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推定45歳のフラットメイトが教えてくれたこと【ひとり旅】

「シャイネスをなくしたい」

マルタの語学学校から届いたカウンセリングシートに私は英語でそう書いた。

私は昔から、勢いはありながら肝心な時には手を挙げられない気の弱さを持つ人だった。部活に熱心でいながら、新歓説明会では新入生を勧誘できない。英語を勉強しておきながら、アルバイト先を訪れる外国人旅行客にはたじろいでしまう。
「私、できるのに。」そう心の中でつぶやきながらちょっとふてくされていた。

カウンセリングシートを書いてから1か月後、羽田空港を発ちシャルルドゴール空港で乗り継ぎをし、およそ丸々1日の時間をかけてマルタ国際空港へ降り立った。

初めての1人旅、それも海外に、それも1か月もなんて。
ワクワクする気持ちとザワザワする気持ちを半々に抱えながらお迎えの車に乗った。これからパリ・イギリスへ行くまでの間の3週間を過ごす語学学校の寮へ向かう。

推定45歳のフラットメイト

私の暮らす寮のフラット(フロア)には私の他に4人がいた。彼らは2人部屋で、私は1人部屋。バスルームやキッチンは5人で共有する。
ちなみに私以外のフラットメイトは全員男性だった。ヨーロッパでは男女混合のフラットは珍しくない話と聞いていたものの、正直「マジか」と思った。

まあ、何はともあれ無事に目的地まで着いたのだ。
家族に連絡を取ろうと、リビングで紅茶を飲んでいた推定45歳のフラットメイト・アリにたどたどしい英語でWiFiのパスワードを尋ねた。Wi-Fiのパスワードを貰ってまた部屋にこもろうと背を向けると
「そう言えば全然案内していなかったね」
と洗濯機の使い方から電気コンロの付け方、電子レンジのボタンや近くのスーパー情報まで全部教えてくれた。
私は「ありがとう!」と澄ました顔でお礼を言ったけど、アリのトルコなまりの英語が速すぎて半分ぐらいしか分からず、結局その日はキッチンは使えなかった。

次の日のお昼に私がキッチン前でうろうろしていると、アリがやってきてホットサンドを作って紅茶を淹れてくれた。紅茶が好きでたくさんストックしているらしい。こつも好きに飲んでいいよと言いながら、アリは英語のテキストで勉強を始めた。

学校が始まってからはアリ以外の友達もできた。グループレッスンはとても楽しかったし、学校終わりにみんなでカフェに行くのも最高だった。
ただ、1週目だけ受けていたマンツーマンレッスンの時間だけは心の底から憂鬱だった。厳しめの女性の先生で、間違いを指摘されることが怖くて、私は小さな声でボソボソ話していた。黙り込んでしまうこともあった。

マンツーマンレッスンの初日に寮に戻ると、アリは紅茶を飲んで勉強していた。そして、私に喋りかけてくれた。
「初日はどうだった?楽しかった?」
私が今日はあんまり英語をうまく話せなかったと伝えると、
「今話せているじゃないか。うまく話せることよりも伝えようとすることの方がずっと素敵なことだよ。」
と言ってくれた。思い返せばアリは私がマルタに到着してから毎日勉強していた。

外国に来たから急に英語が話せるようになるわけではない。どんな場所にいたって自分からトライするから英語が話せるようになるんだ。

そのことに気が付いてからは、私もアリと同じように毎日英語の勉強を始めた。友達や先生とのおしゃべりで使えるような、相槌や感情の単語の使い方、自分を説明する文章を中心に覚えた。
日本にいた時は、何となく英語が好きで何となくテキストを使って何となく勉強していたが、マルタでの勉強は「人に自分を伝える」という明確な目的を持って取り組むようになった。

電話記念日

マルタでの生活に慣れてきたある日、学校の友達とマルタの古都イムディーナへ遊びに行った。

マルタには電車がなく、公共交通機関はバスしかない。それも、路線によって10分に1本来るものもあれば1時間に1本のものもある。イムディーナから学校近くへ向かうバスはその後者の方だった。
ちょうど帰ろうとしたタイミングが、次のバスが1時間後の時間だった(調べておきなよ!!)。

それなりに人数もいるから、タクシーでも値段が変わらないという意見で合致しタクシーを使うことにした。
アプリでタクシーを配車して待っていると、突然着信が。
私はプチパニックだった。対面でジェスチャーを使いながらやっと自分の意見を伝えられるようになったのに、英語で電話なんて!
それでも、心臓をバクバクさせながら電話を取ると、、、
普通に話せた。

英語というものに勝手に壁を感じて、勝手に自分自身のハードルを上げていただけだった。
自分の英語が伝わってホッとした。そして、とても嬉しかった。舞い上がってその日を「英語で初めて電話をした記念日」と名付けた。
大切なのはうまく話すことじゃない、ただ単語を勉強することじゃない、伝えようとトライすることだ。もっと自分に自信を持ってもいいかもしれないと思えた出来事だった。

