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51. ありがとうの対義語


僕は人一倍「ありがとう」と「ごめん」という言葉を大切にして生活しています。


この二つの言葉を言えない人を見るとかなり腹が立つので僕はそういう人間にはなりたくないという思いから本当に大切にしている言葉なのです。


そんな僕は「ありがとうの対義語」を知った時に久々に心が震える感覚を味わいました。


ありがとうの対義語。


みなさんは何だと思いますか?


様々な考え方や意見があると思います。



ありがとうの対義語。




それは「当たり前」なのです。



これはマザーテレサが言った言葉だそうです。


当たり前であると感じてしまった時には「ありがたい」という感謝の心は次第に離れていくのです。



僕は「ありがとうの対義語が当たり前である」と聞いた時、咄嗟に漢字の「有難う」が頭に浮かびました。


読んで字の如く、有るのが難しいことを昔の日本人は「有難い」と形容したのです。


有るのが難しいの反対の言葉は


有るのが難しくない。


つまり、当たり前なのです。



このような思考回路になったのですが、この言葉が日本語と恐らく全く縁もゆかりも無かったはずのマザーテレサが表現したことが非常に興味深いと思いました。




僕はこの言葉を聞いた時にほかに、僕がなぜありがとうとごめんを言えない人に嫌悪感を示したのかを思い出しました。


昔、夜遅くに僕の家に原付で来た人がいました。


その駐輪場で彼の原付が溝にハマって抜けないから助けてくれと呼び出され、10分ぐらいの格闘の末なんとか原付を救出できました。


そして、その原付の救出後、彼が言った言葉が、


「あーまじ大変やった。クソだるかったわー。」


と言いながら僕の家に入って行きました。

は?


まずはありがとうかごめんを先に言えよ。


俺がお前のトラブル手伝うん当たり前やと思ってるんか?

ととてつもない不快感を感じたがありました。



そこでありがとうとごめんを言えない人間にだけは絶対なりたくないと思うようになりました。


この言葉を聞いた時、この経験がフラッシュバックし、当たり前だと思っている時には、ありがとう、ごめんという言葉が出ないんだなと感じました。


逆に言うと、ありがとうを伝えないのは相手にそれをして当たり前だと伝えているようなモノなのです。


そのような不快感を与えないように常にありがとうという言葉を伝える意識を持つことが大事だと思いました。



また、往々にして人が陥ってしまい、本当に気をつけなければならないことがあります。



それはありがたい環境にも慣れてしまうということです。



毎日の食事を食べられることが当たり前になっていて、そのありがたさを忘れていませんか?


言論の自由、民主主義が保障されていることが当たり前になっていませんか?


それらは過去に多くの人類が命の犠牲のもとに恩恵を受けられているのにそれは決して当たり前ではありません。


それは決して当たり前ではなく、ありがたい事なのです。


ありがたいことに感謝し続けることは難しいことですが、自分の置かれているありがたい環境や、支えてくれる人たちにありがとうと思い続けられる人間でありたいと思っています。




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