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カーボ・ヴェルデ

(43番)  2015年   1月

カーボ・ヴェルデへ行ってきました。
当初はこの国の5つの島を巡る予定でしたが、出発直前になってフォゴ島が噴火をして、島に被害が出ているとの事で4つ(①サンチャゴ島、②サン・ビンセンテ島、③サント・アンタン島、④サル島)となりました。

参加者は男性2名(二人とも知っている人)と女性4名の計6名でした。
そのうちの一人、90歳の女性は矍鑠としていてとても頭がよくて「自分もああなりたい」と思わせる人でした。ちょっと耳が遠かったですが。
何にでもお酢をかけて食べてらしたので、それが健康の秘訣なのかも。

1日目 1月7日
✈ 12:00 発 成田 フィンランド航空 (A330-300)
  15:20 着 ヘルシンキ

✈ 16:40 発 ヘルシンキ TAPポルトガル航空 (A320)
  19:45 着 リスボン

空港から10分のホテルへ。
夕食は自由食。

2日目 1月8日
飛行機の時間が予定よりも3時間遅れたので、リスボンの市内観光へ。
リスボンは1988年に訪問して以来27年ぶり。

1.ジェロニモス修道院
1501年から300年をかけて礼拝堂構想を基に建築された。
中にはヴァスコ・ダ・ガマのお棺がある。

2.ベレンの塔
1519年にマヌエル1世によって、ヴァスコ・ダ・ガマの世界一周を記念して建てられた。

昼食:サラダ、シーフード

3.発見のモニュメント
大航海時代を記念して1960年に建てられた。エンリケ航海王子と先頭にヴァスコ・ダ・ガマ、マゼラン、ザビエルなど、総勢33名が高さ52mの船の上に並んでいる。
しかし、エンリケ航海王子は船酔いが酷いために一度も航海はしていなくて指揮命令と共に資金を提供した。
モニュメントの足元には大理石の地図があり、各国に到着をした年が刻まれている。日本も1541年とある。

一度ホテルへ戻り、空港へ。

✈ 20:50 発 リスボン TAP ポルトガル航空 (A320)

今回のルート(フォゴ島へは行かず)

3日目 1月9日
  23:30 着 プライア(カーボ・ヴェルデの首都でサンチャゴ島に                                                                                           ある)

1時ごろ、ホテル着。

カーボ・ヴェルデはアフリカの最西端であるセネガル領ヴェルデ岬から更に約500kmの沖合に位置し、およそ20の島から成る国。
15世紀までは無人の群島だったが、ポルトガルの植民地となり、大航海時代は重要な役割を果たした。1975年に独立した。
カーボは「岬」、ヴェルデは「緑」と言う意味。
公用語はポルトガル語。人口は40万人足らずでほとんどがキリスト教徒。
残念ながら、この国も16世紀頃は奴隷貿易の中継地点として栄えた。
現在はアフリカで最も先進的で民主的な国の一つに数えられている。

終日、①サンチャゴ島の観光。
この国の最大の島で全体的に山岳地帯であり、険しい山々が海岸線まで張り出している。
主要産品はマグロ、カニ、エビ、サトウキビ、バナナなど。
年中、風が強いので、南に位置する割には寒く感じる。

サンチャゴ島

ガイドさんがその高齢の女性に向かって「あなたに会えてとても光栄です」と感激した面持ちで握手を求めた。恐らく、我々の情報は日本の旅行会社からこういう人たちが行くと伝わっているはず。
アフリカでは高齢の人は大変敬われるようだ。
ブルキナファソとコートジボワールの国境のパスポートチェックを受ける際にもある高齢の女性のパスポートを見て、強面のの顔が緩み、笑顔で「Nice!」と言ったことがある。

1.ピコ・デ・アントニア(1,394m)

島の中央辺りに位置する休火山。

2.アソマダの町
アミルカル・カブラルの像(独立指導者)→マーケット 
ノヴェルト・タヴァレス博物館 サンタ・カタリーナ教会

3.タラファルの町
政治犯収容キャンプ(1930年代のポルトガル人政治犯を収容していた施設)

