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コミュニティについて考える「余白のある人」

余白。

最近はこの言葉をポジティブな場面で使われるのをよく見聞きする。

「あの人には余白がある」
「うまく余白を出せている」
など

コミュニティにおいても「余白のある人」の方が人を巻き込みやすい。
そもそも余白とはどのようなことなのか。


”自分ごと化する余地”という風に自分自身では捉えている。

当然自分ごと化することによって人は熱量が生まれ主体的に行動するようになる。
だからこそ余白がある人に人は集まり熱量が高まる。

ここで言う”余白がある人”というのは”余白を生み出している人”のこと。


余白を生み出す人には2つパターンがあると見ている。

① 自然に余白を生む人
周りに表裏を感じさせない自然体の人。自然に自分の凹をさらすことができるので、その人の凹を埋めるように周りが自分ごと化して動く。

② 意識的に余白を生み出す必要のある人
凹があまり目に付かず、ある種「完璧」のように評価されがちな人。凹があまり目に付かないため周りが自然と凹を埋めるようには動いてくれない。そのため、自ら周りを頼りお願いをするという形で凹を作り出す必要がある。「完璧」に見える人から信頼され一任してもらえることで、「その信頼に応えたい」と周りが自分ごと化して動く。

ただし、いずれのパターンにしても大前提がある。

それはそのコミュニティの中で行動を起こし続けることで信用が貯まり、人が集まるようになっている状態の人であること。

いくら余白を生み出したところで、その人自身が人を集められる人でなければただの徒労で終わる。人が集まっている状態でないと人を巻き込むことはできない。

人を巻き込むためには信用を貯め続けることが必要不可欠だ。信用という前提条件があって初めて余白というものはスケールする。

自分の凹があっても、それが人を巻き込む力になる。
だからこそコミュニティは面白い。


#箕輪編集室 #SalonxSalon #コミュニティについて考える

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