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チュニジア
(69番) 1997年 11月
チュニジアへ行ってきました。
「北アフリカの宝石」と呼ばれ、北と東は地中海に面しているため青い海と白いビーチに始まり、南へ行くと広大な砂漠が広がっています。
今回の参加者は男性4名、女性11名、計15名でした。
後記:2010年12月に「アラブの春」という民主化運動(ジャスミン革命)が始まったのがここチュニジアです。
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1日目 11月5日
✈ 21:55 発 成田: エールフランス航空
2日目 11月6日
04:30 着 パリ(シャルルドゴール空港)
✈ 08:30 発 パリ(オルリー空港):同上
10:50 着 チュニス(カルタゴ空港)
{国の説明}
面積: 日本の約0.4倍
人口: 756万人
宗教: イスラム教(スンニ派)
首都: チュニス
産業: 石油、リン鉱石
独立: 1956年3月20日フランスより
特徴: 地中海の覇権を争ってローマと死闘を繰り広げた古代フェニキア人の都市国家カルタゴの遺跡は1979年に世界遺産に登録をされている。
フェニキア文字はアルファベットの元となった。
早速、チュニス市内観光へ
バルドー博物館
チュニジアの「ルーブル美術館」とも称されるほど。
モザイク画では世界一のコレクションを誇る。
例えば、ホメロスの「オデュッセイアとセイレーン」、「ネプチューンの勝利」、「ヴァージルとミューズの女神たち」などの人物以外にもライオン、ウサギ、熊、魚などもあってそれぞれが生き生きと描かれている。
建物自体も13世紀にハフス朝の宮殿として建てられたもので豪華絢爛。
後記: 2015年3月に起きた日本人3人を含む外国人21名が死亡した博物館銃乱射事件の現場となり、しばらく閉鎖されていたようですが、昨年再開されました。
メディナ(旧市街)
7世紀に建築が始まり、当時は城壁に囲まれていたが現在はいくつかの門を残すのみ。
フランス門をくぐるとそこはアラブの世界が広がっており、迷路のような道の両側には地元の人向けや観光客相手のお店がたくさん並んでいる。
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ジトゥナ・モスク(オリーブ・モスク)
9世紀のアフラビット朝時代の建築だが、イスラム教徒以外は中庭までしか入れない。
明日が「政権移譲記念日」で大統領付きの楽隊が練習をしている様子が見られた。
🛏 チュニス泊
3日目 11月7日
🚌 アグレブの聖地カイラワンを経由して古代遺跡のあるスベイトラへ
途中の水道橋にて写真ストップ
ローマ水道橋
チュニスの南80kmにあるザグアン山から流れ出る水を高低差を上手く利用してカルタゴまで引いている。当時は132kmあり、現在はそのうち
20kmが残っており、土台がしっかりしている部分はまだ使っているとか。
2世紀、ローマ五賢帝の一人であるハドリアヌス帝によって建設された。
周辺には丁度、「ランタナ」が綺麗に咲いていた。
カイラワン(ケロアン)
670年に北アフリカとスペインの制服を意図したウマイヤ朝の総督ウクバがアグレブ地方攻略の前線基地として建設したのが始まり。
この街はイスラム教徒にとってメッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ第四の聖地でもある。1988年に世界遺産に登録をされている。
→貯水池(9世紀のアグラブ朝が造った)
→グランド・モスク(マグレブ最古でミナレットの高さは37m)
→シディ・サハブ霊廟(聖者アブ・ザマ・エル・ベラウィのお墓)
→メディナの中のスークを見学
![](https://assets.st-note.com/img/1714814618703-OEVozXOB0M.jpg)
スベイトラ到着
スフェチュラ(スベイトラ)遺跡
3~4世紀にかけて建設されたローマの都市だが、5世紀にはヴァンダル人、6~7世紀にかけてはビザンチン帝国、そして7世紀半ばに侵攻してきたアラブ人によって襲撃され廃墟となった。
→凱旋門
→大浴場
→神殿(ローマの主神ユピテル、女主神ユノ、知恵の神ミネルバが祀られている)
🛏 スベイトラ泊
4日目 11月8日
🚌 ガフサ、トズール、シェビカを経由してサハラ砂漠の町ネフタへ
ガフサ
南部のアルジェリアに国境を接するカブサ州の州都
肥沃なオアシスの中心地で果実類の取引や絨毯と毛布の生産地。
温泉もあってローマ時代の浴場跡が残っている。
トズール
チュニスの南500kmにあり、アルジェリアとの国境までは60km足らず。ナツメヤシ栽培の中心地で約30万本もの木がある。
サハラ動植物園
フェネック【耳の大きな狐】、コーラ飲みラクダ、ガゼル、ヒヒ、ハイエナ、ジャッカルと昆虫、数種類の蛇やトカゲがいる。
一番興奮したのは、生まれて初めて見る角が生えた蛇だった!
