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わたしとBiSH

明日、2023年6月29日はBiSHが解散する日だ。
世間的には、BiSHという名前を聞くと、解散を発表した2021年12月末以降、あぁ解散しちゃうやつだよね~とか下ネタすごい過激なアイドルのイメージを持たれていたのが私としては印象強い。

しかし、私にとって「解散しちゃうグループ」「下ネタ過激派アイドル」そんな言葉で片づけられるようなグループではない。青春、生きる意味、心から楽しいこと、大切な人との縁、あげきれない程たくさんのものを私の生活に与えてくれた存在だ。

解散前日まで、大丈夫わたしはそこまで解散してもダメージを受けないはずだと暗示をかけて、感情に蓋をして、誤魔化し続けてきたクソプライド持ちオタクの独り言に過ぎないが、再録音源を聞いて今何か形として残さないと後悔すると思ったので「わたしとBiSH」の記録をしておこうと思う。


〈BiSHとの出会い〉
BiSHとの出会いは、実は正確には覚えていない。2019年高2の秋、吹奏楽部の定期演奏会の台本を作っているときに、1個下の後輩の口からぽろっとでたBiSHというワード。これをきっかけにBiSHを認識して、台本に組み込むために情報収集をしているうちに、気が付いたら惹かれていたような気がする。当時、欅坂46のオタク歴3年目だったが、グループ自体にいろいろな問題が生じており、ファンとしてもその状況が見て取れることも、新しくCDが出ないことも、出たとしても暗すぎて鬱になりそうでまた息が詰まることもあった。でも高2の私にとって、もはや欅坂を推すのを辞めるなんて選択肢は思いつきもしなかった。そんな時であったのがBiSHだった。前向きで、全力で、まっすぐなBiSHの姿は、なぜか刺さった。顔が特別可愛いわけでもない。なんか説明できないけど好きだと思った。ここから、ひたすらMVを漁り、BiSHの曲を聴き続け、情報を収集しまくる清掃員(BiSHのファンの名称)としての生活が始まった。


〈推し アユニ・D〉
アユニちゃんが推しメンになった理由、顔と可愛い挙動だ。
当初、とにかく顔が好きで好きで、写真を集めまくっていた。
でもアユニちゃんの魅力は、そんなところで留まらなかった。
1番の魅力は、「努力できるところ」
完全素人で、1人あとからBiSHへの加入。
全く話せなかったステージで泣いてるおどおどした少女が、
バキバキに踊って、気が付いたらメインボーカル並みに歌割が増える。
ひとりでバンドの真ん中で歌いながらベース弾くようになる。
後輩に素敵な言葉をかけるようになる。
才能だけじゃなく努力がみえるところ。
そんなところが、いわゆる器用貧乏系のわたしにないかっこよさが刺さった。

〈合宿オーディション2020〉
WACKは毎年3月に1週間の合宿オーディションがある。この時期には、どっぷりBiSHに浸かり、合宿もニコ生配信をほぼフルタイムで見ていた。あくまでBiSHが出るから見る、ではあったが。
圧倒的邪道アイドル事務所WACKのコント審査や早朝マラソン、デスソースは、正統派なアイドルしか見てこなかった私にとってとても新鮮で、面白くて仕方がなかった。
そして、BiSH同様のまっすぐさや全力さをもつけれど、もっとがむしゃらでキャラが濃いWACKのメンバーに出会うことになる。
そこで出会ったのが、現在1番大好きな推しGANGPARADEの「月ノウサギ」だ。WACKなの??と疑うほどのビジュアルをもつのに、どこか不器用で、ひたすらがむしゃらに全部全力すぎるところがこの1週間で好きになった。

私の推しメンは、アユニちゃん月ノさんの2人に増えた。

〈高3のわたしとコロナ禍のBiSH〉
高3になった。新型コロナウイルスが流行し、BiSHはライブができなくなった。私は、田舎の受験生でライブに行くなんて1大イベントで、親が許してくれる状況でもなかったのでそこまで気にしていなかった。ただ、BiSHの情報を追って、曲をきいて、日常にBiSHがいるようになっただけだった。よく覚えているのは、LETTERSの発売とニコ生での配信ライブだ。LETTERSには、メンバー手書きの色紙がついていた。田舎のショッピングモールの小さなCDショップにも入荷していて、どのメンバーのがあるか見に行ったような記憶がある。生配信は、TBSという毎年恒例のライブだ。部活で帰りが遅く、間に合わない!!と騒いだ結果、母がPCをビデオカメラで撮影するという奇行をして、見せようとしてくれた(結局はリアルタイムで見れたような記憶がある)。ライブ会場にお客さんは一人もいないのに、まるでいるかのようにしてくれるメンバーの姿が温かくて、BiSHとの物理的距離は相変わらず遠かったが、清掃員を大切にしていることをまっすぐに伝えてくれる姿からまたより一層好きになった。

