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麻生太郎と吉田健一と麻生和子と吉田茂


ある日ふと思ったんですが、第92代総理大臣の麻生太郎って、

吉田茂の孫ってのは有名だけど、

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不明 - http://www.chosakai.gr.jp/kenpou_sengo70/index.html http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/souri/45.html, パブリック・ドメイン, リンクによる


てことはつまり、吉田健一の甥なんじゃん、と。長年気がつかなかった(゚Д゚)

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AleksandrGertsen - 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, リンクによる


そりゃ、スゴい。三世代で歴史に残る政治家を2人も出して、しかも文人も出してるなんて。


吉田健一、今じゃあんまり著名じゃないかもしれませんが、戦後文学の話なんかを読んでると、ちょくちょく名前が出てきます。多くの場合酔っ払ってたみたいですが、戦前、外交官だった吉田茂の赴任先であるイギリスの小学校に入り、日本に帰ったりしながらも、大学ではケンブリッジに留学し、当時日本では珍しかった欧米流の知性に磨きをかけ、戦後から高度成長期にかけて独特の活動で足跡を残した方だったようです。


ドナルド・キーンが、『声の残り 私の文壇交遊録』という本の中で吉田健一との交遊を、あざやかに、みずみずしく描写しています。日本語ペラペラのドナルド・キーンが、吉田健一とはあえて英語で話したっていうくらいのスゴい英語能力だったそうです。が、やっぱり、わりと酔っ払ってたみたいです。


てことはだ、麻生太郎のお母さんは吉田健一の妹じゃん!


そうです。吉田健一が2番目(上に長女)長男で、麻生太郎のお母さん、つまり麻生和子は三女です。5人兄姉の4番目。


この方、よくできた方みたいで、15歳から父・吉田茂の秘書役を務めていたそうです。英語とフランス語が自由自在だったからみたいです。


第二次世界大戦敗戦後、思いがけず吉田茂に各界から強い組閣要請がありました。


戦後初めて行われた1946年(昭和21)総選挙で、鳩山一郎率いる日本自由党が第一党になったのですが、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)からストップがかかります。戦前から政治家として活躍してきた鳩山一郎は、GHQがパージする予定の戦争責任者・国家主義者・軍国主義者の公職追放のリストに載っていたからです。実際、その後パージされます。


wikipedeia読んでみると、たぶん鳩山一郎も周囲も、パージを受けるとは思っていなかたんでしょうね。昭和10年代には、どちらかと言えば戦争を推進した軍部と対立する立場で、しかも大政翼賛会に所属しないで帝国議会議員に当選しています。これはとても珍しいことで、当該選挙において非推薦の当選者は全体の10%ほどしかいませんし、非推薦で立候補すること自体が当時の軍部独裁国政への意見表明です。


その後、東條内閣による戦時刑事特別法改正案に反対して、結局軽井沢で隠遁生活を送っていたようです。第二次世界大戦の最終期は。


ただ昭和初め頃の活動や言動がGHQに問題視されて急にパージになったため、急遽後継者問題が発生した、と。


1946年(昭和21)総選挙・第22回衆議院議員総選挙で日本自由党は141議席を獲得しています。全体の30%の議席を獲得していて、第二党の日本進歩党は94議席です。どうしたって、首相は自由党から出すべきです。そのため一旦大命が降下したそうですが、前述のようにGHQからストップがかかったので、大変なことになった、と。


しかし、なかなか適材がいません。昭和21年です。戦前から活動している人は、鳩山の公職追放前後に一緒に公職追放されます。日本自由党で言えば、幹事長の河野一郎も、総務会長の三木武吉も、政務調査会長の安藤正純も公職追放になっています。


しかも、敗戦で何にもなくなって、GHQが占領している日本です。色々な人が色々な人を当たって、吉田茂自身色々な人を当たってみたいですが、結局誰も引き受けないので、吉田茂が引き受けることになったみたいです。


吉田茂はそもそも外交官で、日本とナチスドイツの接近に早くから警鐘を鳴らしていた、いわゆる「親英米派」でした。日本がナチスドイツと結んだ日独防共協定、日本がナチスドイツとムッソリーニのイタリアと結んだ日独伊三国同盟に強硬に反対して、軍部と対立します。しかも、太平洋戦争開戦前も開戦後も秘密裏に和平工作を行っていたっていう、希有な存在でした。麻生和子の言葉を借りると、

そのなかで父は「たたいてもホコリの出ない」数少ない一人といわれ、

父 吉田茂

ということになります。


ここがね、吉田茂の信用ですね。口が悪くて、癇癪持ちの頑固者で、エリートでイギリス趣味で党人派とうまくやれなくて、何だかんだと悶着を起こしながらも、敗戦後の大変な時期に7年間も首相を務められたのは、戦時中に正しいことをしていた、という希有な事績への信用でしょうね。孫の麻生太郎も口が悪くて、祖父に似ていますが、この信用がないので、ただ「口の悪い人」みたいなことになっちゃうんでしょう。わたしは好きですけどね。麻生太郎さん。所作に品があって。


さて、吉田茂が東久邇宮内閣で外務大臣になったあたりから首相在任中の公人としての素顔や事情を、麻生和子が本にしています。

面白いです。すごく。ユーモアにあふれていて。ただ、ほんとに大変な時勢に要職につかざるを得なかった緊迫感があります。


この本、麻生和子が亡くなる3年前にやっと書かれてるんです。たぶん、非常に生々しい話が描かれているんで、関係者がくまなく鬼籍に入るのを待っていたか、時効になるのを待っていたんだと思います。下記のような話が書かれているので。


 戦後すぐの総選挙のときに、父といっしょに鳩山さんのお宅にあがったことがありました。お部屋に通されると、帯封をしてあるお札が、机の上に山のように積んであります。お札の束というものをはじめて見て、びっくり仰天したのをおぼえています。  見ていると代議士の立候補者が順繰りに現れ、鳩山さんが奥さまに「二つやっといてくれ」とか「三つ渡してくれ」というように指示され、奥様は帰っていく代議士たちにそのとおり渡していらっしゃいます。

父 吉田茂


この新潮文庫の本のあとがきというか、解題というかを、息子の麻生太郎が書いていて、これもまた面白い。父と母をじいさんに取られたら悲哀を文句を言いながら面白おかしくつづっています。この一族は、ユーモアがあって、文才があるんでしょうね。


さて、吉田健一も父・吉田茂に関する本を表していますが、残念ながらあんまり面白くない。和子と違って一緒に仕事をしたとかではないからなのか、あるいは父に反発して「乞食王子」を演じていたせいか、あるいは吉田茂存命中に著されているせいか、なんかよそよそしいというか、世論を気にしてるというか、そんな感じです。ただ、父子の対談は面白いです。

そして、兄と妹が偉大な父をどう見たかっていう視点で読み比べると、面白いですね。