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スティーブ・ジョブズが変身できた理由〜『スティーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで』


敬愛する人物が亡くなるのは悲しいですが、


一方で、生前知ることができなかった事柄が明らかになって、知ることができる、という面白さはあります。


アップルを創業して再生させたスティーブ・ジョブズが2011年に亡くなった時はとても悲しかったです。


「もう、ジョブズが作ったセクシーな新製品には触れることはできないんだ」


と思いました。実際にそうなっているのも悲しいです。


一方、生前はご本人をはばかって発言を控えていた人々が発言するようになり、ジョブズの全体像を知ることができるようになりました。


つまり、生前に発言する人は、ジョブズに痛い目にあわされたり、恨みを持っていたりして、なんと言うか、あえて発信したい、ジョブズに文句を言いたい人が多かったわけですから、肯定的な話はどーしても少なくなります。


ジョブズの生前には出てこなかった話としては、例えばシリコンバレーで寿司屋を営んでいた佐久間俊雄という方が、お客さんとして贔屓にしてくれたジョブズが持ち帰り寿司を自分で取りにきたり、ジョナサン・アイブと一緒にランチに来たり、会席パーティーを開いたりする様子を綴ってくれて、とても面白かったです。


さて、ジョブズに関して昔っから不思議だったことがあります。


経営者として、とても評判の悪かったスティーブ・ジョブズが、なぜ希代の名経営者に変身できたのだろう?


ということです。


ジョブズとそのチームは、1984年に、現在も続くパソコンシリーズ「Macintosh」を発売してパソコンの未来像を指し示したわけですが、


当時のジョブズは強引で、ひっちゃかめっちゃかで、翌1985年、29歳で自分が選んだ取締役会から多くの権限を剥奪され、名誉職みたいな地位に押し込められます。ジョブズはAPPLEに辞表を出します。


そしてNeXT Computerを設立して新しいワークステーションを世に問います。




↑このNeXT CUBE、当時写真で何回も見ましたが、コンピューター本体も画面もほんとーに美しかったですね。当時としては。


が、ハードウェアとしてのNeXT CUBEの販売としては大失敗に終わります。高価すぎた上に販売先(大学等)の要望も満たせなかったそうです。


その間、ひじょーに多くの悪口や嘲笑が浴びせられて、日本での情報を見ると評判悪かったです。日本でそんだけ悪口言われてるんだから、米国ではもっと悪評高かったでしょう。


しかしながら、1990年代中盤にAppleが経営危機に陥って次世代OSの開発が頓挫した際、NeXT ComputerのOSだった「NEXTSTEP」を売り込んで、Macintoshの次世代OSとして採用されます。ですから、現在のMac OSの土台には、NEXTSTEPがあります。


その際NeXT ComputerをAppleに売却し、翌年Appleの暫定CEOになります。


ここから、皆さんご存じのAppleの大躍進が始まって、ジョブズの名声もどんどん高まったいき、亡くなった時には「稀代の名経営者」という扱いを受けていました。


実際、稀代の名経営者でしたね。


imacもipodもiphoneもipadも大成功して、1990年代のAppleからは想像できない、すごい売上と利益を達成していましたから。


そして、何より、世界を変えましたから。


というわけで、生意気で扱いにくい若造で天才だったジョブズがAppleを去って、そして戻ってくる、ほんの10年ほどの間に何があったのかが、とても不思議でした。


人間はそんなに変われるのだろうか?


変われるとしたら、それはなぜなのだろうか?


と。


それを教えてくれたのが、『スティーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで』です。


著者は二人。共にフォーチュン誌出身で、ジョブズとはジャーナリストとして25年間親しく付き合ってきた人物。


なんかApple社も全面協力だったようで、ディープな情報がたくさん出てきます。


詳細は本書を読んでいただくとして、極端に要約しますと、NeXT Computerでの大失敗の自覚と痛みと共に、


ピクサー社でエドウィン・キャットマルやジョン・ラセターという類い希な人物と出会い、学び、ともに働いてお互いに影響を及ぼすことで、真の成長を獲得できたのだ、


ということです。


これこそ、ジョブズが、2005年に米国の名門・スタンフォード大学の卒業式での感動的な名スピーチにおける「点と点をつなげる」ということですね。


ジョブズの真の成長


ピクサー社は、いまでこそとんでもない世界的優良企業ですが、もともとは『スター・ウォーズ』のジョージ・ルーカスが離婚の費用を捻出するためにジョブズに売った会社で、コンピュータグラフィックス用のソフトとハードを売ってました。


その会社が、紆余曲折を経て世界で最初のCGアニメーション映画『トイ・ストーリー』を作って大成功するわけですが、その紆余曲折の間にジョブズは50億円以上をピクサーにつぎ込んだそうです。ジョブズは、


「こんなに投資が必要だとわかっていたら、この会社を買わなかった」


と嘆いたそうですが、ピクサーには最初からエドウィン・キャットマルとジョン・ラセターがいました。


エドウィン・キャットマルはコンピュータ科学者でコンピュータグラフィックス分野の映画利用における本当の意味でのパイオニア、ジョン・ラセターはCGアニメーターとして本当の意味でのパイオニアです。二人とも歴史に残る人物です。まだ存命ですが。


そのような優れた人々との思いがけない出会いと協業を通じて、ジョブズは真の成長を獲得できたようです。


感銘を受けました。


『スティーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで』素晴らしかったです。