパサール空港到着。
空港内にてお弁当。

14:30 発 デンパサール ウイング航空(ライオン航空の子会社)
16:30 着 マウメレ(フローレス島最大の町)
        無事、スーツケースとご対面。

フローレス島はインドネシアの東ヌサ・トゥンガラ州に属する島です。
「フローレス」とはポルトガル語で「花」という意味です。

レストランにて夕食。
22時ごろエンデのホテルへ。

7月16日
エンデからバシャワへ向かいます。
1.クリ・ムトゥ山(30分ほどで山頂に登れる。マリンブルー、ターコイズブルー、チョコレート色の3色のカルデラ湖がある。火山ガスの活動に誘発され、湖水中の鉱物に化学反応が起きることにより、色が変化する)

クリ・ムトゥ山

2.伝統家屋(人口約500人のモ二村にある。サオリアと呼ばれる建物で儀式や集会に使われる)
3.イカット(伝統工芸である絣織の製作工程の見学)

昼食(ビュッフェ)
道路を渡る際、誰かが車とぶつかりそうになった。ガイドさんが添乗員さんに対して「何故、皆を誘導してちゃんと注意しないんだ!」と怒った。

4.緑石海岸(緑色の石が続く海岸で、日本にも輸出されている)

夕食(スープ、サテ、煮魚、野菜炒め、ミーゴレン、鳥の甘辛煮)

ホテルへ。

7月17日
バジャワからルテン(インドネシアのスイス)へ向かいます。
1.ソア村近郊の天然温泉(ムンゲルダ温泉と言って、朝8時ごろに行ったが、地元の人は服を着たまま入っている。足湯をしたが、とても気持ち良かった)
2.ベナ村(藁ぶき屋根の集落で村人が糸を紡いだり、織物をしたりと昔ながらの生活を営んでいる)

ベナ村

昼食

ルテン新大聖堂(2000年に建てられた)

一度、ホテルでチェックイン後、夕食のレストランへ。

7月18日
ルテンからラブハンバジョへ向かいます。

1. 市場(テンペが美味しそうだった)
2. チョンパン・ルテン村(村の人口は約200人。村の中央にある広場には先祖を祀るお墓がある。そこを囲むように高床式の家々が建っている)
3. チャンチャル村の棚田(田んぼはピザの形をしており、村の共有財産。ピザの一片ごとに従事者が違うので、発育状態なども違っており、色が濃かったり、薄かったり。ここは本当に素晴らしい景色だった)

昼食

フローレス島の最西端にあるラブハンバジョ到着
「バジョ人の港」という意味。バジョ人とは船で一生を過ごす漂海民のこと。
ここの住民は元々は南スラウェシから船でやって来た人たちの末裔で全員がイスラム教徒。
周辺には高床式の家々が立ち並んでいる。昔は海洋民族なので、水上生活をしていた。ラマダン中だったので、訪問は遠慮。
最近では、コモドドラゴンを見に行く観光の拠点となり、大型ホテルやレストラン、バー、ダイビングショップなどがメインストリートに並んでいる。
付近にはジンベエザメが生息をしている。
海にいる彼らを見てみたいなあ・・・

久しぶりの立派なホテルへ。
ホテル内のレストランで夕食
(コーンスープ、チキンのデミグラスソース、バナナスプリット)

TVで「本日はネルソン・マンデラの95回目の誕生日。肺の感染症で5週間入院しているが、状態は良くなってきている」とあった。

7月19日
終日、世界遺産のコモド国立公園の観光。
5時半発の船でリンチャ島へ向かいます。
8時前に到着し、早速コモドドラゴンの探索へ。

ここには土地の人が「オラ」と呼ぶ大トカゲ(体長1.5m~3m、体重70kg~160kg、白亜紀に誕生した)が生息しており、現在は絶滅の危機にある。ワシントン条約では「国際希少野生動物」にも指定されている。
「時速18~20kmで走る。
60種類のバクテリアも持っているから獲物に噛みついて弱らせる。
子供のコモドドラゴンですら食べてしまう。
1か月に食べる量は80kg。
骨まで食べるから糞は白い。
水は苦手で500mくらいしか泳げない」

茂みには入らないように注意をされた。
少し前にドイツ人の子供が茂みで用を足していたところ、コモドドラゴンに嚙みつかれて死亡したことがある。

いたいた!2匹も。遠くにいればそれほど、怖くはないが、近くで見ると迫力があってちょっと怖い。レンジャーさんは必ず「さす又」のようなものを持っている。2.5mくらいの大物もいて、流石におっかない。

船に戻り、ランチ。
船の上からはイルカと海ガメが見られた。

そのまま、コモド島へ。
ショートトレッキング コースでは見られなかったが、小屋の近くに3匹がゴロンと寝そべっていた。ここのコモドドラゴンは迫力がなかった・・・

ピンクサンドビーチ
「パイプ コーラル」という珊瑚が死んで沖に上がり、何十年もの間波に削られて小さくなった珊瑚の砂浜。

船でラブハンバジョに戻ります。

ホテルへ
ホテルのレストランで夕食。
(アスパラガスのクリームスープ、魚のトマトソースがけ、フルーツ、アイスクリーム)

7月20日
08:30 発 ラブハンバジョ ウイングス航空
09:50 着 デンパサール

ホテルへ。
自由行動でホテルの近辺を散策。

7月21日
00:25 発 デンパサール ガルーダインドネシア航空(A330-3                                                                                                           00)
08:50 着 成田

今回は念願の「コモドドラゴン」が見られた事と「東ティモール」という全く未知の国の事を知ることができて良かった。
しかし、前代未聞のトラブルに見舞われて台無し。

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