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黒澤明がハリウッドと取り組んだ『トラ・トラ・トラ!』の失敗を丁寧に描写した名著と東宝の蹉跌


黒澤明、晩年のターニングポイント


映画作家としての黒澤明の晩年は、もうちょっと違う形があったんじゃないかなぁ、と思うんすよ。もっと映画作家として良い形が。


そのターニングポイントはどこにあったかっつーと、ハリウッド資本による『暴走機関車』と『トラ・トラ・トラ!』の制作失敗でしょうね。


黒澤 明


キネマ旬報社 - 『キネマ旬報』1960年12月増刊号。 "Kinema Junpo", Special December 1960 issue., パブリック・ドメイン, リンクによる


そこら辺の失敗の詳細が以前はよくわからなかったんですが、『トラ・トラ・トラ!』の失敗過程を、米国側の関係者にインタビューし、資料を探し出してジックリと描写した本がありました。素晴らしい記録です。

従来、『トラ・トラ・トラ!』の失敗過程は、映画評論家で、当時『キネマ旬報』編集長だった白井佳夫による「「トラ・トラ・トラ」と黒澤明問題ルポ」が有名で、


「へー、そーゆーことなのか」


と、多くの映画ファンは思っていて、十代の私もそうでしたが、そして今もこの内容に基づいて問題を理解している人が多いんですが、これがいま再読してみるとどんでもない内容で、事前に黒澤プロの検閲を経ていた、と。


しかも、最終的に黒澤明の「妻の話を出したくない」っていう意向によって途中で終わっているっていう、白井佳夫はジャーナリストとしてどうかしてるんじゃないか?と。


ま、映画評論家がジャーナリストかっていう問題もありますが、ジャーナリストというより、黒澤プロに肩入れしたスポークスマンとして書いてるわけです。しかし「ルポルタージュ」を謳って中立性を装ってる、そーゆー欺瞞的な内容なわけです。『黒澤明集成3』という本に収められてますが。

一方の当事者である青柳哲郎は証言を拒否し、菊島隆三(黒澤プロの取締役で『野良犬』や『用心棒』の共同脚本家。『トラ・トラ・トラ!』降板関連の記者会見で青柳と共に黒澤を非難した)は「機会があったら話を聞いてくれ」と白井に言っていたにも関わらず菊島の話は聞かず、米国側への取材は全くせず、結局、青柳哲郎という若いプロデューサーを悪者にしていたわけです。


おかしいでしょ?


どーも、以前から「なんかどうもヘンだ」という気がしていました。


若い青柳哲郎だけが悪者にされていた


青柳哲郎は2015年に亡くなったそうですが、そもそもこの人は、黒澤明の先輩にあたる監督の子で、子供の頃から付き合いがあったという人です。


青柳哲郎が悪い悪いという割に資金の流用等々で裁判になったという文章も読んだことないし、その後も業界に身を置いていたそうだし、「青柳哲郎が何かの集まりに顔を出した」という文章も見かけるわけです。


例えば、『生きる』以降の全黒澤作品に参加して、ロシアでの過酷な『デルス・ウザーラ』の撮影にも同行したという野上照代さえ、青柳に同情的な感じなんです。


(2006年)黒澤明、今だから話そう
『トラ・トラ・トラ!』監督解任前後のこと
田草川弘×野上照代

黒澤映画のプロデューサーというと、戦前から昭和30年代前半まで活躍した本木荘二郎という人がいまして、この方はほんとに資金を私的に流用して東宝を追い出されたそうで、この方の話は以前はまったく文章として見かけませんでした。最近は、彼を主題にした本も多少出てるみたいですが。


このような青柳と本木の扱いの違いとか、そんなこんなの黒澤映画ファンの長年のモヤモヤをついに晴らしてくれたのが本書『黒澤明vs.ハリウッド』です。


東宝と黒澤プロダクション


黒澤明は、東宝からデビュー以来、長年東宝で映画を撮ってきたわけですが、予算や制作日数を超過する黒澤に東宝が手こずった結果、黒澤にもリスクを取らせるために独立させて東宝と協業する、という路線に転換します。


