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ブータン

(28番)  1998年   4月
ブータンへ行ってきました。目的はパロで開催されるツェチュ祭を見学するためです。
1952年まで鎖国をしていた国として、また、国にとって大切なのはGNPではなくGNH(Gross National Happiness)国民総幸福論を唱える国として興味がありました。
参加者は16名でした。

ブータンはインドと中国(チベット自治区)に接しています。
主要産業は農業で、最大の外貨を稼いでいるのは電力です。国土がヒマラヤの斜面に位置していることを生かした水力発電での電力をインドに売却をしています。
国際協力事業団から派遣された西岡京治氏が農業の改善に尽くしました。国王から「ダショー 最高の人」という称号を与えられました。1992年に他界されましたが、今でも「ブータン農業の父」として人々から敬われています。

宗教はチベット仏教(ドゥック派)を信仰しています。
男性は「ゴ」、女性は「キラ」という民族衣装を身に着けることが義務付けられています。

観光は外国人の入国は制限されており、6名以上の団体で必ず旅行代理店を通さなければならないなど、数々の制約があります。
ヒマラヤの小さな王国を荒らさないために、ブータン政府から以下のお願いが出発前にありました。これらは過去に観光客によって齎された弊害で困っているからです。
A 仏具などの骨董品の購入と持ち帰り、また動植物、鉱物の持ち出しの禁止
B 子供たちや村人にお菓子、ペン、薬などの物品をあげないで。

4月6日
18:35 発 成田    ユナイテッド航空
22:55 着 バンコク  ホテルへ

4月7日
07:30 発 バンコク  ドゥック航空
14:00 着 パロ    バスにて首都であるティンプー(標高2320m)へ

パロ空港

16:00 着 ティンプー    ホテルへ

4月8日
終日、ティンプー市内観光
ブータンには信号機がなく、警察官が手さばきで交通整理をしています。

ナショナル・メモリアル・チョルテン(前国王記念仏塔)
第3代国王が発案してその遺志を引き継ぎ、第4代国王が建てた仏塔で1974年完成しました。
入って左側には大きなマニ車があります。これは時計回りに1回回すとお経を1回唱えたことになります。マニ車はハンディタイプの物もあって、人々はグルグルと回しています。

タシチョ・ゾン
ブータンの政治と宗教を担い、国王の執務室も併設されている最も重要な機関です。
ブータンの伝統の建築である釘を一本も使わない方法で建てられています。
もちろん、中には入れません。

タシチョ・ゾン

チャンリミタン スタジアム
こちらの横にある射場は国技である弓術の練習もできるようになっています。

的までの距離は130m

ブータン衣装の試着
ゴやキラを着させてもらいました。

その後、ティンプー市内が見渡せる丘へ移動。

そこで、14歳の女の子に声をかけられて「お母さんになってください」と突然言われビックリ仰天です。もちろん、英語です。
両親はいなくて弟とお祖母ちゃんの家で暮らしているとか。何か事情があるのは察しましたが、そこを去ろうとすると必死の形相で「住所を教えてくれ」と。
子供だから、大丈夫だろうと思ったのが、間違いのもとでした。
日本に帰国後、数週間してから彼女から手紙が届いたのです。
そこには「おら、こんな国嫌だ」と言わんばかりに何故日本に行きたいかなどが切々と書かれていました。
国民皆が幸せではないようです。特に若い子かな?

4月9日

小学校訪問
ブータンでは小学校から英語を学んでいます。
ある教室では凧を作っていました。
ここでは歌を歌ったり、こちらも日本の歌をお返ししたりしました。
私が腰に取りつけていた「万歩計」に興味津々のようでした。

凧作り
校庭

手工芸品館でショッピング
郵便局

その後自由行動

夕方パロへ戻ります。

4月10日

パロはブータンの空の玄関口で標高2300mの所にあります。

国立博物館
円形の建物で見学は上の階から下へと順繰りに降りて行きながら見ます。
曼荼羅、仏像、タンカからブータンの自然、文化、生活様式などの展示があります。
もともとは見張り塔だったため、眺めがよく、市内の真ん中を流れるパロ川や辺りの穀物地帯、パロ谷などがよく見えます。

