古参は新参にとっての脅威にも救世主にもなる
「古参ののさばり」がコミュニティ衰退の引き金となる。
けんすうさんのコミュニティに関する話に出てきたもの。
感覚的にすごく分かる。共感する。
身近なところで分かりやすいのは中学の部活。
多くの人が人生で初めて対峙する先輩と後輩という関係。
先輩の言うことは絶対で、後輩は従うしかない。
そこには理不尽と思われることも少なくない。
その後輩もいずれは先輩となり、手にした先輩という地位を振りかざして次の後輩が標的となる。
もしかしたらこれが人生で最初に出会う「古参ののさばり」なのかもしれない。
幸い自分は先輩に恵まれたのでこのような経験は避けることができたが、
友人はこのような「古参ののさばり」によって修羅場を迎えていたこともあった。
古参は新参とくらべるとコミュニティのコンテクストを熟知しているため、
コミュニティ内のルールや立ち振る舞い方などの知識がある。
基本的には在籍期間とそのコミュニティのコンテクストへの理解度は比例関係にある。
古参と新参の差はコンテクストへの理解度だ。
では、そんな古参がのさばっているとはどんな状態なのだろうか。
改めて言語化してみる。
古参がのさばっている状態とは、
・古参だけで盛り上がっていて新参が入り込む余地がない
・古参が新参にマウンティングする
という2点がある。
これによって新参は安全安心も脅かされ、そのコミュニティを居場所と感じることができなくなってしまう可能性が高い。
新参が定着しなくなり、コミュニティとしては衰退の一途をたどっていく。
では、どうすればこの古参がのさばる状態を防げるか?
考えてみたいと思う。
・古参だけで盛り上がっていて新参が入り込む余地がない
→ある種の内輪というものは絆を深めるのに必要。ただし、そこに新参も受け入れるという空気感も同時に作るのが必要不可欠。新参がその輪に飛び込むのはハードルが高いので、古参が積極的に新参とコミュニケーションを取りそのハードルを下げに行く。
自分自身の経験としては、新参にあだ名をつけるというのは効果的だ。それ自体が古参と新参の絆の一つになる。新参からすればそのコミュニティに受け入れられたという感覚を得られる。
・古参が新参にマウンティングする
→古参が新参にマウンティングするのはそれまで培ったコミュニティのコンテクストが壊されると感じ、そこに抵抗するため。新参はそのコミュニティでの歴史が浅いがゆえに、意図せず培ってきたコミュニティのコンテクストに合わないようなことをしてしまうことがある。そこに古参は脅威を感じ、つい弾圧してしまう。
もちろんコミュニティに最低限のルールは必要。とはいえ、古参は当たり前だと思っていることでも新参は分からない。その前提に立って、丁寧にコミュニティのコンテクストを手渡しで伝えていく。コミュニティのコンテクストをいきなり強要するのではなく、理解をしてもらう努力をする。
「分からないことは何でも聞いていいんだ」という空気感を作ることが大切。
コミュニティに長くいる古参のポジションは、新参にとっての脅威にも救世主にもなりうる。
のさばるのか優しくするのか。全ては自分次第。
いつもありがとうございます!