それが「黒澤プロダクション」であり、最初の作品は『悪い奴ほどよく眠る』です。その後、『用心棒』『椿三十郎』『天国と地獄』『赤ひげ』まで黒澤プロ〜東宝の協業で作品が作られます。


本書によれば、この協業の契約書は、簡単に言えば、儲かる映画を安く早く制作すれば黒澤プロも大儲けするが、赤字作品になった場合は黒澤プロの東宝に対する借金がどんどん増える、という内容だった、と。そして、その借金には金利がかかる、と。


で、『用心棒』『椿三十郎』は大儲けになったが、黒澤明が「集大成」と位置づけて意欲的に取り組んだ『赤ひげ』で制作日数が伸び、興行的にもそれほど上手くいかなかったため、東宝に対して巨額の借金を抱えることになったそうです。


契約によって、その借金には金利がかかります。


ここが『トラ・トラ・トラ!』の失敗に至る伏線なんですが、黒澤側は東宝との契約の危うさに気づき、東宝と手を切りたかった、と。


また、昭和40年に公開された『赤ひげ』から『トラ・トラ・トラ!』の制作が開始される昭和43年まで映画の仕事はなかったため、黒澤家の家計は破産状態に陥ったそうです。


『赤ひげ』公開時、黒澤明は55歳。五十代中盤でお金がなくなるってのは、苦しかったでしょうね。世界的映画監督であるにも関わらず。


ハリウッド資本とも協調できなかったクロサワ


東宝と手を切って黒澤が目指したのは、世界戦略です。


つまり、制作費が膨大で回収できないのであれば、世界に販売して、膨大な制作費を回収できるほどの売上げを上げれば良いのではないか、と。


具体的にはハリウッドと提携して世界に販売して売上げを上げれば良いのではないか、と。


その通りですね。日本国内の市場より、欧米市場の方が大きいですから。


大まかな方向性は正しいとして、重要なのは具体的な道筋です。ハリウッドとどうやって提携するのか?誰が交渉を担うのか?


そこで見いだされたのが、米国で仕事をしていた青柳哲郎です。若く、経験もない、当時30代前半の若者です。


で、白井佳夫による「「トラ・トラ・トラ」と黒澤明問題ルポ」によれば、この青柳哲郎が問題の根源だということになっているんですが、どーも、そーゆー簡単な問題じゃなかったんだな、と。『黒澤明vs.ハリウッド』を読むと。


まず第一に、『暴走機関車』も『トラ・トラ・トラ!』も制作開始の段階までは何とか至っているわけです。それが、黒澤明自身の要望もしくは問題で中止になっています。青柳哲郎が中止にしたわけではありませんし、契約上のトラブルで中止になったわけでもありません


ついでに、『トラ・トラ・トラ!』を制作した20世紀FOXは、黒澤版『トラ・トラ・トラ!』の制作開始前に一旦制作を延期した際、当時のレートで1800万円もの拘束料を黒澤プロに支払っていたそうで、礼は尽くしています。


次に、どうも青柳哲郎は黒澤家にお金を入れる役割を担わされていたようです。これは、まぁ、何となく匂わされているだけですが、それが『トラ・トラ・トラ!』制作費の不明朗な金銭の流れになったようです。


つまり、若き青柳哲郎は、当時30代前半っつったら青二才ですよ。今は若い人もバンバン活躍してますが、当時は家父長制が色濃く残ってる時代ですから、若いというだけで、仕事上何となく蔑まれたわけですよ。日本では。そんな時に、若き青柳哲郎は、日本と米国を協業させながら、気難しい芸術家の黒澤明をなだめてすかしながら、あちこちをうまーく何とかして、さらに黒澤家にお金を入れるっていう、無理難題な仕事を担わされちゃったわけです。


そら、ま、プロジェクトが失敗したら誰かをスケープコードにするのが一番楽で簡単でスキッとしますけどね。それはたいがい間違いですね。なんか、中小企業で今日も繰り返されてるような話ですわ。


