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社会における私の役割

ご覧いただきありがとうございます!

神奈川県鎌倉市で
小学校低学年から
「読み解く力・書く力」を
伸ばす教室

学び舎Cotobaco 主宰の
奈良 珠季(なら たまき)です

学び舎Cotobacoは
お蔭さまで開校して
今年で7年が経ちました

有難いことに
近隣の小学校に通う子どもたちだけでなく
片道20分以上電車に乗って
親子で来てくださるような方も🥲💛

今回は私がCotobacoで
子どもたちと向き合ううえで
大切にしたいこと

そして
社会における私の役割をテーマに
綴っていこうと思います♪

私が子どもたちと
向き合ううえで大切にしたいこと

私が子どもたちと
向き合ううえで大切にしたいこと

それは・・・

「個性を潰さないこと」

「個性を生かすこと」

「個性を伸ばすこと」

「個性を育むこと」

なぜこんなに『個性』にこだわるのか
改めてじっくり考えてみたところ…

答えは私の幼少期にありました





私は、今「先生」という立場をしていますが、幼少期は自分でも驚くほど「超」個性的!!

みんなが桜の絵を描くときに
鮮やかなピンクで描くところ

私は赤紫をチョイス

理由は、雨の次の日に桜を見に行ったら
既にほとんど枯れていた

足元はぐちゃぐちゃで 
とてもキレイとは思えなかった

だから、それを表現したら
教室の後ろに絵が張り出された時に
私の絵が

『スイミーの目』のようになっていて
自分でもギョっとしたことを
今でも覚えています

そして、幼い頃から納得しないと
前に進めない性格の私は

「箸はなぜ箸というのか」

くらいのレベルで
こだわりをもっていました

その性格から壁にぶつかったのが
小学2年生

九九を暗唱して
先生の前で完璧に言えたら
カラフルな賞状がもらえるシステムでした

めちゃくちゃ魅力的で
何回も何回も練習をしました

でも、どうしても九九が覚えられなかった
なぜなら、九九の意味を先に
理解したかったから

結果的に
要領よくできず賞状はもらえないまま
その期間が過ぎました



ある日、先生に

「お絵描きがしたいから裏紙をください」

と話すと
その賞状を裏紙としてもらいました

先生は悪気はなかったのでしょう

でも・・・
自分がなんとも情けなく
屈辱的だったことを今でも覚えています

「子どもの心は
固まる前のセメントみたいなもの」

という児童心理学者の言葉もありますが…

まさに。

こうした、納得しないと
前に進めないことの他にも

・人から注意を受ける前に行動に移す

・後ろを振り向かず、とにかく突っ走る

そして、とにかく声が大きかった私は
いつも目立つ学生時代を送ってきました

幼いころは
それが「たまきちゃん」でした



でも、学年が上がるにつれて
みんなが周りを意識しだすと

実力も人には及ばず
人と違った行動をとる私は
周りからしたら疎ましい

出る杭は、どんどん打たれていきました

学校の先生という立場も経験した私は
もし今、幼いころの自分がそこにいたら

やっぱり

「周りを見なさい」
「人の気持ちを考えなさい」と
声をかけていたかもしれません



そんな「超」個性的な私が
先生をしているのは
なぜかと考えてみると

子どもたちに幼い頃の自分を
投影させているのだと思います

【日本では、個性を出すと社会で浮きます】

それが、どんなに輝く個性であっても
才能であっても

周りと波長が合わないと
周りがおもしろくないと
潰されがちです

私は、学校という箱にギュっと
押し込まれたことが
とにかくしんどかった

そして、横一線で競い
点数がつけられることが
ものすごく苦しかった

今となっては
学生時代に守られた中で
小さな社会を知ることや

知識・教養を身につけることは
生きていくうえで必要なことで

知識や教養があることで、
初めてお会いした人とでも
共通の会話ができる、
見える世界が広がっていく

だから、学校に通うことに
意味があったということは
理解しているつもりです

でも、当時の私は苦しかった



私は、校則がとにかく厳しい
中高一貫の女子校に通っていました

どうして、そこを選んで通っていたのか

それは、母の考えが強く影響していました

前にも書きましたが…

今の自分でも思うほど
周りを見なかった私が
大人になった時生きていけるのか
母は心底悩んだそうです

「なんとか、横になれるくらい
一畳分くらいのスペースを
この子にください。」

そんな想いで必死で育てていたそうです

だから、社会を知るために
敢えて校則が厳しくて
一人ひとりに目の行き届いている
女子校に入れたのだそうです

私も苦しかった
でも、母も苦しかった

そんな学生生活を送る中で
相変わらず人と同じ行動が
とれなかった私はグループに属しても
合わせることができなかったので
すぐに出ていました

結果的に、一人で行動していること
一人でいることを許してもらえる
安心した環境で過ごすことに
心地よさを感じていました



高校生になり
大学受験が視野に入ってきた頃

私は3年間、神奈川県が主催していた
高校生ボランティア団体に所属をし
80名の代表を務めていました

そこでの活動を評価してもらい
AO入試を受ける資格をいただきました

AO入試では
小論文と面接が入学試験でした

小論文の対策をするため
自分の思考をコトバにして
綴っていきました

すると、
いつも先生に褒めていただき
文章に磨きがかかり
大学から合格をいただきました

学生時代とにかく
勉強が人のスピードに
合わせられなかった私は

そこで初めて
大きな花丸をもらうことが
できた感覚を得ました

そして、自分の思考が許されたこと
視野の広さや深さを評価してもらえたことに
個性を認めてもらえたような
安堵感がありました

この経験が
今の「読み・書き」を教えることに
大きく繋がっています



私は「先生」となった今
子どもたちを見ると

「なんとか
そのままの個性を大事に
大きくなってほしい」

と思います

それは、幼いころの自分と
重ね合わせているのだと思います

社会はとっても厳しい

でも、実力さえ備わっていれば
自分の考えさえ明確にコトバで
伝えられれば

認められ、許され、理解してもらえる
幅や奥行きが広くなる

だから私は子どもたちに
人の考えを理解し、伝えるための
「文章を読み解く力、書く力」を
つける教育にこだわっているのだと
気がつきました



私が、子どもたちへ教育するうえで
大切にしていることの一つに

力をつけるだけでなく
その力を使えるように指導しています

だから
子どもたちは当たり前のような顔をして

テストで100点をとってきたり

難関校に合格したり

定期テストで1位をとってきたり

提出物でいつもA評価をとれるように
成長しています

それは、私が凄い指導者と
いいたいのではなく・・・

できない人の気持ちが心底理解できるから
根気強く向き合っている

一人ひとりの個性に合わせた
やり方を指導しているから
なんだろうと思います

私が、人の足並みに合わせて
勉強ができなくとも

個性を潰さずにこれたのは
まぎれもなく、両親をはじめとした
周りの大人たちの支えと理解でした

だからこそ
大人になった今
その恩を次の世代に送っていく
「恩送り」をしていくことが
私の使命なんだと感じています

「子どもの個性を伸ばす・育む」

これが、社会における私の役割であり
私が果たす責任です^^

こんな思いでこれかも
個性豊かな才能溢れる子どもたちを
未来に向けて育てていきます✨

最後までご覧いただき
ありがとうございました!


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