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ゆりの島


 初めてのシルバーウイーク、たっぷりの時間があったので沖永良部島まで足を伸ばした。
徳之島からは、フェリーで約2時間、日帰りも可能だが、あわただしいので、1泊することにする。出発前夜にいくつかホテルに電話するもどこも満室で、ようやく古い部屋ならありますがというところがあり、泊まれればいいのでとそこに決める。
当日は島の東側の港である亀徳港までは車で5分しかかからないので、フェリーの入港10分前に家をでる。出港は入港後30分である。ところが港に着いたものの人影まばらで、不審に思いつつ、ターミナルへ行ってみると、「本日天候不良で、平土野港へ変更になりました」と貼り紙がしてある。平土野港は島の西側の港である。目の前が真っ暗になったが、気を取りなおして、島の東から西側に移動する。出港まで40分。普通に行けば約40分かかるが何とか間に合うだろうか?今日はもう無理だろうかと思いつつ車を走らせる。思えば台風はとうにはるかかなたに移動しているし、よもや港が変更になるとは思ってもみなかった。だが一昨日飛行機からはふだんは青いだけの海に、だいぶ白波が立っていたのを見たのを思い出した。太平洋は広いが、海は続いていて、はるかかなたのこの島まで影響を与えていたようだ。移動しつつ海をみると、サーフィンできそうなほどの波が打ち寄せている。車を進めると島の西側の海は凪いでいる。この島が大きな防波堤の役割を果

沖永良部のビーチ

たしているようだ。
平土野港へは初めてだ。道しるべをたよりに何とかたどり着き、切符を購入しようと、ターミナルへ入る。
「フェリーは何時に出ますか?」
「もうすぐ出ますよ。」
車検証が必要だというので車まで取りに戻る、間に合うか気が気でない。係りの人ももう1台載りますと、フェリーへ連絡するふうでもない。駐車場はターミナルの裏手、岸壁に接岸しているフェリーの周りは荷物の積み下ろしや見送り客であわただしくしている。どの道を通って行くのだろうか?
「まっすぐ行けますよ。」
安心して出発してみると、フェンス3台で行く手が塞がれている。助手席を降り、自分で重いフェンスを動かし車が通るスペースをあける。間に合わねばと必至だ。案内の人など全く見当たらず、作業中の人に声をかけると、
「フェリーの乗り口はあちらです」
とようやく乗り込める事となった。フォークリフトが行きかうなか、巨大なフェリーの貨物室を通り、車両甲板へ駐車する。思ったより大きな船で、まるで吸い込まれるように乗り込んだ。
「窓を開けてください」
と係員に言われたが、フェリーのエンジン音に負けない大きな声で、広い車両甲板の所定の位置に駐車するまで、ずっとオーライオーライと声をかけ続けてくれた。こうして安全が保たれているのかと思うときびきびした声が、本当に心地よい。
フェリーは徳之島を離れ、外洋にでると大きく揺れたが、船が大きいせいか船酔いはせずに済んだ。徳之島が見えなくなると、ほどなく島が見えてきた。あっという間に沖永良部島だ。今度も島の西側の港伊延港に到着するこ

とになった。出発が遅れたが、スピードを上げたのか到着は定刻だった。ターミナルもない小さな港だ。早速島を一周することにした。まずは予約したホテルを探す。通常の港、和泊港から徒歩10分なので、すぐに見つけることができた。観光地図をもらって出発だ。花の島だが、3,4月がベストシーズンとのことで、今は花は見あたらず、サトウキビ畑や花を栽培しているらしい電球を張りめぐらした赤土の畑がたくさん見られる。自生するバナナやハイビスカスも多い。のんびりした佇まいだ。
昇竜洞というかなり大きな鍾乳洞へも行ってみた。遣唐使の時代の人骨が残っていたとのことで、歴史を感じた。鍾乳石は3年で1ミリ伸びるというから、想像もできないくらいの長い時間をかけて自然が作り上げたものだ。外の暑さとは無縁の涼しさだ。鍾乳洞の入り口は亜熱帯らしく熱帯植物で囲まれて、冒険の気分だ。かなりの時間歩いて通り抜けた。
 大隅半島の実家にはえらぶ百合が植えてある。数年前に球根をもらい植えたものだ。格別の手入れもしないのに、毎年美しい白い花をつける。年々株が増え、花もおおきくなりあでやかに咲く。今年は夫も徳之島の庭に球根を植えた。全く園芸の心得がないので大丈夫かと思っていたが、たまの水やりだったのに美しい花を咲かせてくれた。その花の故郷に来たのだ。日帰りでも観光できる所を2日間あるので、観光地図を片手にのんびりと見て回った。観光地図にはなかったが、山の中に和泊町歴史民俗資料館の看板が目にとまり、入ってみることにした。入口突き当りに聖母マリアの絵がある。ゆりは純潔のしるしで、聖母マリアの絵には必ず描かれていると説明文がある。今まで意識して聖画を見たことはなかったが、その通りだ。
見渡すとこの資料館は永良部ゆりのたくさんの精巧な模型や、栽培方法、百合の歴史など、百合の資料館と呼んでもいいほど百合についての資料がそろっている。夢中になって見たり読んだりした。
何と50の花をつけた株もあり、茎も立派だ。本物そっくりの模型なのだ。なんだかいつかこんな風に育ててみたくなった。数百年前に横浜在住の英国人貿易商が、難破してこの島にたどりついた。自生する美しい鉄砲ユリをみたその人は、島の人々にヨーロッパではとても必要な花だ。是非買いに来るので、栽培して増やしておくように言い残して島を去る。数年後再び彼は訪れ、鉄砲ユリの輸出が始められたという。ヨーロッパへ送る間、球根が痛まないように輸出用の木製の箱を考案したのも彼だそうだ。えらぶゆりにこんな歴史があったなんて驚きだ。
 育て方の図もあった。球根は三分の一を残して、麟片を一枚ずつはがしていくとその全部からそれぞれゆりが育つという。是非試してみたいやり方だ。


ガジュマルの木

国頭(くにがみ)小学校の中に、日本一のガジュマルがある。授業中だが、そっと校庭に入らせてもらう。通りがかった先生に許可を得、見物させていただく。何とも大きな幹に枝、たくさんの支えがほどこされ、接する部分には保護するために、枝にゴムが巻いてある。ただ大きくなったのではなく皆で温かく世話がなされているようだ。形よく前後左右に枝を伸ばし緑の,葉を繁らせ気持ち良く生きているようで、こちらの気持も明るくなる。人影もまばらなこの島なのに、私たちが行く間に次の観光客がやってきた。人気のスポットだ。人々の温かい応対も嬉しい。
 翌日の帰りのフェリーも西側の伊延港だった。どうやってどこで切符を買うのだろうと思っていたが、屋根だけの待合所にバンタイプの軽自動車が、後ろの扉を上げて停まっており、そこが臨時の切符売場だ。風が強いので、すべての切符や書類は重しが置かれており、係の人が風で切符を飛ばされないようにと一人一人に渡す度に注意を与えている。壁もない所で、大雨の日はずぶぬれになるだろうと思いながら、今回海は荒れているものの、天気に恵まれたことを感謝しつつ、帰路に着いた。

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