青柳哲郎が沈黙を守った理由と本書が記された理由


先述の通り、青柳哲郎は子供の頃から黒澤家と親しい間柄でした。黒澤明の奥さんやお子さん達とも親しかったのだろうと推測されるわけです。


したがって、青柳哲郎は数回の記者会見で黒澤明を非難して以降、『トラ・トラ・トラ!』の件についての詳細は一切語らなかったではないか、と推測されます。


つまり、黒澤明の仕事の話では終わらず、黒澤家の名誉に関わる話になっちゃいますから。


『黒澤明vs.ハリウッド』を記した田草川弘は、ドナルド・リチーの門下生で、『トラ・トラ・トラ!』の関係者で、青柳哲郎とも親しい間柄だったそうです。


先述の対談でも触れられていますが、田草川は青柳に


「この本は、本当は自分(青柳)で書いた方がいい」


と勧めていたそうです。ただ、青柳は断り、他に同様の研究が出ることを願っていたが、いつまでも出てこず、先述の白井佳夫の文章やドナルド・リチーが書いて海外でも広く読まれている『黒澤明の映画』の推測(黒澤明はハリウッドに口うるさく言われることを嫌ってサボタージュした)が真実になってしまう、と。その危機感から本格的な調査を行ったんだそうです。


というわけでですね、ほんと名著。実力と誠意と熱意とバランスを兼ね備えた著者に拍手を送りたいです。というか、もう既に多くの人から賞賛を浴びていて、本書は、ノンフィクションの本として史上初めて4冠(大宅壮一ノンフィクション賞・講談社ノンフィクション賞・大佛次郎賞・芸術選奨文部科学大臣賞)を受賞した作品だそうです。



東宝の蹉跌と日本映画界


そして思うのは、


「東宝も一緒に世界戦略に打って出りゃ良かったのに」


ということです。


何だかんだ言って、青柳哲郎は力不足だったんだろうと思います。それは仕方ないですよね。若いし。経験少ないし。中小企業だとよくあることなんですが、優秀な人を雇うのは難しいですから、身近な人にお願いしちゃうんですよね。そこが東宝だったらなぁ、と。大企業なので、多くの人材がいたでしょうし。


しかも、当時の東宝は世界的なコンテンツ作家を2人抱えてたんですよ。


黒澤明と『ゴジラ』『モスラ』の円谷英二です。


黒澤明と円谷英二の作品は、いまだに人気あります。


例えば、米国というのはオークションがすごく盛んで、日本の何百倍っていう数のオークションが各地にあります。


中には映画専門のオークションというのもあって、名画のチラシやポスターやグッズ等々がオークションにかかります。


そこに、黒澤明の映画や『ゴジラ』や『モスラ』の当時モノ、昭和20〜30年代のチラシやポスターが出てくると、すんごい高値になるんですよ。「日本より高いんじゃね?」っていうくらい。


米国でも、ほんとに人気あったんですね。


ですから、1960年代に映画が斜陽化した時、あるいはその前に、黒澤明と円谷英二の作品と一緒に世界戦略に打って出てれば、今頃、20世紀FOXやパラマウント映画と並ぶような世界的なコンテンツ会社として日本の映画産業も豊かになってたんじゃないかなー、なんて夢想しちゃいますね。


無理な話じゃないですよね?昭和30年代には多くの日本企業が世界に現地法人を設立して打って出てるわけですから。トヨタだってソニーだってブリヂストンだって。


そしたら、コンテンツの重要性というのは1960年代以降どんどん高まったわけですから、例えばピクサーがディズニーを実質的に買い取ったようなこと、つまり2006年にディズニーはピクサーを買い取って子会社化したんですが、それによってディズニーの個人筆頭株主はピクサーのスティーブ・ジョブズになり、ディズニーの社長はピクサーのエド・キャットマルになり、ディズニーのアニメーション映画部門の実権を握ったのはピクサーのジョン・ラセターだった、みたいな、そんなステキな何かが起こり得たんじゃないか、と。東宝と黒澤と円谷にも。


そう考えると、『トラ・トラ・トラ!』の失敗は黒澤明という映画作家の個人史であるんですが、同時に、実は、才能を充分活かせず日本映画界が縮小せざるを得なかった一つの比喩でもあるような気がします。