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自己紹介@仕事編【夫婦専門カウンセリング】

はじめまして。
夫婦関係修復専門のカウンセリングを勉強中の豊田さきと申します。

私は現在、夫婦関係修復を専門としたカウンセリングルームオープンに向けて準備を始めつつ、カウンセリングの勉強も並行して行っております。

今回は私の育った環境や過去の仕事について紹介をさせて頂くので読んでいただけると幸いです。


①私の生育歴


私は中国地方の田舎で育ちました。
1991年生まれで現在32歳です。

両親は私が3〜4歳頃に離婚し、どちらについていくかと聞かれたので、おもちゃを買ってくれるという理由で父を選びました。

そこからしばらくは父と2人暮らしでしたが、いずれ父の実家(祖父母)と4人で暮らすことになり3人で協力し私を育ててくれていました。

私が小学校中学年になると父は新しいお母さんだよと1人の女性を紹介してくれて、入籍ののち私には腹違いの9歳下の妹ができました。

すると、それまで良くしてくれた新しい母も『父』も私に関心を持たなくなり、祖父母が親代わりで色々してくれていました。

そこから私が高校生になると父と母の喧嘩が増え、とうとう離婚することになりました。

DVだの、鬱だの、不倫だの、自◯未遂だの…

それはそれは泥沼で警察のご厄介にもなりました。私はそれを、遠い目をしながら見ていました。

離婚後は母と妹は出て行き、父から私への言葉の暴力が始まりました。何か言えば罵倒されるので、私には自分の気持ちを表現する事が許されませんでした。

高校卒業後はもちろん進学という選択肢は与えられないので、興味が有った『心理学』を学ぶことは叶いませんでした。

高校卒業後は地元の食品製造会社に就職し、2年勤務した後、自分のお金で県外の専門学校へ進学することになります。

②しごとのこと🔨

〈食品製造〉

19歳で地元の食品製造会社の製造部に就職し、職場の人に恵まれて楽しみながら仕事をしていました。しかし、私の10歳上の先輩を見て私は10年経ってもこの仕事をしているのかなぁ…?と思うようになりました。

〈品質管理へ異動〉

製造の仕事をしていた私にある日、異動の話が出ました。品質管理部門へ異動し、未経験なので何もかもわからない状態でのスタートでした。新しい部署も優しい先輩ばかりでとても働きやすい環境でした。

ただ、部署のリーダーからのあたりはややきつめで、作った資料を『ゴミだ』と言って床に捨てられた時は結構衝撃を受けました。

このあたりから、自分が専門的な勉強を何もしていないまま働いていることを疑問に思うようになり、専門性を学び仕事にしていきたいと考えるようになりました。

〈歯科衛生士初期🦷〉

以前の食品会社を2年で退職し、20歳の頃、自分のお金で県外の歯科衛生士専門学校に入学しました。

歯科衛生士を選んだ理由は【国家資格/夜勤がない/合格率が高い/全国どこでも働ける】などでした。

無事に国家試験をパスし歯科衛生士として働き出したのが24歳。
歯科衛生士の先輩は1人いたのですが『人が自分より負担の少ない仕事をするのが許せない』方で、たまたまそういう場面になったら患者の前でもお構いなく不満を言ってきました。
衛生士業務に含まれることも『やりたくないから、全部やってね』という方でした。

この時、食品会社時代ではとても許されないような、甘えた思考を許す院長にも歯科業界そのものにも不信感を持つようになりました。

そこでもう一度会社員として働こうと思い就活を始めました。

〈採用担当時代👩‍💼〉

転職先は運良くすぐ決まり、丸2年働いた歯科医院を退職することになりました。
【人に情報を発信していくこと】に挑戦したいと思い、採用の仕事を選びました。

未経験ながら結構大きな企業に採用していただき、頑張るぞ🔥と意気込んでいました。

やはり歯科の世界と違い、マナーや社会人としての能力は段違いに求められました。
初めての仕事なのでわからないことも多かったですが、先輩に聞きつつ今の自分に出来ることを全力で取り組みました。