昼食:野菜スープ、豚肉と野菜の煮込み、ポーク、パエリア

ホテルへ。
夕食:サラダ、魚のグリル、カルボナーラ、ステーキ、ミックスフルーツ

坂が多い街で道路の修繕を所々していたが、ポルトガルの影響で石畳が多く、時間と労力をかけて全部手作業で行っていた。それがまたとても綺麗であった。

4日目 1月10日
終日、プライアと近辺の観光。

シダーデ・ヴェリヤの町(プライアから15kmの所にある)
18世紀後半までは「リベイラ・グランデ」と呼ばれていた歴史地区で世界遺産に登録されている。
1.サン・フェリペ要塞
イギリスの海賊フランシス・ドレークなどの攻撃に備えるために建築された。
奴隷を罰するために作られた柱として「晒し台」が残っている。
奴隷たちは家の中に閉じ込められていなかったので健康な人が多かったとか。
他には武器倉庫跡、貯水槽、兵舎址、チャペル址など。

2.ロザリー教会

昼食:海鮮プレート、チキングリルなど

3.大聖堂

プライアの町
4.ディアゴ・アフォンソ像(1460年にこの島を発見した)
マーケット →国会議事堂

ホテルへ

夕食:豆とハムのスープ、トマトライスの海鮮3種盛り、ポークカツ、アップルパイ

5日目 1月11日
サン・ビンセンテ島へ
✈ 09:50 発 プライア TACVカーボ・ヴェルデ航空(ATR72)
  10:47 着 ミンデロ (サン・ビンセンテ島の行政の中心地)

サン・ビンセンテ島

一度ホテルでスーツケースを置いて②サン・ビンセンテ島の観光へ。
ガイドさんの本職は歌手だとか。
ある人が日本の歌で何か知っているか聞いてくれと言うので聞いてみると知らないとの返事だった。
首都のプライアよりも明るく洗練された印象の町で、ポルトガルの文化が反映された可愛らしい街。音楽が盛んな街でもある。

ミンデロの町
1.独立広場 →教会 → 市庁舎 →船舶の税関

昼食:チキングリル/ポークグリル、ライス、ポテトサラダ、アイス

2.セザリア・エヴォラの家
彼女はこの国を代表する「モルナ」というジャンルの歌手でグラミー賞も受賞したことがある。
裸足の歌姫とかモルナの女王とかと称された。
普段は入れない場所らしく、運が良かった

3.モンテ・ヴェルデのビューポイント →サラ・マンサ ビーチ 
→バイア ビーチ →火山岩ビーチ

ホテルへ。

夕食:ビュッフェ

6日目 1月12日
⛴ 08:00 発 ミンデロ港 (フェリー)
  09:00 着 ノヴォ港(サント・アンタン島

サント・アンタン島

③サント・アンタン島の観光
この島は最西端にあり、サンチャゴ島に次ぐ大きさを持つ。
火山で形成された島の最高峰はトポ・ド・コロア山(1,979m)。
コーヒーとワインやラム酒グローグの産地としても有名である。
1. 石灰岩採掘場
2. EUによる女性支援プロジェクトのレストラン(チーズ、ヤム芋、ラム酒の試食)
3. 段々畑で写真ストップ(急激な斜面に造られた畑が見事な景色を醸し出しており、これはカレンダーにしたら売れるのにとつい疚しい事を・・・)
4. 柱状節理
5. EUの貧困救済プロジェクトの店

昼食:サラダ、魚/ポーク/チキン、ポテト、ライス

6.コヴァ(火山のクレーターで直径500mある)

ずっと山の景色ばかりが続いたので、ガイドさんに「この国は何か鉱物は産出するのか」と聞いてみると「何もない。それが、幸か不幸かは分からないけれども・・・」と返事が来た。よっぽど、「幸の方だと思う」と言いたかったが、止めておいた。
アフリカの他の国々では例えばシエラレオネとかアンゴラのようにダイアモンドが採れるばかりに紛争が絶えないから。