その後、受験勉強が本格的になってからもBiSHの情報は追い続けていたし、受験シーズン真っただ中にできた当時の彼氏に布教して好きにさせちゃうくらい、聞きまくっていた。受験当日はPEDRO(アユニのソロプロジェクトバンド楽曲)の東京をぎりぎりまで聞いていた。BiSHには、相変わらず1度もあったことはなかったが、1番の精神安定剤だった。

〈WACKを見に行き始めた大学生のわたし〉
ここで少し脱線するが、大学1年生になり親元を離れ1人暮らしを始めたての4月、WAggのライブに行くことにした。月ノさんがその時期間限定で移籍していたのが理由だった。BiSHより先に見たのがWAggで月ノさんだった。雨の日で、初めて髪を染めに行った日だった。まだ土地勘もなかったが、美容室からバスに乗りライブハウスを目指した。WAggは研修生グループで持ち曲がない。WACKの各グループの曲を使ってのライブだ。もちろんBiSHの曲もだ。声は出せない。でもすごく楽しかった。WACKがよりすきにいなって、月ノさんのこともより好きになった。BiSHに会いたくなった。でも、遠征する勇気はなかった。

この年の冬、近くにPEDROが来ることになった。行くしかないと思い、FCに入り、少し高いチケットをとった。Twitterもいままでの閲覧用ではなく、オタクと交流できるアカウントを作った。
はじめてのアユニちゃんは、PEDROのアユニ・Dだったが、思っていたよりも背が高くて、ライブはバンドのノリが分からなくて、戸惑った。だが、かっこよくて可愛くて、弱そうだと思っていたけれどちゃんと立っている、動いてる推しに感動した。

〈解散発表〉
意味が分からなかった。クリスマスのケーキ屋バイトに向かう電車の中で絶望した。まだ1度も会えていないのに、解散なんて信じられなかった。これから、お金がたまったら、とか言っていられない。気づいたら会いに行かなくちゃと思っていて、FC加入のお金を握りしめていて、コンビニに向かっていた。結果的に、この解散発表のおかげで、たくさん行ったことがない場所に行く勇気をもらったのかもしれない。

〈清掃員との出会い〉
冬に作ったTwitterは、初め何となくノリだった。ちょっと仲良く話せる人ができたらいいな、そのくらいだった。きっかけは忘れてしまったが、いつからかスペースで毎日のように集まって話すようになっていた。新鮮で、好きな人たちについて話せる人がいることと、全国各地の人と話しているのが面白くて幸せだった。最終的に色々な方言を聞き取れるようになった。
ここで出会った清掃員は、なぜだか西日本(主に九州)の人が多かった。とにかくこの人たちに会ってみたくて、佐賀への遠征を決めた。
ここで出会った人は、今日までずっとお世話になっている大好きな人たちだ。ノリではじめたオタクアカウントのTwitterは、世界を変えてくれた。

〈BiSHを追いかけて全国を飛び回る〉
2月、WACKツアー仙台を皮切りにとにかくBiSHに会いに行った。会いたい人、一緒に行ってくれる人の存在は偉大で、気が付いたら夏までに、福岡、佐賀、山形、大阪、香川、熊本に上陸していた。GANGPARADEの月ノさんにも会いに行っていたが、上半期はBiSHで西日本に行って大好きなみんなと大好きなBiSHを見て、ライブ後にご当地のご飯を食べながら話したり、一緒に泊まる時間が至高だった。
全部大切な思い出だが、1番鮮明なのは香川の野外ライブだ。瀬戸内海がバックになっているステージ。徐々に夕日が落ちていく最高のロケーション。初めて、連番でライブを見た。ライブ中一言も言葉を交わさずとも、肩を組むパートや推しパートでジャンプする前は感情の高まりを共有しているのが肌で分かるのが、1人の時とは全く違うものだった。「解散」というワードは出しつつも具体的に2023年のいつ解散するか分からなかったから、1月1日に解散しても後悔しないことを第一に考えていた。