大学生向けのセミナーを一から作り運営させていただいたり、あちこち出張へ行ったり、
本当に色々挑戦させていただきました。
もちろん、この時の私はこの会社でずっと働くぞ!と思っていました。

しかし…入社から1年も経たず私は退職してしまったのです。

はっきりした理由があるわけでもなく、日に日にメンタルが病んでいく感じがしてきました。トイレに篭ったら出れなくなったり、訳もなく涙が出たり、部署の人としゃべれなくなったり…

この時はまだ自分がおかしいと思えたので仕事終わりに勇気を出してメンタルクリニックに電話をしましたが、予約がいっぱいだと断られました。

『いま私を助けてくれる人は誰もいない』と
絶望感を感じ、さらに心を病んでいきました。

なんとか仕事をこなしても、認めてもらえない気がして上司に提出できない。頑張っても頑張っても私には無理なんだって…

ある日上司に呼び出されて任された仕事をしていない事を注意されました。
そりゃそうだ。自業自得。
ここでやっと最近の自分がおかしい事を伝えました。

仕事を完璧にするために焦っている。
上司に評価されるのが恐い。

と素直に伝えたところ…上司の返答は
『君の仕事は全然完璧じゃない』でした。

この言葉以降上司が何を言っていたか覚えていなくて、今まで頑張ってきたものが無駄だったんだと感じ心も限界に近づきました。

後日、退職する旨とお世話になった感謝を伝え会社を後にし『少し休憩』することにしました。

〈歯科衛生士再び〉

採用担当の仕事を辞めてからは3ヶ月ほどのんびりアルバイトをし、ぼちぼち転職活動をしていました。
しかし、なかなか希望職種からの求人はなく仕事が決まらない事への不安が募りました。

考えた末、歯科衛生士のオープニングスタッフとして復帰しようと決めました。

たまたま近所で募集があったので入職し院長と私2人でスタートを切りました。
今では患者数も増え、スタッフやアルバイトも来てくれたので、医院が盛り上がりを見せて行きました。

私は衛生士業務の他に採用業務や新人育成の業務をしたり、診療をスムーズに進めるために指示を出す立場を担っています。

過去には私が『厳しい』という理由で辞めた人もいるので上司って難しいなと感じる今日この頃です。

③2024年現在〜


採用担当の仕事を辞めた後から自らがカウンセリングを受けたり、歯科衛生士の仕事をしながらカウンセリングの勉強を始めたりしてきました。

⇩⇩⇩過去に受講した養成講座⇩⇩⇩

❶【中島輝さん】のHSPカウンセラー講座
❷産業カウンセラー養成講座
❹ジョイカウンセリングスクールの箱庭療法トレーニング講座


2024年を迎えるに当たって、今後のためにそろそろ本気でカウンセリングルームを始める準備をしていきたいと考えました。
SNS開設やホームページ作成したりと、あらゆることに取り組み始めたところです😄

④さいごに

私は今後夫婦関係修復を専門としたカウンセラーてして活動をしていきます。

きっかけは…私自身が夫婦関係修復カウンセラーさんのお世話になり、修復できたからです。それと夫婦関係の悩みがあまりにツラくて、こんなの1人で乗り越えるのしんどすぎると感じたからです。

世間では離婚をする夫婦が少なくなく、それだけ私と同じようにツラい思いをしている人も多いはずです。
そんな時に、離婚ではなく『修復』を後押しするそんな存在がどれだけ自分を勇気づけてくれるかを知っています。

私はそんな離婚したくないと思っている方に勇気を与えられる…そんなカウンセラーになりたいと考えています。

noteでは夫婦がハッピーになれる記事も書いていくので気になった方は【お気に入り❤️】していただけると嬉しいです。

また私の夫婦関係に関しても紹介させていただきたいと思うので、読んでくださいね。

長々と自己紹介をさせていただきました。
最後まで読んでくださってありがとうございます🙇‍♀️

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