ホテルへ。
夕食:ビュッフェ

7日目 1月13日
1.グランデ渓谷とガルサ渓谷に挟まれた峠 →カイブロスの伝統農業の見学 →水道橋 →竜血樹(樹齢7千年を超すものがある)
2.ポンタ・ド・ソルの町(教会、ユダヤ人の家、15年前まで使われていた空港)

昼食:サラダ、ポテト、魚/チキン/ポーク、ライス

3.リベイラ・ダ・トーラの町(サトウキビ工場で伝統的な道具であるトラピチェを使用したサトウキビ絞りの見学 →ポール渓谷 →伝統家屋 
→ジャネラ灯台 →チーズ工房)

港でガイドさんと一人一人が握手をしてお別れをした後、ふと振り返ると置いてあった消毒液で手を消毒していた。
「一瞬、我々は、ばい菌か?」とも思ったが、それだけ、感染には気を付けているようだ。
後記:これはコロナ禍ではなくて、もっと前の8年前の話です。

⛴ 17:00 発 ノヴォ港 (フェリー)
  18:20 着 サン・ビンセンテ島

ホテルへ。
夕食:ビュッフェ

8日目 1月14日
✈ 6:20 発 サン・ビンセンテ島 TACVカーボ・ヴェルデ航空                                                                                                     (ATR72)
  7:15 着 サンチャゴ島

午前中は次のサル島に行くための時間つぶしのようなもので、プライアの町をブラブラ。
孤児院(各国の寄付による身寄りのない子供達が自立していくため施設)

昼食:ビュッフェ

✈ 14:10 発 サンチャゴ島
  15:00 着 サル島

サル島

ホテルへ(久しぶりに大型のリゾートホテルで滞在を証明するための紙製の腕輪をつけさせられた)
夕食:ビュッフェ

9日目 1月15日
④サル島は平坦な地形で草木のない砂漠のような風景が広がっているのが特徴の島。
島の名前の由来となっている塩田が多く、この島の主要産品となっている。
南部のサンタ・マリアには約8kmに渡るビーチリゾートがあり、ヨーロッパやアメリカなどからの観光客が多い。
国際空港があり、事実上この国の玄関口となっている。
1年のうち、350日が晴天。「No Stress」がこの島のキャッチフレーズ。

家々の庭に大きくて(直径50cmほど)トゲトゲのまん丸のサボテンが置いてあるので、ガイドさんに名前を聞くと「mother-in-law’s pillow」とか。
続けて名前の由来も説明をしてくれて「義母が家に来た時にそっと差し出す・・・」
いかにも早く帰ってくれと言わんばかりで、いや~いずこの国でも言いたいことは一緒のようで思わず、クスッとした。
後で調べてみると日本語では「エキノカクタス グルソニ」
別名はそのものずばりで「義母のクッション」とあった。

午前中はサル島の観光へ。
ここもあまり見学するような場所はなく、観光客はゆったりと時間の流れを楽しむようだ。
オプションとしてシュノーケリングやボートクルーズなどを勧められたが、あまり乗り気ではなく・・・
実際に行ったのは魚市場と塩田くらい。

昼食はホテルにて:ビュッフェ
午後は自由行動

夕食もホテルにて:ビュッフェ

10日目 1月16日
✈ 01:00 発 サル島 TAPポルトガル航空
05:50 着 リスボン

ホテルにてしばし休憩。

その後、メトロに乗ってあちこち市内の街歩きへ。
これが、結構楽しかった。

11日目 1月17日
✈ 09:15 発 リスボン TAPポルトガル航空
  15:55 着 ヘルシンキ

✈ 17:20 発 ヘルシンキ フィンランド航空

12日目 1月18日
  10:05 着 成田

今回は「最近はどこへ行ったの?」と聞かれて答えると必ず「え?」と聞き返される国の一つでした。
後記:この間、「ワールドカップ23」で男子バスケットボールの対戦国として注目を集めました。

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