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このアルバムで、Merle Travisが弾いているのはD-28だろうか。

今日の東京は気温が26度にも上がって、少し暑いくらいであった。
つい先日まで暖房をつけていたぐらい寒かったのに、急にこんなに暖かくなるなんて、東京の気候もどうにかしてしまったのかもしれない。

そんなことを考えながら、例によって誰も来店客がいないので、独り店で音楽を聴いていた。
村治佳織さんのベスト盤を聴いていたのだけれど、それが終わってしまったので、その次にMerle Travisが1959年にボストンで行ったライブ盤を聴いていた。

このライブ盤でMerle Travisは独りでアコースティックギター弾き語のみでライブを行っている。普段エレキギターで弾いている曲も全てアコースティック一本で弾いている。これがなかなか凄い。

Merle Travisといえば、前にこのnoteにも書いたのだけれど、ギャロッピングギター奏法を完成させたギタリストである。その彼が、アコースティック一本でギャロッピングを聴かせる。歌だけでなく、ギターソロも弾くのだけれど、それもギャロッピングでこなしてしまう。

何よりも、このアルバムの良いところは、音楽がシンプルでありながら聴き飽きないところだと思う。Merle Travisもギターを弾きすぎることなく、一曲をコンパクトにまとめている。

そして、ギターのサウンドがなんとも言えない力強さがあって良い。これは、あのBigsbyが作ったネックをつけた改造Martin D-28か。何ともベースラインが豊かに響いていてギターらしい音で録れている。アコースティックギター弾きは誰もがこういう音色を求めているのではないかとすら思える音である。

Martinのドレッドノートというギターはよくできたギターだと常日頃思っている。
私自身もドレッドノートに憧れ、社会人になって初めてもらった給料と、月賦でMartinのD-28を購入した。音色は素晴らしいギターであったが、1990年代末ごろの楽器だったためかネックが細すぎて、弾いていると指が痛くなるので、10年前ぐらいに二束三文で手放してしまった。

ドレッドノートの素晴らしいところは、その豊かな低音の鳴りである。ただ音量が大きいというだけでなく、弾いていると低音に包まれるような気分になる。アコースティックギターが、あんな迫力のある音を出せるというのは驚きに近い。そして、18、28、35はたまた40番台に至るまでシリーズごとにキャラクターの異なる中高音の煌びやかさである。

個人的には、40番代のあの煌びやかさにも魅力は感じるが、28のあの太いながらも程よくキラキラした感じが好きだ。Martinのギターは倍音の出方が特別で、他のギターメーカーにはなかなか真似できない。真似できたとしても、Martinの音ではなくて、Martinに「似せた」音にしかならない。それはそれで仕方がないのと、それぞれの個性があって良いことなのだけれど。

このところ、私はほとんどアコースティックギターを弾かなくなってしまったので、今更Martinのギターについて偉そうに語ることもできないのだけれど、Martinのギターは常に満点近くを叩き出せるポテンシャルがあると思う。そして、音量も出ながらも、繊細な音も出せる。

Martinのもう一つの面として、それぞれの時代の流行りに合わせた楽器を作っているというのも興味深い。流行っていた音楽によっては、例えばブルーグラスが流行った時は、音量を稼ぐために太いゲージの弦を張っていたせいもあり、ボディートップのブレーシングが太く、強くできていたりする。そういうところは芸が細かい。

Merle Travisのライブ盤を聴いていて、かつて所有していたD-28を思い出していた。あれで、もっと弾きやすかったら、文句なしに良いギターだったのだが。

アコースティック・ギターの世界はなかなか奥深いので、これからもきちんと勉強していかなければ。

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