母の見舞い。
8/24晩夏。街路樹の蝉が騒がしくも暮れ方が過ぎてゆく常盤台駅前。赤羽行きのバスに乗って10分、途中淑徳学園辺りに降り立った。今夜も介護入院中の母の見舞いに行った。10日ぶりだ。できれば毎日行きたい。しかし時間がそれを許さない。
4Fの病棟に足早に向かうと母は夕食中だった。良かった、間に合った。しっかり食べているのをみると安心する。顔の血色もいい。口の周りに付いたご飯粒をティッシュでふき取ってやると無言でにっこりと笑う。痩せこけた首筋。か細くなった手足は動かせても起き上がって歩くことはできない。病で肺の機能が低下し、苦しい苦しいと口癖のように静かに訴えかけてくる。
去年の夏あたりはまだ自宅近くのビッグボーイで一緒にハンバーグを食べることができたのに。つい1年半前は和幸にも、ミヤマ珈琲にも一緒に歩いていけたのに。もう二度と一緒に出歩くことはできない。前の病院で治療を諦められてしまった。医療は母を見捨てたのだ。医学とは何か?寿命とは何か?ひとつの生命とは。
それでも、最近なんとなく、やっと自分の生きる価値というのを見出せてきたような気がする。母が献身的に私を生み育ててくれたように、今度は私がその恩義から、母を敬い、献身的に世話をして、やがては最後を看取らねばならない。そのためにはなんとしてでも自分自身の早逝だけは避けなければいけないのだ。
「珈琲が飲みたい。」そう言った母に、私はすかさず病院の近くのLawsonに向かい、珈琲を買いに行った。母が好きな甘いホット珈琲を、フゥーフゥーと息を吹きかけながらベッド横のテーブルの上に置いて冷めるのを待つ。徐に手渡した珈琲を傾いて零れないように気を遣いながら、ひと口ふた口飲む様子を眺める。「やっぱり美味しいわ。」しわがれた声で、ややうつろな目をこちらに向けてこたえてくれる。まさかこんなことになるとはと悲愴感を含んだ謂れのない後悔の念がグッと込み上げてくる。
介護スタッフの女性が白いカーテンをビシっと閉めにきた。自宅介護が困難な状況でとても感謝している。オムツの処理など大変な仕事だ。それでもスタッフさんはニコリとして、息子さんはお母さんに似てますねと母に優しく声をかけてくれる。母親も笑顔になる。穏やかな雰囲気。静かな時間が流れていく。19時前でも外は暗い。そろそろ帰るね、俺も夕飯たべなくちゃ。明日も来れたら来るから。母との一日の別れ。祈りの日々が続いてゆく。
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