頭の左右に1本ずつ生えている。
😆 フェネックも可愛かったが、それ以上にビックリした!
シェビカ
チュニジアのグランド・キャニオンと呼ばれるタメルザ渓谷が美しい。
1969年に大洪水が起きて、住民たちは近くに新しい村を作り生活をしている。
ネフタ
チュニジア最西端の町でアルジェリア国境まで約36km。
窪地に湧き出る泉を中心にヤシの木が生い茂り、コルベイユ(ネフタの花かご)と呼ばれる美しいオアシスの町。
サンド・ローズ売り
所謂「砂漠のバラ」のことで1個が1ドルで売られていた。
これは砂の中の石灰が雨水によって長い年月をかけて結晶化したもの。
周辺でも自分で掘り出すことができるようになっており、やってみたが大きすぎて四苦八苦で手に怪我をしそうだったので、途中でやめた。
🛏 ネフタ泊
5日目 11月9日
🚌 ジェリド湖、ドゥーズを経由して地下の家に住むベルベル人の町マトマタへ
ショット・エル・ジェリド湖
カベス湾(地中海)とアルジェリアとの間の低地にあり、海抜は16m。
東西に200km、南北に90kmで面積は4,940平方㎞の塩湖。
大地のあちこちで塩が固まっていて小山状になっている場所もあった。
ドゥーズ
チュニジア最南端のオアシスの町。
「グラン・エルグ・オリエンタル」というサハラ砂漠の「砂丘のフィールド」がここから始まり、北東アルジェリアまで広がっている。
ラクダに乗ってしばらく散歩。ラクダに乗る際と降りる際は体が一気に傾くので、気を付けないと落ちそうになる。何度乗っても慣れない。🐪🐪🐪
![](https://assets.st-note.com/img/1714814078493-sc20HxlHNF.png)
マトマタ
アラブの侵攻から逃れて南へと追われてきた先住民族のベルベル人達は岩盤がとても柔らかいこの地に穴を掘って住居や倉庫を作り住み始めた。
現在、約3千人が住んでいる。
まず、縦に穴を掘っていき、次に横穴を堀進めて四方に部屋を作る。
ファテマおばさんの家を見学させてもらった。上から見ると中庭が広くスペースが取られていて、よく考えてあると思った。
1976年のスターウォーズのロケ地にもなったそうだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1714814113991-D0qaGAwwMU.png)
🛏 マトマタ泊
6日目 11月10日
🚌 スファックス、エル・ジェムを経由してスースへ
スファックス
中部のスファックス州の州都でチュニジア第二の都市。
所謂、商業の町なので経済的にはチュニスをはるかに凌ぐとか。
リン鉱石に始まり、オリーブオイル、アーモンド、デーツなどを輸出。
丁度、リン鉱石を運ぶ列車を見ることができた。
エル・ジェム
円形闘技場
238年、ゴルディアヌス1世によって建設されたが、治世が長く続かず、街も廃れていき、そのまま砂に埋もれてしまったので、保存状態がよい。
ローマのコロッセウムよりも綺麗に残っているとか。
当時の収容人員は3万5千人で、3万人の住民よりも多かった。
ここでは死刑囚同士の戦い、猛獣と人との闘い、馬で引く戦車の競争などが行われていた。
![](https://assets.st-note.com/img/1714813968680-g8IwdpwPDq.png)
スース
中東部スース州の州都でチュニジアで3番目に大きな港湾都市。
チュニスの南南東150kmにあり、高速道路で結ばれている。
観光業はチュニジアで一番発達しており、ヨーロッパより多数のバカンス客がこの地を訪れるとか。
![](https://assets.st-note.com/img/1714814708907-5OxMNhKamW.jpg)
🛏 スース泊
7日目 11月11日
🚌 ナブール、ハマメットを経由してチュニスへ戻る
ボン岬
北東端にあり、地中海に突出する岬で長さは80kmある。
イタリアのシシリー島まで約140km。
オレンジ、レモン、マスカットの栽培が盛ん。
ナブール
ボン岬最大の町で焼き物(ナブール焼き)と共に漁業も盛んで、ランパロスと呼ばれる漁火を使った方法で行われる。
![](https://assets.st-note.com/img/1714814009295-jgdcgvsmt5.png)
ハマメット
16世紀にスペイン人によって建設された城塞が残っている。