波乱のパリ1人旅

マルタでの生活はあっという間だった。小さなトライを積み重ね、語学学校を卒業して、いよいよ本当の1人旅の始まりが近づいた。

「良い旅を、気をつけていってらっしゃい。良い人生を送ってね。」
アリからもらった言葉をかみしめながら、マルタ発フランス行への飛行機へ乗った。

空港からタクシーでパリのホテルへ行き、チェックインをしようとしたとき、受付係が顔をしかめた。
「あなたの部屋、取れてないよ?」
「そんなはずない。旅行代理店経由で申し込んだんだ。ちゃんと確認してよ。」
数十分後、別のホテル行の地図を貰った。いつもならそこで「ありがとう」と食い下がれるのだけれど、初めての1人旅が始まり不安でいっぱいだったことに加えて「伝えること」の大切さを身に染みていた私は、自分が不安を感じていることと別のホテルの信用について説明してほしいことを伝えた。

受付係は「Oui(はい)」と答え、オーナーを呼んでくれた。

最初に取っていたホテルで私が泊まる予定だった部屋で水漏れが発生したので、急遽別のホテルの部屋を勝手にホテル側が取り直したのだそう。同じ系列のホテルで朝食にはパンもカフェも出るから大丈夫、とのこと。

なるほど、何が大丈夫なのかは全然わかっていなかったが、ひとまず納得して新しいホテルへ歩いた。
無事に新しいホテルの部屋で一息つけた時、英語で伝えることに臆することがなかった自分に気が付いた。

翌日以降は「パリっ子は傘を差さない」という何かの本に書いてあった言葉を信じて雨に打たれて見事に風邪を引いた以外は何事もなく、パリも日帰りで行ったロンドンも楽しんだ。

いよいよ日本へ帰国する日がやってきた。空港からパリ市内へは何となく怖くてタクシーで来たけれど、帰りはパリにも慣れたので価格も安いバスを利用して空港まで向かった。
「楽しかったな~」と若干センチメンタルになりながら自分が降りるターミナルが呼ばれるのを待っていたのだけれど、いつまで経っても呼ばれない。ついには終点に着いてパリ市内への回送モードに変わった。

「やっちまった」と半泣きになりながらも、バスの運転手さんにフランス語と英語を駆使して助けを求めた。すると、回送のバスをバス停で待っているお客さんたちをよそに運転手さんが、私の25kgあるスーツケースをひょいと持ち上げて空港内にある地下鉄乗り場まで連れて行ってくれた。
「この地下鉄はお金はいらないから、来た電車に乗って○○というターミナルで降りるんだよ。君が何も言わなかったら、気づかずにパリ市内に送り返してしまうところだったよ!」と笑っていた。
思わぬやさしさに触れ、欧米人は日本人より冷たいなんて誰が言ったのだろうかと思った。困ったときに「困った!助けて!」と言えたこと、精一杯伝えればそれが文法的に正しくなくてもちゃんと伝えられること。そんな当たり前なようで、これまで難しいと感じていたことができるようになっていた自分に驚いた。

シャイネスをなくしたい

それが私が1か月の旅にでかけたひとつの理由だった。
そもそも、なんでシャイネスをなくしたいと思ったのか考えてみると「私、できるのに。」とふてくされている自分に飽きてしまっていたからだった。ふてくされることは、その場から動けないということだ。「私シャイだからできないだけだもん!」と言い訳をして、進まなくても大丈夫な環境を自分で作っていた。

旅は一期一会とよく言うけれど、日常だって一期一会だ。
チャンスが転がってきたと気づいたときに慌てて「やっぱり私シャイじゃない!できるできる!」なんて誰が聞いてくれるのだろうか。
日常でも、自分にとっての非日常でも、どこにいても自分がどうありたいか、どういう姿勢でそこにいるかが大切であること。そして今いる場所で、精一杯トライすることが自分を変えることをアリや旅を通して教わった。

私は今、日本でお芝居をしている。お芝居が思いっきりできる良い環境にいて、その環境にいるだけで自分が成長できると勘違いをしてしまいそうになる。勘違いに気が付いた時にはしばしば、あのアリの勉強している姿が目に浮かぶ。

そこにいるから上手くいくんじゃない、どんな場所にいたって自分からトライするから未来が拓かれるんだ。

大切なのは今いる場所で手を挙げること。足を進めること。伝えようとすること。
そう思えたら自然と私の「シャイネス」は顔を出さなくなった。


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このnoteはライターのさやかさんが企画し、LivingAnywhere Commons × 新しい働き方LABがコラボで主催する、書き物コンテストに参加しています。

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