「写真」川端康成
川端康成の『掌の小説』から「写真」を読みました。恋人と写した一枚の写真にまつわる二頁足らずの掌編です。
主人公の詩人は、過去に恋人と並んで写した写真を大切に保管していました。あるとき雑誌に掲載する自分の肖像写真が必要になって、彼はやむを得ず思い出の写真を半分に切ってこしらえます。すると、自分と切り離された恋人の顔が、意外にもつまらない女性に見えてきます。彼はまた、切り離された自分の顔を彼女が雑誌で見かければ、やはり自分と同じように感じるだろうと考えます。
写真の中の二人は美しいのに、切り離したとたんに醜く見えてしまうのは興味深い現象でした。詩人は、恋人と別れた後も彼女を美しい思い出として記憶していました。彼女と精神上のつながりを保っていました。けれどそれは彼の幻想だったようです。写真の上で二人が物理的に裁断されることで、幻想が覚めてしまうのです。
おもえば写真というものは、人間にとって実に精神的な産物ですね。印画紙と現像液でこしらえた目の錯覚に過ぎない紙片に、人は話しかけたり、微笑んだり、拝んだりします。人間は写真を、被写体の魂と同等に扱います。たしかに私たちも、作中の詩人と同じように、忘れえぬ思い出を、捨てられない写真に投影しているようです。
この作品が面白いのは、現実のとおりを写したはずの写真が、逆に写真のとおりに現実が変化を起こすところです。まるで現実と写真が合わせ鏡になっていて、どちらが本体でどちらが影なのか曖昧になってくるような不気味さがあります。示唆に富んだ印象に残る作品です。
あなたには大切な写真はありますか。その写真に変化が起こったとき、それを映すようにあなたの気持ちにも変化が起こるかもしれません。写真にかぎりません。人間はいろいろな品物に自分自身を宿らせて生きているなあとおもいます。
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