〈BiSHへの想いの変化〉
BiSHが好きだ。でも、GANGPARADEがもっと好きになってしまった。2022年の上半期からGANGPARADEの月ノさんに会いたくて足を運ぶようになっていたが、ある時GANGPARADEへの好きがBiSHを上回っていた。
理由のひとつは、GANGPARADEが一つ一つのステージへの熱量が安定して高すぎたから。解散発表後のBiSHのスケジュールは、鬼畜だったと思う。メンバーの苦労は計り知れない。だが、その大変なスケジュールをこなしていく中で、一つ一つのステージでの最大火力が下がっているように感じてしまっていた。毎回BiSHは楽しいけれど、それよりもGANGPARADEのアツさに魅了された。
もうひとつは、解散が怖くなってしまっていたから。「これからも楽しい現場を作り続けていきたい」という終わりじゃなくて続きを一緒に作っていこうという言葉が何より欲しかったのかもしれない。無意識のうちに惹かれていた。

それでもやっぱりBiSHは原点で大好きで、清掃員のみんなも大好きだったし、会いに行かないと後悔するのが分かっていたから定期的に足を運んでいた。解散日が発表された12月22日もそんな気持ちで足を運んだ現場だった。


〈解散日の発表 世界一綺麗なBiSH〉
この日は、月ノさんの誕生日だった。カフェで、生誕をするのに大好きな清掃員のお姉ちゃんみたいなお友達が付き合ってくれて、ゆっくり昼間時間を過ごした後にみんなと合流して代々木第一体育館に向かった。
特別なライブだった。オーケストラ隊がバックについてのパフォーマンスは唯一無二で今まで何回も繰り返し聞いてきた曲たちだとは思えない特別な者たちだった。贅沢すぎる時間だった。

最後のMC、チッチが東京ドームと口にした瞬間
清掃員たちの喜びにあふれた拍手とどよめきは、
スクリーンに映されたメンバーたちの複雑な表情によって、すぐさま変化した。大きな会場だったけれど、みんなこの後何が告げられるのか分かった、というような空気に変わった。私も受け入れたくなかったけど、やっぱり察したし、チッチの「6月29日に解散します」の声は一生忘れないと思う。

そのあとの代表曲オーケストラ
冒頭の抱き合う振付の時に、隣にいた昼間からずっと一緒にいてくれた大好きな人がぎゅってしてくれたのを皮切りに今までのライブでないくらいぼろぼろに泣いた。
大好きな人の誕生日は、大好きな人たちが見れなくなる日のカウントダウンの始まりの日になった。


〈GANGPARADEに入れ込む2023年のわたし〉
12月22日以降で、BiSHを見たのはONAGAWACKと5月の新潟公演だけである。BiSHの解散日が発表され解散ライブのチケットは確保していたが、やはり現実逃避の気持ちと、GANGPARADEへの好きは変わらずだった。

飛躍するGANGPARADEを応援するのが楽しくてしょうがない。仲良くしてくれる清掃員は今までと変わらず大好きで、連絡も取っていた。しかし、BiSHのオタクである清掃員は母数も多く、Twitter上でたびたび騒ぎになったり揉めているのをみているのも辛かったから、平和で温厚で、まっすぐなGANGPARADEの輪が落ち着く場所になっていた。

そして迎えた6月28日。
BiSHの最後のアルバムがサブスクに登場してもすぐは心の準備ができていなくて聴けなかった。
午前4時近く、意を決して再録の代表曲たちを聴いた。
このまま逃避してても後悔するなと思い、書き始めた冒頭に戻る。


〈BiSH解散とわたし〉
BiSHに出会わなければ
大好きなオタクにも出会っていないし、
全国を飛び回ることもなかったし、
GANGPARADEにも出会わなかった。
BiSHを好きにならなかった場合の自分がどうなっていたか、想像してみても、今の自分より楽しそうにしている姿はどうしても想像できない。
結局、BiSHが今のわたしを作っている。

他の清掃員から見たら、私はあまりいい存在に見えていないかもしれない。
それでも、BiSHに出会って人生を作ってもらった身として、
明日は、BiSHのように全力で、まっすぐにありがとうを伝えたい。
自分なりに逃げずに後悔しないようにBiSHの解散を見届けたい。

やっぱりBiSH大好きです。
最後までよろしくね。




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