チュニスから約80kmで今では一大リゾート地となっている。
19~20世紀にはパウル・クレーなどの画家やアンドレ・ジイドなどの作家を魅了してきた町。
🛏 チュニス泊
8日目 11月12日
🚌 チュニス近郊の観光
ブラ・レジア地下遺跡
2世紀にローマが植民都市を建設する前までは、ベルベル人のヌミディア王国の首都だった。世界遺産に登録をされている。
ここは地上と地下の二重構造でできた町で、夏は涼しい地下の部屋で冬は暖かい地上の建物で生活をしていた。
地震によって地上の建物はほとんど残っていないが、直射日光が当たらないため、地下には素晴らしいモザイク画がたくさん残っている。
→ミミアン大浴場
→ハウス・オブ・トレジャー(ビザンチン・コインが多数見つかった)
→狩りの館(狩りの様子を描いたモザイク画)
→アンフィトリートの部屋(ローマの神アンフィトリート、ビーナスとイルカに乗った天使)
→ローマ劇場(1,500人収容)
ドゥッガ遺跡
チュニスから南西へ約100kmの所にあり、北アフリカのローマ遺跡の中でも保存状態がよい。標高600mの丘の上にローマ時代以前とその後のビザンチン時代の遺構も残っている。世界遺産に登録をされている。
→リビコ・ピュニック廟(カルタゴの将軍ハンニバルに対峙したヌミディアの指導者アティバルが祀ってある)
→ローマ劇場(3,500人収容)
→マーキュリー神殿(貿易の神)
→風の広場
→キャピトル神殿(大鷲と皇帝アントニウスのレリーフ、ローマの主神ユピテル、女主神ユノ、知恵の神ミネルバを奉じた)
→リシニアン大浴場
→トリフォリウム(売春宿)
→公衆トイレ
→石塔(高さ21m)
![](https://assets.st-note.com/img/1714813868940-ZQWgymvdnh.png)
🛏 チュニス泊
9日目 11月13日
🚌 フェニキア人の植民地として栄えた古代カルタゴのローマ遺跡の観光
カルタゴ遺跡
B.C.9世紀に海洋民族のフェニキア人が植民都市カルタゴを建設した。
地中海の交易を独占したカルタゴは3度のポエニ戦争でローマと戦い、ハンニバル将軍の活躍もあって一時はローマ軍を追い詰めた。
第二次ポエニ戦争の時、ローマ軍のスキピオ・アフリカヌスという軍人がヌミディア王のマシニッサを捕らえたが、逃がしてやったことで、味方につけて勝利をした。
カルタゴは最後には敗れてしまい、町は徹底的に破壊された。
その100年後、カエサル、アウグストゥスの時代になって再建された為、現在見られるものはほとんどがローマ時代のもの。
→アントニウスの共同浴場
→円形闘技場
→ローマ劇場
→古代カルタゴの遺跡(フェニキア人の最高神を祀ったトフェと住居跡のみ)
![](https://assets.st-note.com/img/1714813820437-JV0qzteEnD.png)
![](https://assets.st-note.com/img/1714814803651-qdxAgnit8l.jpg?width=1200)
シディ・ブ・サイド
チュニスの北東約20kmにあり、1900年代初頭に景観保護の政令により、無秩序な建物の建設が禁止された。
白い壁とチュニジアン・ブルーの窓のコントラストが映える石畳の町。
本当にどこを向いても青い空と海とが重なり、絵になる風景だった。
![](https://assets.st-note.com/img/1714814214827-hbfE87Dwal.png)
![](https://assets.st-note.com/img/1714814868238-HIwWSxGWy9.png)
✈ 18:10 発 チュニス: エールフランス航空
20:35 着 パリ(オルリー空港)
✈ 23:15 発 パリ(シャルルドゴール空港):同上
10日目 11月14日
19:00 着 成田
チュニジアはどこへ行ってもカメラ代が取られます。
流石に観光立国だなあと思いましたが、その分、観光客ずれも激しくて、嫌な思いをしたりしました。
後記: 当時、他の国ではカメラ代を徴収する観光地は珍しかったのです。
今では当たり前のようになっていますが。
写真は海外旅行50回目くらいでやめたので、クラツーさんのホームページとパンフレットを引用させてもらいました。お礼申し上げます。
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