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悲しいことがあった時は、いつもこの空を見ていた。

「お気に入りの場所を見つけなさい」 それは亡くなった母が私に残した言葉だった。

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私の母は私が5歳の時に病気で亡くなった。どうやら珍しい場所にできた癌だったらしい。
実際は私が3歳の頃から入退院を繰り返していたから、正直なところ母の記憶はほとんどない。うっすら覚えているのはがんセンターの病棟の景色と消毒液の匂いだけで、我ながらどうしてこんなにどうでもいいことしか覚えていないのだろうと腹立だしくなる。

でも母が亡くなったその後も、母との思い出は増えていくこととなる。亡くなる前に母は、未来の私に手紙を残してくれていたからだ。
8歳の誕生日の日から始まり、9歳、10歳、11歳、そして少し飛んで20歳と、毎年誕生日には父経由で母からの手紙が届いた。

そして冒頭の言葉は初めて母から手紙が届いた日、8歳の誕生日に母からもらった言葉だった。その手紙にはこう、綴られている。

「愛する奏葉。 今年は「自分のお気に入りの場所」を見つけられるようにがんばって下さい。たとえつらくてもそこにいると幸せを感じられる公園とかお店、もちろん居心地の良い自分の部屋でもかまいません。
人は つらいことがあっても 自分が本当にリラックスできる場所があれば乗り越えられるものです。」

手紙を読んだ私は街中を歩き回ってお気に入りの場所を探した。夕焼けが綺麗な場所、見晴らしの良い階段の上、街にはたくさんの素敵な場所があった。でもどの場所も特別な場所だとは思えなくて、結局お気に入りの場所は見つからなかった。
お気に入りの場所探しは探検のようで楽しかったけれど、8歳の私には他にもたくさん心惹かれることがあった。新発売のゲーム、友達との交換日記、詩を書き溜めていたノート。そんなキラキラしたものたちに囲まれて、気付けばすっかりお気に入りの場所探しのことは忘れてしまった。

そして月日は流れ、私は少しずつ大人になっていった。高校生になる頃には、小さい時に憧れていた少女漫画のような世界はどこにもないことを知った。年を重ねるごとに体の自由は増えていく反面、心は不自由になっていくように感じた。家も学校も息苦しくて、時々気持ちが爆発しそうになって。そんな時にはよく家を飛び出して、夜の街を走っていた。走っている間だけ、思考が空っぽになって辛いことを忘れられる気がした。

さらに時間が経って、私は大学生になった。大学生になっても私の心は弱いままで、大人と呼ばれる年齢になっても心が完成する訳ではないことを知った。将来のこと、家族との確執、人間関係の失敗。中高生の時とは違った現実味を帯びた悩みが心を覆って、また時々爆発しそうになった。でももう走るような気力や体力はなかったから、そんな時は街を歩いた。かつて自分が走っていた場所を。

歩く中で、私はいつも同じ場所で立ち止まった。
高台の上、空が視界いっぱいに見える場所。特別な場所でも何でもなかったけれど、人気が少なくて視界が開けたその場所で、空を眺めるのが好きだった。
風に吹かれて空を眺めていると、自分の何かが浄化されるような気がしてどこか気持ちが楽になった。

そのうち、家を出てまっすぐその場所に向かうようになった。街を歩き回る訳ではなく、ただその場所で空を見るために。時には音楽を聞きながら、時にはこっそり泣きながら、私は何十分も夕方と夜の境目の空を見つめた。
…そういえば、悲しいことがあった時は、いつもこの空を見ていた。
ふとそう思った時、いつの間にか昔探していた場所を見つけていたことを知った。私にとってはずっとここが「お気に入りの場所」だったのだ、と。

お気に入りの場所。母との約束の場所。私が住む街の開けた高台の上。
悲しいことがあった時、私はいつもこの空を見ていた。
そしてきっとこれからもそんな日々は続くのだろう。

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こんばんは、奏葉です。
今日は、ずっと胸にしまっていた大切な話を書いてみました。

お気付きの方もいるかもしれませんが、今日の投稿の写真は私が撮ったものです。この投稿にはどうしても「この空」を載せたくて、この写真を選びました。
撮ったのは2年前の11月。私はこの時期の夕焼けが1番好きです。

読んでくださった方にも素敵なお気に入りの場所が見つかりますように。
火曜日、良い夜をお過ごしください。



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