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話術家・渥美清を垣間見ることができる動画

子供の頃から渥美清が好きでした。

たぶん、古い東京の余韻を濃厚に残した芸人を好きなんだと思うんです。特に口舌が、江戸や明治の東京から急に高度成長期にあらわれたような、本当の東京弁の人が。渥美清とか古今亭志ん生とか三遊亭円生とか。

立川談志とか古今亭志ん朝とかは、なんか違うんです。江戸弁を真似して喋ってるような感じがします。

渥美清とか古今亭志ん生とか三遊亭円生とかは、江戸の世界に実際に生きていたことがあり、闊達にその言語を操ってる感じがします。

で、渥美清と言えば寅さんなわけですが、佐藤忠男の『みんなの寅さん―「男はつらいよ」の世界』という著作の中に、俳優以前の、「話術家」とでも賞すべき渥美清が登場します。

「大船の撮影所近くの食堂でメシを食いながら彼から聞いた話は印象的だった。(略)そして、そのときの思い出を語ってくれるのだが、これがまるで、たったいま、その様子を見てきたばかりのように、「その縁側の向こうに八つ手があって・・・」といった、こまごまとした視覚的な描写を連続させながら、一つの情景を語りでもって浮かび上がらせるのである。(略)私はそのとき、話術家としての彼をたんのうし」

渥美清は子供の頃から話術が抜きん出ていたようで、雨なんかが降ってなんかの行事が中止になると、クラスでは渥美清のお話会が始まり、他のクラスの先生や生徒まで聞きにきたっていうほどの腕前だったそうです。

また、青春期に、当時は東京のあちこちにいた啖呵売を愛して深く研究し、体の中に入れて、縦横無尽に操れるようになります。

渥美清の語り口というのは、とても独特ですね。様式が独自のものです。それは、落語とか漫才とかの伝統から影響を受けることを選択したのではなく、昔の東京の市井にあったモノ、例えば啖呵売や近所にいたイナセな兄さんから影響を受けることを選択し、磨きをかけたためだと思います。

啖呵売の魅力は、渥美清によれば、通りすがりの人々を路端に呼び止めて耳を傾けさせ、ごくつまらない、しばしばインチキなものを、話術一本で買わせるところだそうです。落語や講談は、お客さんは何かを聴くためにいるわけですが、啖呵売は興味のない通りすがりの人に話を聞かせて引き止めるわけです。したがって、その話術は真剣であり、より高いレベルだ、と。

そんなこんなが『男はつらいよ』の「車寅次郎」として結実するわけですが、話術家としての側面を、当時(私の若い頃)は『男はつらいよ』等の演技として見る以外、まったく見る(聞く)ことができませんでした。あんまりバラエティ番組とかありませんでしたし、渥美清ご本人が俳優としての自分以外が出演することを厳しく律していたようなので。

そんな話術家としての渥美清を垣間見られるテレビ番組、昭和54年の正月「徹子の部屋」に出演した時のものですが、これがYOUTUBEにあって素晴らしかったんですよ。ですのでご紹介しようと思ったんですが、なんか消されたり、再アップされたりで落ち着きません。

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で、探しました。皆様のために探しました。中国のサイトにありました。話術家としての渥美清の一端を味わってみてください。素晴らしいです。

話術家としての渥美清を垣間見る動画↓