その後、ツェチュ祭の見学へ。
ブータンでは仏教が国政にも人々の日常生活にも深く浸透しており、あらゆる面で仏教が規範、価値観を提供しています。例えば、祝祭日一つをとっても釈迦の誕生、成道、涅槃といった仏教に関連したものが多いです。この仏教的な性格の祭日のうち一番盛大かつ色彩豊かなものがツェチュ祭なのです。

場所はパロ・ゾン(リンプン・ゾン)のすぐそばのデヤンカ広場で開催されます。
ここは1993年公開でキアヌ・リーブス主演の映画「リトル・ブッダ」のロケ地です。
以下、写真でご覧ください。

パロ・ゾン
さあ、始まるよ


鹿の舞
閻魔大王地獄裁判
ランチ タイム

4月11日
起床は01:15でした。
真っ暗な中、昨日のお祭り会場まで向かいます。
本日はお祭りの最終日でトンドル(大掛仏)の引き降ろしを見るためです。
再度、写真でご覧ください。

トンドルが運び出される
かなり小さく折りたたんである
少しずつ上がっていく
寒くてブルブル震えながら見た

全体像
パドマ・サンバヴァ
法要の最中に眠ってしまう小僧さん
屋根の上で演奏をしていた

4月12日
ドゥゲ・ゾン
を遠目に見てタクツァン僧院(3060m)へ。
麓へ到着して、「あれがそうですよ」と言われても山の上にあり、小さくて点のようにしか見えませんでした。
断崖絶壁に建つタクツァン僧院は「虎の巣」という意味です。
8世紀にパドマ サンバヴァが虎の背に乗ってチベットから飛来してここに寺院を創建し、ブータン中に仏教を広めました。中には入れません。
普段は3人のお坊さんが住んでいます。毎年6月の一ヶ月間は1000人のお坊さんがここで暮らすそうです。

徒歩で往復6時間もかかると聞いており、全く自信がなかったのだが、何でもやってみなきゃわからないと歩き始めました。
慣れている人達はどんどん先に行ってしまい、一人でゆっくりと自分のペースで歩いて行きました。休憩を少しずつ入れながら往復4時間で行ってこられました。
万歩計を見ると45000歩ほどで、こんなに歩いたのは久しぶりです。
自分でもよく頑張ったと思います。下りは1時間15分しか、かからなかったです。

民家からこちらを見ていた
え?どこよ?
途中でホルンを吹いていた青年
まだ遠い・・・
おばあちゃんがこの後転んで苦笑いをした

タクツァン僧院

下で、他の人達が降りてくるのを待っていると添乗員さんが血相を変えて走ってきました。何があったのか聞いても添乗員さんは無視をするほど、慌てていました。どうも一人の方が捻挫をしたか、骨折をしたからしいのです。しばらくしてから、ガイドさんに背負われた女性が降りてきました。何とか大丈夫そうでしたが。

タクツァン僧院は我々が訪問をした1週間後に何と火事で焼け落ちてしまいました。
新聞記事を参照してください。
旅行会社から募金の話があり、私も募金をさせてもらいました。
現在は再建されています。

新聞記事

4月13日
07:00 発 ダッカ、ヤンゴン(当時のまま)を経由してバンコクへ
13:10 着 バンコク  ホテルへ

4月14日
07:00 発 バンコク ユナイテッド航空
14:55 着 成田

後記:旅行をしていると海外・国内問わず、現地に行ってみて初めて分かることや発見することはたくさんあります。
この子のように自分の国が嫌だと思っている子は他にもいることでしょう。
ただ、今は嫌だと思っていてもいろんな経験を積んで大人になった時にきっと自分の国の良さが分かる時が来ると思います。
私は世界中を旅してきましたが、日本を10代で飛び出しました。
日本が嫌でたまらなかったから。
そういう私に向けられる質問で一番多いのが、「どの国が一番良かったか」です。もちろん、答えは「日本」です。

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